酌(引用4:武王、殷を討つ)

しゃく



於鑠王師おしゃくおうし 遵養時晦じゅんようじかい

時純熙矣じじゅんきいー 是用大介ぜようだいかい

 なんとも輝かしき、武王の軍。

 はじめこそ昏君の無道の元で

 こらえてはおられたが、

 やがて光貴なる武もて立ち上がり、

 大いなる天の助けも得、

 天下の主となられた。


我龍受之がりゅうじゅし 蹻蹻王之造きゃくきゃくおうしぞう

載用有嗣さいようゆうし

 武王は仰る。

 我、天よりの寵を頂戴し、

 偉大なる王としての武を得た。

 この威徳、子々孫々にもたらさん。


實維爾公允師じついじこういんし

 これぞ武王のなされた大事業。

 その戦、実に偉大なるもの。




○周頌 酌

題は「鑠」字がどこかですり替わった、とは野村和広氏が『『詩經』篇名攷』

http://id.nii.ac.jp/1284/00001652/

で検証されていたことであるが、その仮説以外に考えようがない印象はある。偉大なる武王の武を祝って乾杯することが多かったので、「酌」で当て字をした、という感じなのやもしれぬな。



■弱きを味方につけよ


春秋 宣公12-6

仲虺有言曰。取亂侮亡。兼弱也。汋曰。於鑠王師。遵養時晦。耆昧也。


晋が鄭に救援の軍を向かわせた。楚より受けている攻撃を防ぐためである。しかし進軍中に鄭陥落の報が届く。そこで軍中で相談し、「楚が鄭から撤収したところで向かおう」と判断する。その理由に殷湯王の側近である仲虺の「乱れたところを取れ、滅びた者を侮れ」という発言であるとか、当詩に載る「麗しき王の軍をよく養い、迷妄の者を取れ」と語る、とするのである。しかし「時」字の扱いが謎すぎてよくわからぬ。




■鑠=矍鑠

と書いてしまえば、話が早いであろう。徳が生き生きとして輝かしく、盛んな様を表している。なのでわりとたくさん史書中に登場するのであるが、注釈がついているもの以外は華麗にスルーする。よほど特殊な字でもなければ、ひと文字引用を拾うのはどうしても地獄なのである。


・後漢書40.2 班固下

 亦以寵靈文武,貽燕後昆,覆以懿鑠,豈其為身而有顓辭也?

・漢書87.2 揚雄

 酌允鑠,肴樂胥,聽廟中之雍雍,受神人之福祜

・後漢書23 竇融 曾孫 竇憲

 鑠王師兮征荒裔,勦凶虐兮𢧵海外,敻其邈兮亙地界,封神丘兮建隆嵑,熙帝載兮振萬世。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B9%9D#%E3%80%8A%E9%85%8C%E3%80%8B

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