韓奕(引用1 :宣王の名臣・韓侯)
高く連なる梁山のふもとは、
大昔、禹王が治水をなし、
水田を切り開いた地。
禹王のなされたがごとき道を、
いま進まれるのは宣王。
韓侯は王じきじきに命を受ける。
王は仰る、先祖と同じく、周に尽くし、
命に違えることのないようにせよ。
日夜邁進し、職務を全うされよ。
この命令は絶対である。
来朝をせぬような不忠のものを正し、
そなたの主を補佐するのだ。
韓侯の乗る四頭立ての馬車、
それを牽く馬は盛んであり、長大。
韓侯は諸侯の証したる宝玉を
門衛に示した後、王に謁見する。
宣王は韓侯に多くの物資を授ける。
馬車に挿す旗や、旗竿につける飾り。
車を覆う漆塗りの屋根、
煌びやかな馬をつなぎ止める横木。
黒地に龍の踊る衣服、赤い靴。
馬の胸飾りや額飾り。
なめし革の背もたれや、
背もたれの上にかける虎の毛皮。
手綱や、手綱を結ぶ金環。
韓侯は王の元から下がると、
いちど道中の安全を道の神に祈り、
屠という地で宿泊する。
周の諸大夫らが、送別の宴を開く。
そこに置かれるのは百壺もの清酒。
酒の肴は何であるか。
スッポンの包み焼きや、
新鮮な魚のなますである。
野菜類にはタケノコや、ガマノメ。
諸侯は問う、王より何を賜ったか。
韓侯は答える、車と、馬と。
並べられた食器に食材が載る。
韓侯は皆とともに歓飲する。
さて、韓侯が娶った妻は厲王の甥、
厲王の妹と蹶父との間の子である。
韓侯は彼女を迎えに、
自ら蹶氏の地にまで赴いた。
新婦のための車は百台続き、
どの車からも、りんりんと鈴が鳴る。
こうして周王家の姻戚となった韓侯、
どうして栄光に浴さぬことがあろう。
新婦のいとこたちも付き従うが、
彼女らも雲のように多く、美しい。
韓侯は新婦を車に載せるため、
振り返った。多くの見送りが
門前で賑わっていた。
韓侯の舅、蹶父は壮強なる武人。
あまねく諸国を訪ね歩かれている。
愛娘、韓姞に相応しき嫁ぎ先を求め、
韓以上の場はない、と判断した。
韓はなんとも楽しき地である。
豊かな河川には、
オシキやカワタナゴが泳ぐ。
シカのつがいが鳴き、クマやヒグマ、
ヤマネコやトラまでいる。
なんと良き地か、この地こそ
我が娘の住まいに相応しい。
その言葉を聞き、韓姞もまた微笑む。
立派な韓の城は、燕人の手助けを得て
完成したものである。
武王の子孫にあたる韓侯らは、
先祖代々韓の地の北にいる
蛮族を慰撫する役目を担ってきた。
そこで宣王は、改めて韓侯に
追の地や貊の地を下賜なされた。
北の蛮族をよく慰撫する、
それこそが彼の任務。
城壁を築き、城を固め、堀を深くし、
領域の田畑を整備する。
やがて蛮族よりは、畏敬の念をもって
ヒヒの皮や赤いヒョウの皮、
黄毛のヒグマの皮などが
献上されるのだった。
○大雅 韓奕
詩題がなぜかずいぶん恣意的である。立派な韓侯、とこの詩を語るのであれば、前前詩は申伯、前詩は仲山甫で良かろうにな。ところでここで言う韓は、そのまま戦国七雄の韓につながっていくようである。婚姻話が浮いているように思えぬでもないが、そこは「宣王が姻戚としての紐帯を強化しようとした」と考えれば良いのやも知れぬ。
■嫁入りの賦
左伝 成公9-4
夏、季文子如宋致女。復命,公享之。賦韓奕之五章。穆姜出于房。
魯の宰相、季文氏が宋国まで魯の公女、伯姫を嫁入りとして送り届けてから帰国、そして嫁入りの様子が歓迎であったことを当詩の五連目、すなわち「蹶父孔武 靡國不到」以下を歌って語った、と言うのである。しかしこの五連目、現代的価値観からすればラストの「韓姞燕譽」句が「あーもうどうでもええわ、勝手にしてくれ」的投げやりな笑みに見えてくるのが不思議であるな。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E5%85%AB#%E3%80%8A%E9%9F%93%E5%A5%95%E3%80%8B
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