甘棠(召公・姫奭の徳)

甘棠かんとう 引用22件

邵公奭 良き政 追慕


蔽芾甘棠へいひかんとう 勿翦勿伐こつせんこつばつ 召伯所茇しょうはくしょはつ

 こんもりと茂るヤマナシの木。

 切るなかれ、倒すなかれ。

 召伯さまの安らがれる場ぞ。


蔽芾甘棠 勿翦勿敗こつせんこつはい 召伯所憩しょうはくしょけい

 こんもりと茂るヤマナシの木。

 切るなかれ、傷つけるなかれ。

 召伯さまの憩われる場ぞ。

 

蔽芾甘棠 勿翦勿拜こつせんこつはい 召伯所說しょうはくしょぜい

 こんもりと茂るヤマナシの木。

 切るなかれ、たわめることなかれ。

 召伯さまがお喜びになった場ぞ。




〇国風 召南 甘棠

周の立ち上げを大いに補佐した名臣たる召公・姫奭を「伯」呼ばわりしちゃって大丈夫かよとやや不安なのであるが、この当時の伯はまだ爵位としての名を確立されておらず、あくまで「地方の長」的な意味合いでのみ使われておったようである。特に地位の高い地方長官を「方伯」と呼ぶことがあるが、それはこの当時の伯の扱いから引かれているようである。この詩で紹介を受けているヤマナシの木については、「芸能人の○○さんが立ち寄って一休みした場所!」的な意味合いなのではないか、と思われておる。いずれにせよ姫奭が慕われていたことは伺えよう。




〇儒家センセー のたまわく

「美召伯也。召伯之教,明於南國。」

甘棠の木はまさしく召公の徳の表れである! 甘棠の木の下にて召公は大いに政をなされ、文王の徳を世にお広めになった! ゆえに後世の者たちは甘棠の木を見るごとに召公の偉大さを思い起こすのである! 侵すなかれ、聖人の徳!




■召公奭愛されすぎ問題

史記34 燕召公

召公卒,而民人思召公之政,懷棠樹不敢伐,哥詠之,作甘棠之詩。


周の立ち上げに大いに関わった召公、姫奭。彼がその下で政務を執ったヤマナシの木を見るたびに人々は在りし日の彼を思い出し、追慕したのだという。すなわち「過ぎ去りし日の良き政」の象徴となっている。


・左伝 定公9-1

 詩云.蔽芾甘棠.勿翦勿伐.召伯所茇.思其人.猶愛其樹.況用其道.而不恤其人乎.

・史記130 司馬遷

 燕噲之禪,乃成禍亂。嘉甘棠之詩,作燕世家第四。


・漢書16 高恵高后文功臣表

 至其沒也,世主歎其功,無民而不思。所息之樹且猶不伐,況其廟乎?

・漢書73 韋賢

『詩』云:『蔽芾甘棠,勿鬋勿伐,邵伯所茇。』思其人猶愛其樹,況宗其道而毀其廟乎?

・漢書72 王吉

 昔召公述職,當民事時,舍於棠下而聽斷焉。是時人皆得其所,後世思其仁恩,至虖不伐甘棠 ,甘棠之詩是也。

・漢書87.1 揚雄上

 搜逑索耦皋、伊之徒,冠倫魁能,函甘棠之惠,挾東征之意,相與齊虖陽靈之宮。


・後漢書12 評

 周人之思邵公,愛其甘棠,又況其子孫哉!

・後漢書28.1 馮衍上

 今海內潰亂,人懷漢德,甚於詩人思召公也,愛其甘棠,而況子孫乎?人所歌舞,天必從之。

・後漢書42 劉蒼

 臣知車駕今出,事從約省,所過吏人諷誦甘棠之德。


・晋書5 司馬鄴

 喋喋遺萌,苟存其主,譬彼詩人,愛其棠樹。

・宋書3 劉裕下

 勳濟蒼生,愛人懷樹,猶或勿翦,雖在異代,義無泯絕。


・魏書67 崔光

 詩稱:『蔽芾甘棠,勿翦勿伐,邵伯所茇。』又云:『雖無老成人,尚有典刑。』傳曰:『思其人猶愛其樹,況用其道不恤其人。』




■亡き陶謙さまは偉大であった

三國志8 陶謙

謙死時,年六十三,張昭等爲之哀辭曰:「猗歟使君,君侯將軍,膺秉懿德,允武允文,體足剛直,守以溫仁。令舒及盧,遺愛于民;牧幽曁徐,甘棠是均。」


孫策と孫権の父である孫堅が勢力を固めていたエリアの北、徐州を守っていた武将の陶謙が死亡。その配下として働いていた、のちに呉の元老となる張昭が述べた弔問の辞である。「文武両道、仁義にも秀で、よく民を愛された。その徐州の統治を讃えるには召公奭に等しいと言えるだろう。」と、まぁ要はべた褒めしている。




