采菽(引用2:諸侯歓待の宴)
大豆を取り取り、かごや箱に盛る。
君子がやってこられるのだ、
何でもてなせばよかろうか。
特段これと言ったものはないけれど、
道を行く車や馬ではどうだろう。
他には何があるだろう、
黒い上り龍をあつらえた服か、
斧の模様をあつらえたズボンか。
こんこんと脇出でる泉のほとり、
清潔なセリを摘む。
君子がやってこられる。
その旗がもう近くで翻っている。
旗はひらひら翻り、鈴がりんりん鳴る。
三頭立て、あるいは四頭立ての馬車で、
君子がやってこられるのだ。
君子は赤い膝覆いを身につけられ、
足にはむかばきを巻き付けている。
かれの振る舞いに弛んだところはない。
それは天子より授けられた。
宴を楽しまれる君子に、
天子が褒美を下される。
宴を楽しまれる君子に、
さらなる祝福がもたらされる。
クヌギの枝には、葉がこんもりと。
宴を楽しまれた君子は、
天子の国の守り手となる。
宴を楽しまれた君子には、
多くの幸福が集い来よう。
左右に侍る従者たちも、
みな連れたってやってきた。
ぷかぷかと水上に浮かぶヤナギの船を
太い綱で係留しておく。
宴を楽しまれる君子に、
天子が褒賞のほどを検討する。
宴を楽しまれる君子に、
幸福は、さらに厚く。
何ともにこやか、ゆったりとしたこと。
そしてまたいつか、君子らは
天子のもとに集うのだ。
○小雅 采菽
何と言うのかな、詩序は「変雅」というカテゴリにとらわれ過ぎておるような気もせぬではない。この詩に幽王批判を見るのは、賓之初筵がごとく「昔はよかった、しかし今は」のロジックを用いれば不可能でもなかろうが、ならばどうして賓之初筵が一詩の中で昔と今とを語っておるのに、この詩では含意だけで語ろうとするのか。ややちぐはぐ過ぎはせぬであろうか。素直に天子が君子を歓待するにあたって、その準備にかけずり回る侍従者が歌っている、と見ておきたいものである。実際のところ次の引用にも出るがごとく、三国魏の時点で詩序を棄却しているのが伺えるしな。
■勝手に賓客と会わないでください!
三國志20 曹幹
朕感詩人常棣之作,嘉采菽之義,
曹操の息子曹幹が、明帝の時代に勝手に賓客と面会した。魏のルールでそれはやってはいけない、とされていたにもかかわらず、である。なので明帝は曹幹に対して「勘弁してください叔父さん」と書をしたためておる。その一節である。常棣が示すのは兄弟仲の睦まじさであるし、采菽は賓客をもてなすことを喜ぶ詩である。身内とは仲良くやりたい、賓客は大事、それはわかる、わかるんだけどさぁ叔父さん、と言った様子である。まぁ、勝手に賓客と会われでもすれば何を吹き込まれるか分かったものでもないものな。
■勉強は滋養
晋書87 李暠
且經史道德如采菽中原,勤之者則功多,汝等可不勉哉!
経典や史書を修め、道や徳を学ぶことは中原で大豆を収穫することにも等しい、学べば学ぶほど功も大きくなるであろうからはげめ、と子らを励ます言葉である。……いいこと言ってんなーこのオッサン。ただし当詩との関与はやや薄いか。無理に寄せれば「君子に歓待されうる君子ともなれる」ともできようが、あまりそこまでやるものでもあるまい。ひとまず当詩の題と同じ言葉が用いられていた、で留めておくべきなのやも知れぬ。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%BA%94#%E3%80%8A%E9%87%87%E8%8F%BD%E3%80%8B
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