第242話 残り五分

「お前、下に行くつもりなのか!?」


 怪訝な表情で尋ねてくるカイラに、悠真は体を向け正対する。

 さすがにここまで力を合わせ、最下層まで辿り着いたことで、カイラは自分たちのことを信じ始めているようだ。


「俺が下に行って、アイツを倒してくる」

「バカな……お前がいくら強くても、は人間がなんとかできるような魔物じゃないんだぞ!」

「なんだ、俺を人間だって認めてくれるのか?」


 意表を突いた言葉に、カイラは「いや、それは……」と口籠くちごもる。


「なんとかするよ。そこで見ててくれ」


 悠真は持っていたピッケルをルイに渡す。

 ピッケルを受け取ったルイは「大丈夫なんだね?」と聞いてきた。悠真はコクリと頷き、再び崖のふちに立つ。


「武器を置いていくつもりなのか!? 一体、なにを考えて――」


 カイラの大声を背中で聞きつつ、悠真は空中に飛び出した。深い深い階層の底まで自由落下していく。

 どこまでも落ちていく感覚に襲われたが、徐々に薄暗い底が見えてきた。


「はっ!」


 悠真は風魔法を放ち、地面に風を巻き起こす。体がぶわりと押し上げられ、落下の勢いが殺された。

 ストンッと地面に降り立つと、正面にある巨大な樹を見上げる。

 百メートルは優にあるだろう。幹の直径も二十メートルは超えていて、樹皮の表面は気持ちの悪い色でざらついていた。

 空気が変わり、息苦しくなってくる。

 大樹は何本もの太い根を高々と持ち上げ、鞭のようにしならせていた。あれで叩き潰すつもりなのだろう。

 悠真は呼吸を整え、視線を左手に向ける。

 『金属化』すれば、ここに五つの玉が現われる。キマイラの特殊能力、"変身"をつかさどる玉だ。

 玉には変身できる生き物が映し出されるが、一つだけ曇っている玉があった。

 唯一使おうとしても反応しない玉。だが悠真はその玉に分かっていた。

 使えないのには理由があるはずだ。なにか条件があるのか? あるいは単純に力不足なのか?

