泉水(帰郷が叶わぬ夫人の郷愁)

泉水せんすい 引用 7 件

亡命 望郷 衛 妻



毖彼泉水ひかせんすい 亦流于淇えきりゅうきき

有懷于衛ゆうかいうえい 靡日不思びじつふし

孌彼諸姬れんかしょき 聊與之謀りゅうよしぼう

 さらさらと流れる川、泉水は、

 また淇水へと流れ込む。

 遠き故郷、衛の国を思う。

 思わぬ日などない。

 私と共に出てきた親族の子らと、

 しばし語らい、相談しよう。


出宿于泲しゅつしゅくうせい 飲餞于禰いんせんうでい

女子有行にょしゆうぎょう 遠父母兄弟えんふぼけいてい

問我諸姑もんがしょこ 遂及伯姊ついきゅうはくし

 衛を出発し、泲にて宿を取り、

 禰にて食事をした。

 女子は嫁ぎゆくのがさだめ。

 父母兄弟とは遠ざからねばならぬ。

(両親はすでに亡くなった。)

 せめて叔父や叔母に、

 兄や姉にお会いしたい。


出宿于干しゅつしゅくうかん 飲餞于言いんせんうげん

載脂載牽たいしたいけん 還車言邁かんしゃけんまい

遄臻于衛たんしんうえい 不瑕有害ふかゆうがい

 衛に戻る道のりを思う。

 干で宿を取り、言で食事を

 することになるのだろう。

 車のメンテナンスをしっかりとし、

 車を馬につなげ、

 息せき切って帰還するのだ。

 衛にはすぐにも戻れようが、

 果たして邪魔はされまいか。


我思肥泉がしひせん 茲之永歎じしえいたん

思須與漕ししゅよそう 我心悠悠がしんゆうゆう

駕言出遊がげんしゅつゆう 以寫我憂じしゃがゆう

 あの豊かな泉のことを思い出す。

 ただただ歎ぜずにおれぬ。

 衛国の村、須や漕のことを思う。

 思いはどこまでも、遠くまで。

 せめて車に乗って、

 気晴らしをしたいものだが。




〇国風 邶風 泉水

淇水は衛国をながれる川で、衛水に注ぎ、やがては海水かいすいとなり、渤海に注ぐ。泉水は更にその支流。詩を歌う女性は衛国の比較的近隣に嫁いだようであるが、徒歩もしくは馬車でしか移動できぬ当時の距離感覚では、遥か地平のかなたといった装いであろう。父母の死亡は詩中に現れておらぬが、孝の立場からすれば仮に両親と不和であってもそこを言明するはずもない。すなわち両親の訃報を得て、故郷のことを思うに至った、と解釈すべきであろう。行きと帰りで通過する町が違うのは、別の町であるのか、あるいは同じ町の名が、時とともに変わったのか。いずれにせよ嫁ぐ際に一緒にやってきた親族の娘たちと帰還の妄想を語り合うことまでしか許されておらず、自分は死ぬまでこの地にとどまらねばならぬ。ならばせめて遠乗りなどして気晴らしをしたいのだが、と語られるわけである。



〇儒家センセー のたまわく

衛女思歸也。嫁於諸侯,父母終,思歸寧而不得,故作是詩以自見也。

春秋五覇としてたたえられる、斉の桓公が現れるころ、衛国は騎馬民族の侵略により滅亡した! すなわち衛国は乱倫による混乱、やがて侵略を受けての滅亡、というさだめを辿っておる! 見ようによっては衛国の外に嫁に出たものが衛国の滅亡を知り、嘆いたようにも受け止められよう! いずれにせよ歌われるは、帰郷を求めどかなわぬ夫人の郷愁、である!



■亦流于淇

漢書28 地理志

河內 本殷之舊都,周既滅殷,分其畿內為三國,詩風邶、庸、衛國是也。……故邶、庸、衛三國之詩相與同風。……邶又曰「亦流于淇」


漢書地理志では、河内郡の解説を長々と取り、その情景描写として本詩の「亦流于淇」を紹介する。ただし水経図を見ると淇水は河内郡よりだいぶ東に逸れておる。ま、まあ「あの周辺」と見ればよい……のか?



■オメー霊太后どうするつもりだオイ

魏書78 張普恵

雖子尊不加於父,乃天下母以義斷恩,不可遂在室之意,故曰「女子有行,遠父母兄弟」。


張普恵とは北魏末期、霊太后胡氏ちょうやべえんだからほっとくんじゃねえいい加減にしろよオイと皇帝に詰め寄ったおじさんであり、ここでも胡氏がなんか自分の父親に「太上秦公」なる、まるで皇帝の父がごとき称号を与えるとか言いだしているのをいい加減にしろやべーだろオイと当時の皇帝にこっそり言いつのったお手紙の一節である。「いくら自身が偉くなっても他家の妻となった以上父親はもう別もんでしょ!」と説得するに当たり、当詩の句を引くのである。



■親子は順番に並べろや

左伝 文公2-8

『魯頌』曰:「春秋匪解,享祀不忒。皇皇后帝,皇祖后稷。」君子曰禮,謂其后稷親,而先帝也。詩曰:「問我諸姑,遂及伯姊。」


文公は僖公亡き後魯公位を継ぎ、偉大なる父を祀るにあたって祖父の閔公よりも扱いを重くしようと考えた。そこを時の臣下がフルボッコにしておる。当詩でも「享祀不忒」、親子の順を違えなかったと引いて君主の聖明さより親子の順のほうが重要だろーがよ、と言うのである。更に孔子まで国風の泉水を引き「物事を問う順番は父の姉妹が先、姉に聞くのはその次と歌ってんじゃねえか」とかみつく。えっそこ一緒にするの……?



■とっとと帰る

やや一般句的ではあるのだが、「急いで帰る」の雅語的に用いられておる印象もある。実際孟嘗君伝では秦の使者が孟嘗君からの復讐に怯えて即逃げ帰るのに用いられ、譙周は出歩こうとしたところを光武帝が臣下に諫められて即引き返したことを語り、拓跋宏は拓跋丕の歌が聴きたかったから即戻ってきたのだ、と語る。単に「引き返す」というよりは少しばかり重い表現のようである。


・史記75 孟嘗君

秦之使者聞孟嘗君復相齊,還車而去矣。

・三國志42 譙周

『天下未寧,臣誠不願陛下細行數出。』即時還車。

・魏書14 拓跋丕

及高祖還代,丕請作歌,詔許之。歌訖,高祖曰:「公傾朕還車,故親歌述志。」



■劉裕くんはしゅごい

宋書100 沈田子

公躬秉鈇鉞,稜威首塗,戎輅載脂,則郊壘疊卷,崤陝甫踐,則潼塞開扃。


劉裕が長安を平定するにあたり、「うちの沈田子の功績やべえんですわ」と安帝に報告した際の安帝よりの返答の一節である。なお返答では一切沈田子に触れられておらず劉裕の功績称揚に留まっており、おまえさぁそれ自序じゃなくて本紀に書いておくべきなんじゃねえのかオイィ……? と思わされずにおれぬ。ともあれ上記内容は詔勅なので、まぁ当然雅語として載脂は用いられてますよねと言う感じである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E6%B3%89%E6%B0%B4%E3%80%8B

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