烝民(引用93:宣王の名臣・仲山甫)

烝民じょうみん



天生烝民てんせいじょうみん 有物有則ゆうぶつゆうそく

民之秉彝みんしへいい 好是懿德こうぜいとく

天監有周てんかんゆうしゅう 昭假于下しょうかうか

保茲天子ほじてんし 生仲山甫せいちゅうさんほ

 天は人民を生んだ。

 そこに物があれば、法則が現れる。

 人もまた物であるが、しかし人には

 法則に則らんと願う、徳がある。

 天は常に周の国を見ておられる。

 広く、見下ろしておられる。

 故にこそ宣王がため、

 仲山甫を遣わされた。


仲山甫之德ちゅうさんほしとく 柔嘉維則じゅうかいそく

令儀令色れいぎれいしょく 小心翼翼しょうしんよくよく

古訓是式こくんぜしき 威儀是力いぎぜりょく

天子是若てんしぜじゃく 明命使賦めいめいしふ

 仲山甫は温和でありながら筋が通り、

 威儀正しく、表情は沈着、

 細やかな気配りも行き届く。

 古来よりのしきたりによく則り、

 宰相として力を尽くす。

 故にこそ王は仲山甫の言葉に従い、

 命令を天下に行き渡らせた。


王命仲山甫おうめいちゅうさんほ 式是百辟しきぜひゃくひ

纘戎祖考さんじゅうそこう 王躬是保おうきゅうぜほ

出納王命しゅつのうおうめい 王之喉舌おうしこうぜつ

賦政于外ふせいうがい 四方爰發しほうえんはつ

 王は仲山甫に命じた。

 汝、百官の規範となれ、と。

 汝の先祖の血を継ぐ者として、

 王の身を助け、安らがせ、

 あるいは王の口として、王命を布告し、

 政を発し、四方に命ぜられよ。


肅肅王命しゅくしゅくおうめい 仲山甫將之ちゅうさんほしょうし

邦國若否ほうこくじゃくひ 仲山甫明之ちゅうさんほめいし

既明且哲きめいしゃてつ 以保其身いほきしん

夙夜匪解しゅくやひかい 以事一人いじいちじん

 厳粛な王命を、仲山甫が実行する。

 国の善悪を、仲山甫が明らかとする。

 実に明晰、そして哲人。

 故にこそ人々より慕われ、

 その立場を保っている。

 早朝より深夜まで政務を怠らず、

 ただ一人のために仕えている。


人亦有言じんえきゆうげん 柔則茹之じゅうそくじょし 剛則吐之ごうそくとし

維仲山甫いちゅうさんほ 柔亦不茹じゅうえきふじょ 剛亦不吐ごうえきふと

不侮矜寡ふぶきょうか 不畏疆禦ふいきょうぎょ

 人々は言うものである、

 柔らかいものは飲み、

 固いものは吐き出す、と。

 それはあたかも、人が何を

 受け入れるのかを言うかのよう。

 しかし仲山甫は

 柔らかなものでもむさぼることなく、

 固いものも吐き出しはしない。

 やもめのような立場の弱いものを

 侮ることもなく、

 人当たりの強い人物をも恐れない。


人亦有言じんえきゆうげん 德輶如毛とくゆうじょもう 民鮮克舉之みんせんこくきょし

我儀圖之がぎとし 維仲山甫舉之いちゅうさんほきょし 愛莫助之あいばくじょし

袞職有闕こんしょくゆうけつ 維仲山甫補之いちゅうさんほほし

 また別のことわざにも言う、

 徳は羽毛のごとく軽いが、

 しかし人々が持ち上げることは

