谷風(夫に捨てられた妻/夫婦の道の喪失)

谷風こくふう 引用28件

結婚 妻→夫 見限り 恨み



習習谷風しゅうしゅうこくふう 以陰以雨じいんじう

黽勉同心じょうべんどうしん 不宜有怒ふぎゆうど

采葑采菲さいふうさいひ 無以下體むじかたい

德音莫違とくおんばくい 及爾同死きゅうじどうし

 谷間からの風が吹き、曇り、雨に濡れる。

 ともに勤めてきた仲だというのに、

 どうしてそう怒るのですか?

 カブラやダイコンを抜くときにも、

 根のみを抜くわけではありますまいに。

 思い合う心さえ通じれば、

 死ぬまで一緒と思っていたのに。


行道遲遲ぎょうどうちち 中心有違ちゅうしんゆうい

不遠伊邇ふえんいじ 薄送我畿はくそうがき

誰謂荼苦すいいとく 其甘如薺きかんじょさい

宴爾新昏えんじしんこん 如兄如弟じょけいじょてい

 あなたの元より去りゆく道を

 鬱々と進む進む我が足取りは重い。

 見送りは近場で済まされた。

 ほんの庭先まで。

 ニガナの苦みとて、

 我が心の苦みと比べれば、

 ナズナが如く甘きもの。

 新たに迎えた妻と、兄弟のごとく、

 仲良くされるがよい。


涇以渭濁けいじいだく 湜湜其沚こんこんきし

宴爾新昏えんじしんこん 不我屑以ふがしょうじ

毋逝我梁ぼせいがりょう 毋發我笱ぼせいがこう

我躬不閱がきゅうふえつ 遑恤我後こうじゅつがご

 濁った涇水は清い渭水に流れ込み、

 その流れを濁らせるも、

 水際には澄んだ部分をも残す。

 私にも見るべきところはあるでしょうに、

 新妻が大事で、見向きはせぬのですね。

 新妻よ、私の通した梁に近付くな。

 私の編んだ魚籠を使ってくれるな。

 いや、もはやそれらも私には

 あずかり知らぬものなのだが。

 今更それらを惜しんで、何の益があろう。


就其深矣しゅうきしんいー 方之舟之ほうししゅうし

就其淺矣しゅうきせんいー 泳之游之えいしゆうし

何有何亡かゆうかぼう 黽勉求之じょうべんきゅうし

凡民有喪はんみんゆうそう 匍匐救之ほふくきゅうし

 深みには筏を浮かべて渡り、

 浅いところはくぐったり泳いだり。

 日々生活の手立てを探し求め、

 不足なきよう気を配り。

 近所の不幸には、

 率先して手を差し伸べた。

 

不我能慉ふがのうちく 反以我為讎はんじがいしゅう

既阻我德きそがとく 賈用不售かようふしゅう

昔育恐育鞫せきいくきょういくきく 及爾顛覆きゅうじてんふく

既生既育きせいきいく 比予于毒ひようどく

 私を養うこともできなかったのに

 却って私をうらむのか。

 私を評価されることはもはやなく、

 廃棄のときを待つばかり。

 いまし日にはあなたと苦難を共とし、

 最期を共にしようと誓ったものを。

 いざ家計が落ち着けば、

 むしろ私は毒物扱い。


我有旨蓄がゆうしちく 亦以御冬えきじぎょしゅう

宴爾新昏えんじしんこん 以我御窮じがぎょきゅう

有洸有潰ゆうこうゆうかい 既詒我肄きたいがし

不念昔者ふねんせきしゃ 伊余來塈いよらいき

 旨いものをこしらえて、

 冬の備えといたしました。

 しかしそのたくわえは

 新妻との宴に費やされた。

 そして私の手元には残らない。

 怒られ、脅され、苦しい思いを

 させられてばかりの日々。

 あなたは思い出せぬのでしょうか、

 私が嫁いできたばかりの、

 あの睦まじき日々のことを。




〇国風 邶風 谷風

「夫に捨てられる妻の恨みを歌う」形式のオリジンなのだそうである。これのほかには前漢の時代に班氏が詠んだ「怨歌行」があろうか。あちらは諦観に満ち満ちていたものであったが、こちらは恨みダイレクトという感じである。若いころから貧乏を共にしてきた夫に、家計が落ち着くと捨てられる。凶悪極まりない。ただ、この自己正当化一辺倒を見ていると、「自己を顧みるつもりがない」ようにも思えてな。人間関係に一方通行はない。常に相互関係により成り立つ。

