燕燕(大いなる別離/国の乱れの悲しみ)
妻と妾 友情 別れ 衛荘公
並び飛ぶ燕はひらひら羽をかわす。
彼女が帰りゆく姿を遠く見送る。
姿が見えなくなるまで見送れば、
涙は雨のよう。
燕が並び飛び、上下に飛び交う。
彼女が帰りゆくのを送り出す。
やがて影すら見えなくなり、
たたずみ、ひとり泣く。
燕が並び飛び、声も上下する。
彼女が帰りゆく姿を南に見送る。
やがてその姿が見えなくなれば、
私の気持ちは落ち着かない。
あのお方は深く満ち足りたお方。
あくまで穏やか、情け深く、
その身を慎んでおられた。
亡き君のことを忘れず、
私を励ましてくださった。
〇国風 邶風 燕燕
「二羽の燕が離れ離れになるのを悲しむ歌」である。へたに故事に沿わずに拾えば、「睦み飛び交う二羽の燕のように」仲の良き二人の女が、夫の死後に別離する、となろうかな。この時点で十二分の詩情を有しており、ならばそこで解釈を止めるのも一つの手とは思う。のだが、ここでは儒家センセーのお言葉を引く方が良かろう。
〇儒家センセー のたまわく
「衛莊姜送歸妾也。」
衛の荘公が死んだ時、残された正妻の姜氏が、妾の一人である戴媯の里帰りを見送ったときの詩である! この故事は春秋左氏伝の隠公三年隠公四年条に詳述されておる!
荘公との間に子宝に恵まれなかった姜氏が荘公と戴媯との間に生まれた子を自らの養子とした! のちの桓公である! しかし荘公、なにせ姜氏が苦手である! というのも彼女はその姓が示す通り、大国「斉」出身の令嬢である! 一地方国家の主に過ぎなんだ荘公は彼女及びその養子には情を注がず、身分の低い側女と、その間に生まれた子をいつくしんだ! ともなれば荘公の死後、息子たちが国主の座を求めて争い合うのは自明の理であろう! しかも結果は桓公の敗死! 二人の母のその後の立場たるやお察しである!
ただし、時系列を追うと桓公敗死の段階で姜氏および戴媯が生存していたかはどうも怪しいようである! 歴史事実というよりは、衛国で起こったこの痛ましき後嗣問題について姜氏の独白であるかのように仮託し、歌われたと見るのが良いのであろう! ここには正妻と側女の序を荒らすことによって生じる問題が示されておる! 夫は夫で、そのあたりのケジメをきっちりとつけておくべきなのである!
■衛荘公とは
史記37 衞康叔世家
莊公五年,取齊女為夫人,好而無子。又取陳女為夫人,生子,蚤死。陳女女弟亦幸於莊公,而生子完。完母死,莊公令夫人齊女子之,立為太子。
衛とは周武王の弟が封じられた国である。莊公が陳から迎えた嫁はふたりおるのだが、ここで戴媯は後者である。しかしご覧の通り、史記に基づけば戴媯は早々に死去しており、いったい儒者センセーは何を語っておられるのだ……? ときょとんとせずにおれぬ。
■別れの悲しみ
後漢書10.1 和熹鄧皇后
今當以舊典分歸外園,慘結增歎,燕燕之詩,曷能喻焉?
鄧皇后は夫たる和帝の死後多くの後継者の死に見舞われ、生後わずか百日の殤帝を擁立するに至った。そのときの言葉の一節である。燕燕の詩に託す思いは、別れの悲しみの部分が非常に大きいよう見受けられる。
■頡頏、すなわち拮抗
「拮抗」を引くと、その異字として頡頏が示される。「上下に飛ぶ」意味合いからどう派生したのかはわからぬが、後漢書、三國志、晋書を見る感じではすでに現代で見る「拮抗」と同様の用いられ方をしておるのがうかがわれる。どのタイミングで派生が生じたのかは上手く見出せぬ。なにがしかの意味の合流があったのであろうかな。
・後漢書64 史弼
史弼頡頏嚴吏,終全平原之黨,而其後不大,斯亦未可論也。
・三國志35 諸葛亮 注
委質魏氏,展其器能,誠非陳長文、司馬仲達所能頡頏,而況於餘哉!