 あまりない、と。

 このことを謹んで考察するに、

 仲山甫こそが、徳を

 よく称揚する者である、と言えよう。

 彼を愛しこそするものの、

 彼を手助けすることは叶うまい。

 彼は、なにぶん天子の不足をすら

 補いうる人物なのだから。


仲山甫出祖ちゅうさんほしゅつそ 四牡業業しぼぎょうぎょう

征夫捷捷せいふしょうしょう 每懷靡及まいかいびきゅう

四牡彭彭しぼほうほう 八鸞鏘鏘はちらんしょうしょう

王命仲山甫おうめいちゅうさんほ 城彼東方じょうかとうほう

 軍の出征にあたり、

 仲山甫は行軍の無事を祈るため、

 道の神の元へ赴く。

 仲山甫の車を引く

 四頭の馬は堂々としたもの。

 付き従う者たちもまた、敏捷である。

 仲山甫に遅れてはなるまい、

 とするかのよう。

 四頭の馬に付けられた

 八つの鈴がシャンシャンと鳴る。

 王は仲山甫に、斉に城を築かせる。


四牡騤騤しぼきき 八鸞喈喈はちらんかいかい

仲山甫徂齊ちゅうさんほそせい 式遄其歸しきせんきき

吉甫作誦きつほさくしょう 穆如清風ぼくじょせいふう

仲山甫永懷ちゅうさんほえいかい 以慰其心いいきしん

 四頭の馬に付けられた

 八つの鈴がシャンシャンと鳴る。

 仲山甫は斉での用事を済ませると、

 速やかなる帰還が望まれる。

 その行動をこの尹吉甫が見るに、

 清風が人々の心を穏やかに

 するかのようである。

 仲山甫よ、都のことが

 長く気がかりであられよう。

 この詩を以て、

 そなたの心を慰めたいものだ。




○大雅 烝民

周宣王期の名臣のひとりである仲山甫を大いに讃える歌、とのことである。普段は中央で宣王の職務をよく補佐する彼が斉での職務に就かねばならなくなった。彼のことであるから仕事ぶりは問題なかろうが、さぞ自らのおらぬ都のことが気がかりであろう。そこで同僚の尹吉甫が当詩を詠み、かれに宛て送った……ようである。それにしても詩経を読む感じだと尹吉甫もまた十分に名臣と呼びうる人物であるようには思う。前詩で尹吉甫は「神が甫を下した」と書くのだが、ここが仲山甫のみならず、自身も含めておる、とかであれば、なかなかに熱い展開であるな。




■烝民

生民のようにわらわらしているのかな、と思ったら、こちらはそうでもなかった。


・漢書73 韋賢

 務彼鳥獸,忽此稼苗,烝民以匱,我王以媮。

・宋書22 楽四

 明明魏皇帝 太和有聖帝 魏曆長 天生烝民 為君既不易

・宋書22 楽四

 鼙舞歌,當魏曲天生烝民,古曲四方皇。

・魏書54 高閭

 天生烝民,樹之以君,明君不能獨理,必須臣以作輔。


……と思ったら「蒸」民でわらわらとしておった。罠か。


・史記10 文帝

 朕聞之,天生蒸民,為之置君以養治之

・漢書85 谷永

 臣聞天生蒸民,不能相治,為立王者以統理之

・後漢書7 桓帝

 蓋聞天生蒸民,不能相理,為之立君,使司牧之。

・後漢書54 楊震 孫 楊賜

 臣聞天生蒸民,不能自理,故立君長使司牧之,

・後漢書57 劉陶

 斯豈唐咨禹、稷,益典朕虞,議物賦土蒸民之意哉?

