采蘋(神をまつる乙女/祭祀を行う士大夫の妻)
乙女 仕事 祭祀 草摘み歌 先祖を祀る
水草を取りましょう、
あの南の谷川のふちで。
もぐさを取りましょう、
あの水たまりの中。
こんもりと積む、竹籠の上に。
そして煮上げる、あの鍋で。
そうして神前に供えましょう。
誰が祭るのか、つつましき乙女が。
○国風 召南 采蘋
神への供物として水草、もぐさは質素なものであるという。それを丁寧に採取し、丁寧に煮上げ、神へとささげる。ここで「季」という感じが「末っ子」といったような言葉で使われることが多いことを思えば、これらの仕事が幼い少女に課せられたものであったろうことが伺われる。もっとも「季女」という言葉そのもので「うるわしき女性」といった意味合いも込められておるようである。
○儒者センセー のたまわく
「大夫妻能循法度也。能循法度,則可以承先祖,共祭祀矣。」
これは士大夫の妻が神への祈りに専心しておることを言う! 妻がよく先祖をまつれば先祖の霊は一門を守ろう! この詩があらわすのは孝の徳の素晴らしさである!
○崔浩先生 やや疑問
(妻は生家よりの姓を改めぬのだが、その妻に別姓の先祖をまつらせるのはどうなのであろうな……?)
■蘋とか蘩とか
宋書2 劉裕中
可改構榱桷,修飾丹青,蘋蘩行潦,以時致薦。
采蘩の言うヨモギ、采蘋の言う水草。どちらもが水辺に植わっており、それを摘むのだ、としておる。
■妻は夫に従うもの
後漢書 84 曹世叔妻「作女誡」
臥之牀下,明其卑弱,主下人也。弄之瓦塼,明其習勞,主執勤也。齋告先君,明當主繼祭祀也。
詩序「以承先祖,共祭祀」を受けての表現であるという。とにかく夫に対してへりくだって、一緒に夫の先祖を祀りなさいよ、とするのである。なおくらすあてね氏よりご教授を賜ったのだが、曹世叔の妻は班昭、つまり大文人班固の妹であり、当人も優れた文人であったという。その文人が妻としての戒めをやけに厳しく残したのには、「それだけ口をすっぱくして戒めなければならない相手がいたから」なのではないか、と仰っておられた。具体的には実家、兄の妻とかな。
■真心さえあれば
左伝 隠公3年4月
況君子結二國之信。行之以禮。又焉用質。風有采繁。采蘋。雅有行葦。泂酌。昭忠信也。
隠公三年にある孔子のコメントである。周の平王が他国と真心のこもらぬ人質交換を決めたせいで、却って外交関係がこじれたことを批判する。真心さえあるのであれば、約束の証なぞ粗末なものでも良いだろう、と語り、それを召南采繁、当詩、大雅行葦、大雅泂酌が示しておるではないか、と語るのである。
■何尚之さんのお宅について
宋書66 何尚之
尚之宅在南澗寺側,故書云「南瀕」,毛詩所謂「于以採蘋,南澗之瀕」也。
文帝劉義隆の覚えめでたかった文人、何尚之が引退し、自宅に引っ込んだ。それを引き留めようとした人が「南瀕の操を捨て、戻ってきてよ」と嘆願した。そう呼びかけたのも、何尚之の家が南澗寺の近くにあり、そしてその寺の名の元ネタが当詩の句であったからだ、と言うことである。ほかの人たちも復帰嘆願をしばしば送ったため、結局何尚之は復帰したのだという。
■溢れかえる
「行潦」が魏書の二箇所に見えておるが、どうもかなり両者の意味がかけ離れておるようにも感ぜられる。前者は洪水の意であり、後者は「溢れかえる」意味のように見える。確かにその根元は同じなのであるが、詩中の「水たまり」からずいぶん大盛りにしたな、と思わぬでもない。
・魏書102 悦般
蠕蠕來抄掠,術人能作霖雨狂風大雪及行潦,蠕蠕凍死漂亡者十二三。
・魏書108.1 礼一
苟誠感有著,雖行潦菜羹,可以致大嘏
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%80#%E3%80%8A%E9%87%87%E8%98%8B%E3%80%8B
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