第283話 倉庫の中

「おい、ライラックがおらんぞ! どこに行ったんじゃ、あいつは!」


 薄暗い倉庫の中、大きな声を上げたのは白い口髭をたくわえた老齢な男性だった。

 デニムのオーバーオールにハンチング帽をかぶり、長梯子を伝って下りてくる。

 地面に足をつけた老人は、背は低いもののガッチリとした体格で、アンティーク調の丸メガネから覗く眼光は、とても鋭かった。


「それが、分からないんですよ。朝早く出かけたみたいで……ひょっとしたら食料の調達に行ったのかも」


 答えたのは背が高く、気の弱そうな青年。

 汚れた作業着を着て、黒ずんだタオルで手を拭いている。


「まったく! 出かけるなら夜にしろとあれほど言っておるのに……日が出てくるとの動きが活発になるからのう」


 老人はイライラした様子で話す。その時、倉庫の外からかすかに音がした。


「なんじゃ、ライラックか?」

「わ、分かりません。ちょっと確認します」


 背の高い青年は入口の横にある小窓に近づき、ほんの少し開けて外を覗く。


「あ!」

「どうした!?」


 青年は驚いた表情で振り返る。


「人がいます! それも四人!!」

「なんじゃと!?」


 老人は慌てて窓に駆け寄り、隙間から外を見る。十メートルほど向こうの道を、確かに四人組が歩いていた。全員、男に見える。


「あいつら! 無警戒で外をほっつき歩いておるぞ、助けに行かんと!」

「ええ!? でも、おやじさん。ここを出るのは危ないですよ」

「いいからどけ!」


 老人は青年を押しのけ、扉の鍵を開けて外に飛び出した。青年も「ま、待って下さい!」と言って外に出る。

 二人は四人の男たちを追いかけた。

 すでに建物の陰に入ったようで、男たちの姿は見えない。老人はドタドタと走り、建物を回り込む。

 すると道の先、四人の背中が見えた。


「おい! お前たち、危ないからすぐに避難せい!!」


 老人の声に、四人は一斉に振り向く。次の瞬間、倉庫の陰から"魚人"が現われた。建物の屋根からも魚人が飛び降り、気づけば五体の魚人が四人の男たちを取り囲んでいる。

 ――遅かった!

 ハンブルクから人がいなくなって数ヶ月。やっと出会った人間を、なんとか助けようとしたのに。

 老人はギリッと奥歯を噛みしめる。

 四人は殺されてしまう。そう思った老人だが、まったく違う光景が目の前に広がった。

 男の一人が腰から剣を抜き、軽く振ると"魚人"二体の首が飛び、炎が舞う。

 さらにもう一人の男が手で払うような仕草をした。襲いかかろうとした魚人どもがバラバラになって青い血を噴き出す。

 そのまま地面に転がり、砂になって消えてしまう。

 老人は呆気に取られた。こんなにあっさり魔物を倒すということは、間違いない。


「お前たち……探索者シーカーか!!」


 一人の男がこちらに駆けてきた。先ほど魔物をバラバラにした男、笑顔でなにかを話しているが、なにを言っているのかさっぱり分からない。

 腰に剣を下げた男も走ってくる。

 二人でなにかを話していたが、やはりなにを言っているのか分からなかった。

 残った二人の男もこちらにくる。頭をボリボリと掻きながら、三十代に見える金髪の男が口を開く。


「おいおい、日本語で話しかけたって仕方ないだろう。翻訳機使えよ」

「おお! やっぱりあんたはドイツ人か、話のできる人間がおって安心したわい」


 老人がホッと息をつくと、金髪の男は「ああ、すまない」と笑みを零した。


「俺たちはベルリンから来たんだ。人がいなくて困ってたんだが、ようやく会えて良かったよ」

「そうかベルリンから……そっちの人たちは『シュッツヘル』の探索者シーカーか? かなりの凄腕に見えたが」


 老人が期待を込めて聞くと、金髪の男は怪訝な顔をする。


「シュッツヘル? そんなもん、とっくに全滅したよ」

「なに!? 全滅じゃと?」


 老人は絶句した。あまりにも衝撃的な情報。自分がこの街に留まっていた意味が、ガラガラと崩れていく。


「なあ、取りあえず建物の中に行かないか? ここじゃぁまた魔物に襲われるかもしれん」

「あ、ああ……そうじゃな。では、こっちに」


 老人は四人をつれ、自分の倉庫に向かう。すると少し先、ほうけたように青年が立っていた。魚人がいたので怖気づいたのだろう。

 相変わらず役に立たんヤツじゃ、と老人は睥睨へいげいして倉庫に向かった。


 ◇◇◇


 薄暗い倉庫の中、悠真は辺りを見回す。

 倉庫の中央には大きな台車があり、その上になにかが置かれていた。しかし覆い隠すように布がかけられているので、なんなのか分からない。

 周囲には色々な工具が置いてある。一見すれば工場のようだ。


「改めて挨拶するよ。俺はフィリックス、こっちはヴェルナー。二人ともドイツ人だ。で、こっちの二人が日本人。天沢と三鷹だ」


 フィリックスに紹介されると悠真とルイ、ヴェルナーは老人とその後ろにいる青年に挨拶する。

 二人は少し戸惑っていたものの、こちらの求めに応じ、イヤホン型翻訳機を付けて話し始めた。


「ワシはヤコブじゃ、こっちはフィン。元々漁師として働いておったが……まあ、そんなことはどうでもいい! お前たち、さっき『シュッツヘル』が全滅したと言っておったな! あれは本当か!?」


 ヤコブは険しい顔でフィリックスに詰め寄る。


「あ、ああ、本当だ。というかドイツの探索者シーカーはほとんど壊滅したんじゃないかな? まあ、断言はできないけど」

「で、では、あいつらはなんだ!? さっき"魚人"を倒したのは魔法の力じゃろ! こやつらは探索者シーカーではないのか?」


 顔をグイッと寄せられて、フィリックスはたじたじになる。


「だ、だから言ってるだろ。こいつらは日本人……日本から来た探索者シーカーだ!」

「日本から? 日本からなにをしに来たんじゃ!?」

「イギリスに行きたいんだってよ。魔物たちと戦うってことだ!」

「イギリス……」


 ヤコブはバッと振り返り、悠真とルイを見る。


「お前たち、本当にイギリスに……【青の王】と戦いに行くのか!?」


 問われた悠真はコクリと頷く。


「ええ、それでイギリスに渡るための船を探してたんですが、港にはなくて。ヤコブさん、船がどこにあるか知りませんか?」


 悠真の言葉を聞いて、ヤコブは腕を組んでなにかを考え込む。しばらくすると顔を上げ、悠真の目をまっすぐに見た。


「その話が本当なら、船はワシが用意してやろう」

「え!? 本当ですか?」


 驚く悠真を尻目に、ヤコブは倉庫の中央に置かれた台車まで歩いていく。


「これは『シュッツヘル』の探索者シーカーが来たら使おうと思っておったものじゃ。しかし、もうおらんのなら仕方ない」


 ヤコブは布に手をかけ、思い切り下に引く。白いほこりが舞い散り、布がバサリと地面に落ちると、現れたのは小型の漁船だった。

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