桓(引用25:周建立による天の祝福)

かん



綏萬邦すいばんほう 婁豐年るふうねん 天命匪解てんめいひかい

桓桓武王かんかんぶおう 保有厥士ほゆうくつし

于以四方ういしほう 克定厥家こくていくつか

於昭于天おしょううてん 皇以閒之こういかんし

 武王が殷を討ち、周を立て、

 各国を安んじた。

 これによって豊作の年多くなるも、

 しかし武王はたゆまず天命に従われた。

 そして武王はその武威を保ち、

 周の内外をもよくお整えになった。

 ああ、まさに周は天下の主として、

 殷の代わりとなられたのだ。




○周頌 桓

うむ。「割とただの武力制圧」という仮説を持ち込むと、大変白々しくてよいな。なお『逸周書』諡法解には、桓について「遠方をも服属させた(辟土服遠)」「人々を勤勉な暮らしに導いた(克敬勤民)」「多くの領土を獲得した (辟土兼國)」と言った意味合いを当ててきておる。偉大な武力持てる王、と言う意味合いともなるが、「武」はそれらを包括した、更に上位の諡となるのである。




■桓桓、武威のあらわれ

単独で諡にすら採用される字を重ねるのであるから、それはもう「武威めっちゃすごい」となるわけである。それにしても、このあたりの「由緒正しき表現」が、以前より晋書より多用される傾向が見えておったが、してみると「やや権威の面で弱かった」晋、「新しいが過去の権威を継ぎ、天下の主として権威を示したかった」唐とで、ボキャブラリーの段階から権威を示すべく意図的な引用が増えた、としても良いのかもしれぬな。


・ 史記4 周武王

 尚桓桓,如虎如羆,如豺如離,于商郊,不禦克犇,以役西土,勉哉夫子!


・漢書69 趙充国

 在漢中興,充國作武,赳赳桓桓 ,亦紹厥後。

・漢書100.2 敍傳下

 長平桓桓 ,上將之元,薄伐獫允,恢我朔邊,


・後漢書80.2 高彪

 古之君子,即戎忘身。明其果毅,尚其桓桓 。


・晋書23 楽下

 桓桓征四表,濟濟理萬機。

・晋書56 孫楚

 相國晉王輔相帝室,文武桓桓,志厲秋霜,廟勝之算,應變無窮,獨見之鑒

・晋書60 索靖

 虫蛇虬蟉,或往或還。類阿那以羸形,欻奮釁而桓桓。

・晋書70 卞壼

 朝廷威力誠桓桓,交須接鋒履刃,尚不知便可即擒不?

・晋書92 袁宏

 桓桓魏武,外託霸跡。志掩衡霍,恃戰忘敵。

・ 晋書97 吐谷渾

 今士馬桓桓,控弦數萬,孤將振威梁益,稱霸西戎

・晋書118 姚興

 成都曰:「魏自柴壁克捷已來,戎甲未曾損失,士馬桓桓,師旅充盛。

・晋書122 呂纂

 卿恃兄弟桓桓,欲欺吾也,要當斬卿,然後天下可定。

・宋書20 楽二

 自古立功,莫我弘大。桓桓征四國,爰及海裔。

・宋書21 楽三

 桓桓猛毅,如羆如虎。二解發砲若雷,吐氣成雨。

・宋書22 楽四

 桓桓征四表,濟濟理萬機。

 桓桓武烈,應時運。

 神武一何桓桓!聲烈正與風翔。

・宋書44 謝晦

 臨八方以作鎮,響文武之桓桓。

・宋書61 劉義季

 彼為元統,士馬桓桓,既不懷奮發,連被意旨,猶復逡巡。

・宋書93 陶潛

 桓桓長沙,伊勳伊德。天子疇我,專征南國。功遂辭歸,臨寵不惑。孰謂斯心,而可近得。

・宋書95 索虜

 十道並進,連營五千,步騎百萬,隱隱桓桓。


・魏書23 衞操

 存亡繼絕,一州蒙祜。功烈桓桓,龍文虎武。




■収穫多かれば


後漢書40.2 班固下

百穀溱溱,庶卉蕃蕪;屢惟豐年,於皇樂胥。


班固が詠んだ「靈臺詩」の一節である。周の文王を祀るとされる霊台を漢の文帝が祀り、そうして豊穣が約束された、とするのである。




■ヘーカの徳が万全なら


漢書81 匡衡

『詩』云:「於以四方,克定厥家。」傳曰:「正家而天下定矣。」


元帝が太子を蔑ろにして妾の子を後継者に据えようとしたときにぶちかました、長々とした諫言の締めの言葉である。陛下に徳があれば勝手に国内はよくなりますよ、と言うわけであるが、それを「不徳の行動をぶちかましておる」元帝に向け放っておるあたり、この人の諫言はなかなかにエグい。




■京観? 都の眺めですかね?


左伝 宣公12-6 

止戈為武.武王克商.作頌曰:「載戢干戈,載櫜弓矢。我求懿德,肆于時夏。允王保之。」又作武,其卒章曰:「耆定爾功。」其三曰:「鋪時繹思,我徂維求定。」其六曰:「綏萬邦,屢豐年。」夫武,禁暴,戢兵,保大,定功,安民,和眾,豐財者也。


宣公の治世時、楚と晋が戦争を起こし、楚が勝利した。ここで楚の士大夫が「京観を作って勝利を祝いましょう!」と語るのだが、楚王がアホか、と上記発言をする。要は武とは無道を止めるものであり、暴虐のために使うものではない、としたのである。なおあえて伏せたが、京観とは打ち破った敵の死体の首を切って首塚を作ることを言う。


なおこの書き方だと当詩の終章、三章、六章にそれぞれ引用があるとなっておるが、ご覧の通り、当詩は一章編成。そしてここで言う終章は先に紹介した武に、三章として引いておる詩は後に紹介する賚に、そして六章は当詩にそれぞれ現れる。どの段階で当詩が分裂し、別々の詩として扱われたのであろうかな。




毛詩正義

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