もっとも、そこに「家」という勾配がもたらされると、また事情は変わってきそうであるがな。



〇儒家センセー のたまわく

「刺夫婦失道也。衛人化其上,淫於新昏而棄其舊室,夫婦離絕,國俗傷敗焉。」

夫婦の道が失われたことを非難する歌である! ここまでの詩に夫婦関係が多く取り沙汰されておることからもわかるように、夫婦とは家庭の最小単位、国の基である! であるにもかかわらずこの夫は苦楽を共とした妻を捨て、新妻にうつつを抜かした! 衛国に生じた乱れにも通底する問題を見出すことができよう!




■一生懸命頑張ります!

「黽」単体でも勉めるという意味になり、すなわち努め努めます、と言う意味合いの雅語となる。……のは良いのだが、同時にちょくちょく現れる密勿についてはいまいちよく分からぬ。なんでも韓詩外伝のほうで小雅十月之交に出てくる黽勉が密勿と書かれていたそうである。


・漢書27 五行 注

 勉猶黽勉,言不息也。

・漢書36 劉向 注

 密勿猶黽勉從事也。嗸嗸,衆聲也。言己黽勉行事,不敢自陳勞苦,實無罪辜,而被讒譖嗷嗷然也。

・漢書85 谷永 注

 閔免猶黽勉也。


・後漢書40.2 班固下 注

 密勿猶黽勉也。

・後漢書80.1 傅毅 注

 密勿,黽勉也。聿,循也。卒,終也。言朝夕黽勉,終始如一也。



■根っこが腐ってても葉は食える

左伝 僖公33-8

『詩』曰:『采葑采菲,無以下體。』君取節焉可也!


晋の文公が逆臣として処刑した、郤芮。その息子である郤缺の処遇について、文公の臣下が当詩を引き、説く。曰く、「いや別に大根やカブラの根っこが傷んでいたって葉っぱは食えるでしょ? 根っこたる父が逆臣でもそれは子が逆臣になるって訳でもないですよ」、だからこそあの節度ある振る舞いこそを重視すべきなんです! とのことである。

なおここで登場する郤缺を主人公とする小説がカクヨムに存在しており、小説サイトの無限の懐の深さにビビる次第である。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555463331404

『父の仇に許された』/はに丸 氏



■ニガナの苦みとナズナの甘さ

ニガナの苦さ、すなわち心労の雅語。「ニガナの苦さの方がマシだ」と言っておるはずが何故か心労そのものを指すようになっておるあたり、昔から人間の言葉の扱い方が雑だと知れてよい。なお陳蕃伝における用法においては周頌小毖の「未堪家多難,予又集于蓼。」との合わせ技である、と李賢注にある。


・後漢書64 史弼

『誰謂荼苦,其甘如薺。』昔人刎頸,九死不恨。

・後漢書66 陳蕃

 今帝祚未立,政事日蹙,諸君柰何委荼蓼之苦,息偃在牀?


・魏書7 元宏

 冬十月戊辰,詔曰:「自丁荼苦,奄踰晦朔。仰遵遺旨,祖奠有期。

・魏書53 李豹子

 先臣榮寵前朝,勳書王府,同之常倫,爵封堙墜,準古量今,實深荼苦。



■敗死上等

晋書89 劉沈

投袂之日、期之必死、葅醢之戮、甘之如薺


劉沈は八王の乱のときに、チーム八王が誇るトリックスター、司馬顒と戦った人物である。戦い破れ、司馬顒に捕まった時に殺すなら殺せと、上記の言葉を述べている。お前の好きなようにさせないと決意して戦おうとした時にすでに覚悟は決めていた、これで貴様に殺され塩漬けにされたとしても「ナズナのように甘く思う」と語り、そして殺された。