・晋書35 評
周稱多士,漢曰得人,取類星象,頡頏符契。
・晋書70 応詹
每憶密計,自沔入湘,頡頏繾綣,齊好斷金。
・晋書72 郭璞
傲岸榮悴之際,頡頏龍魚之間,進不為諧隱,退不為放言
・晋書92 文苑 序
及金行纂極,文雅斯盛,張載擅銘山之美,陸機挺焚研之奇,潘夏連輝,頡頏名輩
・魏書85 文苑 序
逮高祖馭天,銳情文學,蓋以頡頏漢徹,掩踔曹丕,氣韻高豔,才藻獨構。
■たたずみ、立つ。
「佇立」という言葉を史書上で拾うと、基本的には悲しみを背負うて立つ意味合いで用いられておるようである。となると、当詩に込められた思いをやや凝縮して文章中で示す、と言った形にもなってこよう。
・後漢書76 王景
耆老聞者,皆動懷土之心,莫不眷然佇立西望。
・宋書22 楽四
濟西海,濯洧盤。佇立雲岳,結幽蘭。
・魏書56 崔弁
斯用痛心徘徊,澘然佇立也。
・魏書65 李諧
望鄉村而佇立,曾不遙之河廣。
・魏書78 張普恵
普惠被召,傳詔馳驊騮馬來,甚迅速,佇立催去,普惠諸子憂怖涕泣。
■いたましきは心
緑衣の「実獲我心」と対になっておる感じがあるのが興味深いところであるな。そしてそのどちらもが、詩情より拾えば「ネガティブな心情を観察する」意味で共通もする。この辺りの句の関連性より、衛荘公絡みの話を仮託するのに一役買ったのやも知れぬ。
・後漢書42 劉蒼
瞻望永懷,實勞我心,誦及采菽,以增歎息
・晋書94 宋繊
其人如玉,維國之琛。室邇人遐,實勞我心。
■伯と仲
漢書100.2 敍傳下
太上四子:伯兮早夭,仲氏王代,斿宅于楚。
伯は長男であり、仲は中間子。それだけのことであるのだが、ならば伯早夭,仲王代でも別によかろうに、となるのだが、句形を整えるための、いわゆる衍字が求められる。そのときに用いられた際「よっしゃ詩経から援用すんべ!」となった……と、漢書に注を施した顔師古が語っておる。いわく衞風伯兮と当詩からの拾い上げであろう、とのことである。
■篤厚誠實,思慮深遠。
上記は「塞淵」句を引くと出てくる意味合いである。当詩のふいんきから勝手に水際で塞ぎ込む人物像を思い描いたのだが、まったく違ったらしい。引用を見てみても、なるほど、確かに柔和で思慮深そうなタイミングでの用いられ方であるな。
・漢書100.2 敍傳下
安世溫良,塞淵其德,子孫遵業,全祚保國。
・三國志57 虞翻 注
丁子賤塞淵好德,堂構克舉,野無遺薪,斯之為懿,其美優矣。
・宋書41 武帝胡婕妤
伏惟先婕妤柔明塞淵,光備六列,德昭坤範,訓洽母儀。
■身を慎む、温かなお方
燕燕の詩は「素敵なお方」的ボキャブラリーの宝庫となっておるようである。淑慎其身や終溫且惠はやや用法が少ないものの、少ないからこそ逆に狙い目ですわよ奥様[[誰?]]。
・漢書100.2 敍傳 下
衞、直、周、張,淑慎其身。述萬石衞直周張傳第十六。
・三國志34 甘皇后
皇思夫人履行脩仁,淑慎其身。
・晋書31 左貴嬪
日新伊何,克廣弘仁。終溫且惠,帝妹是親。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E7%87%95%E7%87%95%E3%80%8B
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