 今はまだ分からない。そして、そんな不確かで使えないものに頼っても仕方ない。悠真はフンッと体に力を入れ、『金属化』を発動した。

 全身が黒い鎧で覆われ、異形の化物へと変化する。ここから五分。


「デカスライム! 俺に力を貸せ!!」


 巨大な樹を五分で倒し切るには、巨人化するしかない。

 なによりここはダンジョンの最下層。デカスライムの能力を使うには、充分過ぎるマナがあった。

 肩がボコリと膨らむ、続けて胸が、そして足が膨らむ。

 以前よりもデカスライムの能力を使いこなせるようになっている。体は一気に膨らみ、大きな鉄の球体になった。

 玉は変化し始め、徐々に人型へと変わっていく。全身は筋骨隆々、その上に鋼の鎧を纏い、体のあちこちから黒いトゲが伸びる。

 凶悪なキバと頭から突き出た角。それは"魔神"と呼ぶに相応しい、巨躯の怪物そのものだった。

 溢れ出す莫大なマナ。それは上で見ていたアニクやカイラにも伝わっていた。


「なんだ……あの巨大な怪物は……あれも三鷹なのか!?」


 下を覗いたカイラは、その光景に目を疑う。それはアニクも同じだった。


「なんと禍々まがまがしい魔力じゃ……まるで【緑の王】を間近で見ているような、嫌な感覚に襲われるわい」

「アニクさん、緑の王を見たんですか?」


 隣にいたルイが驚いて尋ねる。


「かなり遠くからじゃがな。あれもまた恐ろしい化物じゃった。それと同等の威圧感を、あの巨人からも感じるのう」


 ルイとアニクは改めて階層を見下ろす。黒い巨人は両腕を持ち上げ、腰を落として臨戦態勢に入った。


 ◇◇◇


 悠真は足を肩幅に開き、意識を集中する。

 血塗られたブラッディー・鉱石オアを発動すると、全身に赤い血脈が流れ始めた。そして"火魔法"を重ねるように使う。

 黒く厳めしい鎧に、赤い紋様が浮かび上がった。

 この巨人の体で魔法を使うのは二度目だ。以前は"水魔法"が途中で切れてしまったが、火の魔力は充分にある。

 魔法が途中で尽きることはないだろう。

 悠真は顔を上げ、大声で叫ぶ。


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』


 体はマグマのように赤く発光し、熱波が周囲に広がる。悠真は巨大な"樹"目掛けて走り出したが、足元から根やつたが飛び出し、腕や足に巻き付いてきた。

 さらに頭上に持ち上げられていた根も、悠真に向かって振り下ろされる。

 何本もの太い根が巨人の体を打ち据える。辺りに響く重々しい衝撃音。だが鋼鉄の巨人が動じることはなかった。

 全身に力を込め、巻きついている根やつたに"火魔法"を流し込む。

 根と蔦に炎が走り、そのことごとくが爆発した。木々の合間に、声にならない声がこだまする。

 悠真は奥歯を噛みしめ、地面を蹴って駆け出した。

 踏みしめた大地は煮えたぎり、溶解していく。あっと言う間に大樹の前に辿り着くと、勢いそのままに右のストレートを叩き込んだ。

 四十トンを超える体重とスピードが乗った拳。大樹のみきを深々とえぐり、轟音が辺りに広がる。

 炎を纏った拳がカッとまたたくと、えぐられたみきは大爆発した。

 幹はさらに裂け、炎が四散する。

 巨大な樹の根元は轟々と燃えているが、悠真が止まることはない。

 今度は左のフックを樹に叩き込んだ。百メートル以上ある樹が揺らぎ、パラパラと樹皮が落ちてくる。

 樹にめり込んだ拳は、再び苛烈な爆発を引き起こした。

 みきの表面は消し飛び、炎が周囲に広がっていく。さらに畳み掛けようとした時、悠真は足元が揺れていることに気づいた。

 樹の根が藻掻くように動いているのだ。

 悠真は右足を持ち上げ、根の張る地面に叩きつけた。爆発した大地は間欠泉のように吹き飛び、根をズタズタにして炎に沈める。

 猛攻を仕掛けるため前に踏み出すと、今度は後ろから太い根っこが何本も絡みついてくる。

 悠真が振り向くと、そこには根を触手のように使う"樹"があった。それは中央の大樹を囲むように生えていた四本の樹の一つ。

 高さが五十メートル以上はある巨木だ。

 

『こいつを先に倒さないと、ずっと邪魔してきそうだな』


 どの道、カルパヴリクシャがいる"樹"は全て破壊しなければならない。

 悠真は攻撃対象を、やや小さい樹に変え突進した。腕や足に絡みついてくる根や蔦を引き千切りながら、速度を落とさず突っ込んでいく。

 巨体とは思えない疾風怒濤の速さ。足を踏みしめるたび地面が揺れ、樹の魔物が根を持ち上げて防御しようとするが間に合わない。


『おおおおおおおおおおおおおおお!!』


 悠真は左の拳を引き、右足を踏み込む。樹のみきに左の正拳突きが炸裂した。拳は深々とめり込み、大爆発して樹皮を吹き飛ばす。

 悠真は間を置かず畳み掛ける。右の上段回し蹴りで樹に衝撃を与えた瞬間、爆破してさらなるダメージを与えた。

 右足を下ろす際には、そのまま地面に叩きつけ、樹の根元を爆発させる。

 辺りは火の海。五十メートルはあろう樹の半分近くが炎に包まれた。

 悠真は左手の甲から剣を伸ばし、その剣で樹を斬り裂いていく。火が広がり、樹はベリベリと音を立て折れ始めた。

 他の樹から根や蔦で妨害を受けるが、悠真はその全てを燃やし、爆破する。

 目の前にある樹は完全に倒れ、火の海へと沈んでいった。

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