■トチって罰を受けるのは望むところ

晋書98 桓温

如其不效,臣之罪也,褰裳赴鑊,其甘如薺。


桓温が洛陽を奪還した直後、洛陽に都を移しましょう、と提案している。その上奏の末文である。そして洛陽を足場としてさらに頑張り、陛下の爪牙として働きます、それによって得た勲功は陛下のものですが、もし失敗すれば私の罪でありますので、その身に罰を受けるのを「ナズナのように甘く思う」と決意のほどを述べている。まあ却下されたのだが。



■民に苦しみあらば

漢書85 谷永

牡飛之狀,殆為此發。古者穀不登虧膳,災婁至損服,凶年不塈塗,明王之制也。『詩』云:「凡民有喪,扶服捄之。」論語曰:「百姓不足,君孰予足?」


前漢成帝が即位した初年、すなわち王莽一族の権勢が拡大しつつある中、谷永は北地太守に任じられるにあたり、いまの世を憂う上奏をしたためた。その中で当詩を引き「王様は民に苦しみがあったとき率先して救おうとするもんですよね?」とド正論をぶつけ、成帝もこの上奏に喜んでいる。なお。



■ほふくぜんしん!

引用中に見る意味合いは「のたうち回る」が近い。いわゆる匍匐前進に言うそれは和製漢語扱いなのであろうな。


・漢書9 元帝

 乃者關東連遭災害,饑寒疾疫,夭不終命。詩不云乎?『凡民有喪,匍匐救之。』

・漢書100.1 敍傳上

 曾未得其髣髴,又復失其故步,遂匍匐而歸耳!


・後漢書3 章帝

 蓋君人者,視民如父母,有憯怛之憂,有忠和之教,匍匐之救。

・後漢書29 郅惲

 先是長沙有孝子古初,遭父喪未葬,鄰人失火,初匍匐柩上,以身扞火,火為之滅。

・後漢書72 董卓

 餘人或匍匐岸側,或從上自投,死亡傷殘,不復相知。

・後漢書74.2 袁譚

 若乃天啟尊心,革圖易慮,則我將軍匍匐悲號於將軍股掌之上,配等亦當𢾭躬布體以聽斧鑕之刑。

・後漢書97 祭祀上 注

 道迫小,深谿高岸數百丈。步從匍匐邪上,起近炬火,止亦駱驛。


・晋書20 礼中

 號咷之慕,匍匐殯宮,大行既奠,往而不反,必想像平故,徬徨寢殿。

・晋書88 何琦

 停柩在殯,為鄰火所逼,煙焰已交,家乏僮使,計無從出,乃匍匐撫棺號哭。

・晋書89 韋忠

 司空裴秀弔之,匍匐號訴,哀慟感人。


・魏書33 公孫表

 昔尉他跨據,及陸賈至,匍匐奉順,故能垂名竹帛。

・魏書77 辛纂

 大王忠貞王室,扶奬顛危,纂敢不匍匐。

・魏書98 蕭宝巻

 疾患困篤者悉輿去之,其有無人輿者,匍匐道側,主司又加捶打,絕命者相繼。

・魏書108.3 礼三

 于時親侍梓宮,匍匐筵几,哀號痛慕,情未暫闋,而公卿何忍便有此言。




■いや光武帝に従わないのないっしょ

後漢書23 竇融

融聞為忠甚易,得宜實難。憂人大過,以德取怨,知且以言獲罪也。


光武帝の覇道が進むなか、隗囂は光武帝に従おうとしなかった。隗囂の勢力圏にいながらにして光武帝を慕う竇融であったから、書をしたため、隗囂の姿勢を批判した。その書における一節である。当作では「不我能慉 反以我為讎」と紹介しておる箇所が、別本では「不我能徳~」となっており、光武帝よりの恩徳も忘れて、却って仇をなそうというのか、と批判しておる。




毛詩正義

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