■諸葛亮サマの偉大さは記録されるべき1

・三國志35 諸葛亮 注

・宋書17 礼四

「臣聞周人懷召伯之德,甘棠為之不伐;越王思范蠡之功,鑄金以存其像。」

ショカツリョーサマの偉業については、召公奭が政務をとったヤマナシの木を切り倒さずにとっておいたことや、戦国時代に越の国を覇者にまで仕立て上げた范蠡の功績を思い、越王が像を鋳立したことを引き合いに出し、その功績も残されねばならんのです! と劉禅に申し出た者がいたそうである。




■諸葛亮サマの偉大さは記録されるべき2

・三國志35 諸葛亮

今梁、益之民,咨述亮者,言猶在耳,雖甘棠之詠召公,鄭人之歌子產,無以遠譬也。


こちらは陳寿が司馬炎に奏上した言葉。梁州や益州、つまり漢中や蜀の民がいまもなお諸葛亮を讃えていると報告。召公奭を周の人びとが敬慕したことや、鄭の国を大いに繁栄させた政治家の子産を、その死後も鄭人らが歌い継いだことを引き合いに出し、諸葛亮人気は彼らの伝説に勝るとも劣らないんです、と熱く語ります。男・陳寿です。




■ルールに恣意を交えれば死ぬ

晋書30 刑法 序

乃化蔑彝倫,道睽明慎,則夏癸之虔劉百姓,商辛之毒{疒甫}四海,衛鞅之無所自容,韓非之不勝其虐,與夫『甘棠』流詠,未或同歸。


刑法をまともに運用しなかったため、夏の桀、殷の紂、戦国秦の商鞅、そして韓非子はみな法によって殺された。いやはや、召公奭とは大違いだ! だからきっちりルールを守ろうね! それを破ったらどうなるかをここから解説していくよ! と言った感じのノリである。




■羊祜が残したもの。

晋書34 羊祜

昔召伯所憩,愛流甘棠。


羊祜は死亡の直前、以前自らのもとで働いてくれた者たちと再度働きたいともと部下たちを召喚。しかし、かれらが集結する前に死んでしまった。本来であれば招集された彼らも解散されるはずであったが、彼らは羊祜の後任たる杜預に語っている。召公奭の愛したヤマナシの木はみなが切らずにとっておいたことを告げ、「木ですら切り倒されずにおられるのだ、まして我々は人なのだから」と、そのまま杜預の下で働きたいと申し出てきたという。上司が上司なら部下もかっけええ一件である。




■西晋末期の荊州の名太守を追慕。

晋書66 劉弘

父老追思弘,雖『甘棠』之詠召伯,無以過也。


西晋末の大乱で各地が悲惨な戦火に没する中、劉弘の守る荊州のみは小康状態を保てていた。そんな劉弘の死後、人々は「あのお方の統治は召公奭レベルと言っても過言ではありません!」と激賞した、というわけである。




■劉弘さんまじぱねー、ぱねーんす!

晋書66 評

備連率之儀,威騰閫外;總頒條之務,禮縟區中。委稱其才,『甘棠』以之流詠;據非其德,仇餉以是興嗟。


その統率力で外部にはがっつりにらみを利かせ、粛然とした統治力で国内をぴっちり整えた。召公奭を讃えるレベルと称するしかないし、もしそのレベルの威徳ないものの統治であったら、八王の乱~永嘉の乱でひどいことになっていた中原と同じように、荊州もグズグズになっていたのだろうな、的に語られておる。




■謝安の孫、過ぎし時を嘆く(フリ)

・晋書79 謝安 孫 謝混

・世説新語 規箴27

桓玄欲以謝太傅宅為營,謝混曰:「召伯之仁,猶惠及甘棠;文靖之德,更不保五畝之宅。」玄慚而止。


この条についてズバッと語ってしまえば「カッコイイ詩経引用かくあるべし」であろう。東晋を代表する大宰相の謝安死後、その邸宅を魔改造しようとした桓玄に対し、謝安の孫たる謝混が「召公奭の徳は甘棠の木の下にすら及んだのに、我が祖父、文靖公謝安様の徳はこの小さな家をすら満たせぬのか」と嘆いたため、桓玄は恥じて取りやめた、というのだ。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%80#%E3%80%8A%E7%94%98%E6%A3%A0%E3%80%8B

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