・後漢書59 張衡

 旦獲讟于羣弟兮,啟金縢而乃信。覽蒸民之多僻兮,畏立辟以危身。

・後漢書78 呂強

 昔楚女悲愁,則西宮致災,況終年積聚,豈無憂怨乎!夫天生蒸民,立君以牧之。

・晋書6 司馬睿

 一百八十人上書勸進,曰:臣聞天生蒸民,樹之以君,所以對越天地,司牧黎元。

・晋書23 楽下

 大晉篇 當魏曲 天生蒸民,古曲四方皇。

・晋書102 劉聡

 天生蒸民而樹之君者,使為之父母以刑賞之,不欲使殿屎黎元而蕩逸一人。

・宋書2 武帝中

 又璽書曰:蓋聞天生蒸民,樹之以君,帝皇寄世,實公四海

・宋書16 礼三

 武皇帝允協靈祇,有命自天,弘日靜之勤,立蒸民之極,帝遷明德,光宅八表,太和宣被

・宋書81 顧覬之 弟の子 顧愿

 天生蒸民,樹之物則,教義所稟,豈非冥數。

・魏書19.2 元順

 非如蒼蠅之無用,唯構亂於蒸民。

・魏書54 高閭

 慮獄訟之未息,定刑書以理之;懼蒸民之姦宄,置鄰黨以穆之

・魏書63 王肅

 蒸民未闕一餐,陛下輟膳三日,臣庶惶惶,無復情地。




■仲山甫

申伯と同じく、やはりなかなかの爆発を見せておる。こちらは申伯と違い周本紀にも登場しているのが大きいな。ちなみにこの中で面白いのは漢書東方朔伝である。心にチンコを生やす紳士淑女であれば誰しもが試みたであろう「ぼくのかんがえるさいきょうのせいけん」をぶち決めているのである。なかなか生ぬるい笑顔にさせてくれる。


・史記4 周本紀

 宣王既亡南國之師,乃料民於太原。仲山甫 諫曰:「民不可料也。」宣王不聽,卒料民。

・史記10 文帝

 漢樊縣城在兗州瑕丘西南二十五里。地理志云樊縣古樊國,仲山甫所封。


・漢書22 礼楽

 宣王中興,下及輔佐阿衡、周、召、太公、申伯、召虎、仲山甫之屬,君臣男女有功德者,靡不襃揚。

・漢書23 刑法

 有司無仲山父 將明之材,不能因時廣宣主恩,建立明制

・漢書54 蘇建 子 蘇武

 明著中興輔佐,列於方叔、召虎、仲山甫焉。

・漢書60 杜周 孫 杜欽

 仲山父異姓之臣,無親於宣,就封於齊,

・漢書65 東方朔

 臣伏觀陛下功德,陳五帝之上,在三王之右。非若此而已,誠得天下賢士,公卿在位咸得其人矣。譬若以周邵為丞相……仲山甫為光祿,」


・後漢書23 竇融 曾孫 竇憲

 南單于於漠北遺憲古鼎,容五斗,其傍銘曰「仲山甫鼎,其萬年子子孫孫永保用」,憲乃上之。

・後漢書32 樊宏

 樊宏字靡卿,南陽湖陽人也,世祖之舅。其先周仲山甫,封于樊,因而氏焉,為鄉里著姓。

・後漢書54 楊震 孫 楊賜

 斥遠佞巧之臣,速徵鶴鳴之士,內親張仲,外任山甫,斷絕尺一,抑止槃游,留思庶政,無敢怠遑。

・後漢書56 种暠

 种暠字景伯,河南洛陽人,仲山甫之後也。

・後漢書57 劉陶

 危非仁不扶,亂非智不救,故武丁得傅說,以消鼎雉之災,周宣用申、甫,以濟夷、厲之荒。


・三國志24 崔林

 以為今之制度,不為疏闊,惟在守一勿失而已。若朝臣能任仲山甫之重,式是百辟,則孰敢不肅?


・晋書5 評

 夫文王日旰不暇食,仲山甫夙夜匪懈者,蓋共嗤黜以為灰塵矣。

・晋書47 傅玄 子 傅咸

 風格峻整,識性明悟,疾惡如仇,推賢樂善,常慕季文子、仲山甫之志。


・晋書65 王導

 公體道明哲,弘猶深遠,勳格四海,翼亮三世,國典之不墜,實仲山甫補之。


・宋書29 符瑞下

 漢和帝永元元年,竇憲征匈奴,於漠北酒泉得仲山甫鼎,容五斗。


なお、仲山甫は樊という地に封爵を受けている。このことから樊仲と呼ばれることも多い。他にもう一つ異名を見つけたような気もしたのだが、魂のバッテリーが尽きたため、かれについては樊仲を拾うところまででおしまいにしておこうと思う。


