草蟲(出征した夫を憂う/士大夫の帰りを待つ妻)
妻→夫 出征 残された者 妻の礼節 仕事
くさむらには虫の鳴き声が響く。
バッタははたはたと跳ね回る。
あなたに会えぬうちには、
心もそぞろ。
そのお姿を見て、
お顔と顔とを合わせて、
初めて落ち着くことでしょう。
あの南の山に登り、ワラビをつむ。
あなたに会えぬうちには、
憂いが心をかきむしる。
あなたに会えぬうちには、
心もそぞろ。
そのお姿を見て、
お顔と顔とを合わせて、
初めて私は喜べましょう。
あの南の山でゼンマイをつむ。
あなたに会えぬ私の心は、
常に痛んでいます。
そのお姿を見て、
お顔と顔とを合わせて、
初めて心安らかになるのでしょう。
○国風 召南 草蟲
つくづくこの召南という章は周南の対なのだな。巻耳とテーマが思い切りかぶっているではないか。しかしこちらのご婦人はそれでも手は動いておられているようである。もっとも、そのざるの中にいかほどの山菜が積まれてるのかにはやや疑問符がつかぬでもないのだがな。ときに日本の感覚だとワラビやゼンマイは春というイメージなのだが、この詩が比定されておる季節は秋である。日本で言うそれとは、やはり種類が違うのやもしれぬ。
○儒家センセー のたまわく
「大夫妻能以禮自防也。」
士大夫の妻はいかに礼節によって己を守るか、それこそが重要である! この詩においては「いかに妻が夫の留守を守るか」の心がけを語っておるのである! 心のうちはさておき、仕事はな! 仕事はせねばな!
■君がいなくて不安だったねん!
後漢書42 劉蒼
詩不云乎:『未見君子,憂心忡忡;既見君子,我心則降。』思惟嘉謀,以次奉行,冀蒙福應。
光武帝の息子のひとりである劉蒼は、歴代皇帝より大いに重んじられておったそうである。ここの記述も上手くは読み解けぬのだが、地震があったときの対応によって章帝よりお手紙を貰っている。当詩より引き寄せると「劉蒼がいない間は不安で仕方がなかったが、来てくれたので一安心だ!」と言われておるようで、どれだけ信頼されておったのだ、と戦慄するより他ない。
■君子とは夫
後漢書84 曹世叔妻
是以美隱而過宣,姑忿而夫慍,毀訾布於中外,恥辱集于厥身,進增父母之羞,退益君子之累。
才女である曹世叔の妻が著した、当時の女性の処方をまとめた書の一節である。「君子」という単語で引っ張り出すのはやや危ないのだが、後漢書の注をなした李賢がここの君子を「夫である」と、当詩を引いて語っておるので紹介しておこうと思う。なお上掲文の要旨を一発で紹介すると「出しゃばると睨まれるので引っ込んどけ」である。現実的に過ぎる。
■盧毓さん、夫婦の情を語る。
三國志22 盧毓
夫女子之情,以接見而恩生,成婦而義重。故詩云『未見君子,我心傷悲;亦旣見止,我心則夷』。
曹操が丞相となっていた頃、逃亡兵は家族もろとも処刑、がルールであった。逃亡兵の妻であった白等という女性がいたのだが、彼女は嫁となってまだ日が浅く、まともに夫と接点がなかった。なのに逃亡兵の妻として殺されかけたので、盧毓が「いやいやまだろくろく情も移っていませんよ、妻としての日々があって、ようやく“夫の帰還に心安らぐ”というものでしょう」と、彼女の処刑に待ったをかけたのである。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%80#%E3%80%8A%E8%8D%89%E8%9F%B2%E3%80%8B
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます