唐風(とうふう)
蟋蟀(いまを楽しむ/よき政を求める)
コオロギが堂に鳴く。
今年も暮れようとしている。
いまを楽しまなければ、
日々は過ぎ去ってしまう。
ただ、没頭してはならない。
家あっての自分と思え。
楽しみに溺れるな。
良き人はつつしみを持つ。
コオロギが堂に鳴く。
今年も過ぎさらんとしている。
いまを楽しまなければ、
日々は過ぎ去ってしまう。
ただ、没頭してはならない。
内外のつきあいあっての自分と思え。
楽しみに溺れるな。
良き人は常にはげむ。
コオロギが堂に鳴く。
時まさに農閑期。
いまを楽しまなければ、
日々は過ぎ去ってしまう。
ただ、没頭してはならない。
心配事にも向き合うのだ。
楽しみに溺れるな。
良き人には余裕がある。
○国風 唐風 蟋蟀
いまを楽しめ、しかし耽溺しすぎるな。まさに、であるな。座右の明にしたいくらいに響く。どれだけ自らの楽しみを極められるのか。それは、命に限りがあることを強く実感していたであろう当時のほうが色濃かったのやもしれぬ。しかし、今もなお人間の命は有限である。コオロギも、我らも、死ぬときには死ぬのだ。
○儒家センセー のたまわく
唐風と書いてはあるものの、春秋以降の感覚で言えば晋のエリアである! なのでこの詩がターゲットとするのは、晋! ここでは晋の僖公が倹約などに励まずだらしない政治であったのを批判するため、この詩を献上し、諫めたというのである!
■曹植、人材運用を語る。
三國志19 曹植伝
故任益隆者負益重,位益高者責益深,書稱『無曠庶官』,詩有『職思其憂』,此其義也。
高位につくものには高位につくものなりの責任の重さを実感してもらわねばならない、それが書経に言う「あらゆる官位を軽んずるな」、そして当詩の書く「職務における憂いを常に抱きおけ」の含意だ、と説くのである。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%85%AD#%E3%80%8A%E8%9F%8B%E8%9F%80%E3%80%8B
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