日月(顧みられぬ妻の悲哀)
結婚 妻→夫 見限り 衛荘公
日月はいつでも下界を照らすのに、
どうしてあの人は、
古の賢人のごとく振舞えぬのか。
心も落ち着けず、
なぜ私を顧みてくれないのか。
日月は下界を覆い照らすのに、
どうしてあの人とは、
慈しみあえないのか。
心も落ち着けず、
なぜ私に報いてくださらぬのか。
日月は東方より出でる。
どうしてあのお方には
こうも徳のきざしがない。
あのお方の心は定まらず、
ゆえに私の心も落ち着かぬ。
日月は出でる、東方より。
ああ、父よ、母よ。
どうして私より先に逝かれたのです。
あのお方の心は定まらず、
私に降りかかるのは苦しみのみ。
〇国風 邶風 日月
夫につれなくされていることを嘆き悲しむ詩である、という。「貴方は私に取り、太陽のごときお方。しかし太陽であればあまねく大地を照らしもしように、あなたが私を照らし出してくださることはない」。周南の樛木を引き合いに出せば、「不妬の徳」があくまで「太陽が均等に降り注がれる」場合にのみ成立しうるものである、とは言えようか。現代でも一夫多妻制を残すアラブの辺りでは、夫には「すべての妻を等しく愛する」ことが責務になる、という。そのあたりのことを逆説的に説いている詩、とは言えそうである。もっとも、現在であれば単純に「浮気ダメ絶対」で完結してもよいのかな。
〇儒家センセー のたまわく
「衛莊姜傷己也。遭州吁之難,傷己不見答於先君,以至困窮之詩也。」
この詩も引き続き衛の荘公の妻、姜氏の境遇について歌われたものである! 荘公の妻への無体な仕打ちが、最終的にいかなる事態を引き起こすかについてかみしめながら姜氏の味わった悲哀をかみしめるべきである!
■日と月
「日月」で検索を掛けたら 487 件が該当したので華麗にスルーである。と言うわけで二件のみ、二件のみなのである。よいか、二件のみである。そしてここで挙げている内容はやや興味深いものとなる。と言うのも諸葛亮伝の注でひかれるここの文章は西晋末の能吏、劉弘がいまし日の偉大なる政治家を思っての文であり、そして陶淵明の曾祖父陶侃は、その劉弘の引き立てにより栄達の途についた。220年頃の諸葛亮→320年頃の劉弘→420年頃の陶淵明と、タイムスパン的にも似ておる。まぁただのこじつけであり、偶然にすぎぬのであろうがな。
・三國志35 諸葛亮 注
日居月諸,時殞其夕,誰能不歿,貴有遺格。
・宋書93 陶潜
人亦有言,斯情無假。日居月諸,漸免于孩。
■禹と舜の父への対応
魏書43 房法寿
問禹以鯀配天,舜不尊父曰:明明上天,下土是冒。
魏書に載る学者、房法壽のQ&A集の一節。「なんで禹は罪人であるパパを奉ったのに、舜は罪人ってわけでもなかったパパを尊ばなかったねん」という問答である。その回答は「まぁ私生児だったしね? どう考えても自分に位を譲ってくれた堯王を優先して崇めるよね?」となるのだが、正直よくわからぬ。ともあれその冒頭で「はるか上天よりの輝きが天下を照らす」と、当詩の句を引き、語るのである。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E6%97%A5%E6%9C%88%E3%80%8B
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