・史記33 魯 武公

 宣王愛戲,欲立戲為魯太子。周之樊仲山父諫宣王

・史記39 晋 文公 注

 服虔曰:「陽樊,周地。陽,邑名也,樊仲山之所居,故曰陽樊。

・後漢書59 張衡

 咎單、巫咸,寔守王家,申伯、樊仲,實幹周邦,服袞而朝,介圭作瑞。

・後漢書109 郡国一 注

 服虔曰:「樊仲山之所居,故名陽樊。」

・三國志9 曹真 子 曹爽

 加之耆艾,紀綱邦國,體練朝政;論德則過於吉甫、樊仲;課功則踰於方叔、召虎:凡此數者,懿實兼之。

・晋書35 裴秀 子裴頠

 暨于繼體,咎單、傅說,祖己、樊仲,亦隆中興。





■王の身が保たれる


晋書33 何曾

蓋謨明弼諧,王躬是保,所以宣崇大訓,克咸四海也。


こちらは晋公司馬炎が、爵位を晋王に進めたときに下した表。何曾を始めとした家臣団の働きかけがあったからこそ「王の身が保たれ」、天下を導くに至ったと語る。司馬炎が帝位につくと、何曾は人臣の極み、丞相の位につくのであった。




■百官の規範となれ

「お前は百官の規範となれ」と命じる言葉。敢えてそこに付加属性をつけるとしたならば、「中興の臣下の率い手」となるのであろう。これに該当するのが「傾きかけた魏の国威をよく高めた」司馬師と、「東晋黎明期の名臣」周顗である。この二人に比べると、司馬望は西晋司馬炎をよく支えた宗室であるから、中興度はほぼ、ない。それでも宗室のリーダーシップを張れる存在として頼りにしている、とは言えるのであろう。


・晋書2 司馬師

 公履義執忠,以寧區夏,式是百辟,總齊庶事。

・晋書37 宗室伝 司馬望

 夫尚賢庸勳,尊宗茂親,所以體國經化,式是百辟也。

・晋書69 周顗

 顗參副朝右,職掌銓衡,當敬慎德音,式是百辟。




■人は固いものを飲み込まないが

柔則茹之 剛則吐之 柔亦不茹 剛亦不吐という句には「普通ひとは口当たりのいい人とだけ接しようとし、剛直なひととの接触は避けがちである、しかし仲山甫は人当たりのよい者たちとはことさらに接さず、剛直な者たちの言葉を受け入れる」的に語る。良薬口に苦しの発展形と呼ぶべきであろうかな。ここで王莽様こそ正しくこの言葉にふさわしいですよー! 的おべんちゃらが炸裂するのに笑ってしまう。先程の司馬師にしてもそうだが、「国末期の権臣」を褒め称えるのに、これだけ都合の良い表現もそうはあるまいな。


・左伝 文公10-10

 詩曰,剛亦不吐,柔亦不茹,毋縱詭隨,以謹罔極,是亦非辟彊也

・左伝 定公4-11

 君討臣.誰敢讎之.君命天也.若死天命.將誰讎.詩曰.柔亦不茹.剛亦不吐.不侮矜寡.不畏彊禦.唯仁者能之.違彊陵弱.非勇也.

・漢書99.1 王莽上

『詩』曰「柔亦不茹,剛亦不吐,不侮鰥寡,不畏強圉」,公之謂矣。

・漢書99.2 王莽中

 是用建爾作司命,『柔亦不茹,剛亦不吐,不侮鰥寡,不畏強圉』,帝命帥繇,統睦于朝。

・漢書83 薛宣

 前為御史中丞,執憲轂下,不吐剛茹柔,舉錯時當

・後漢書67 李膺

 祐數臨督司,有不吐茹之節。

・三國志12 評

 司馬芝忠亮不傾,庶乎不吐剛茹柔。

・晋書76 顧眾

 卿真所謂剛亦不吐,柔亦不茹,雖仲山甫何以加之!




■立場の弱い者たちも大切に


・史記33 魯 武公

久為小人于外,知小人之依,能保施小民,不侮鰥寡,故祖甲饗國三十三年。


魯とはすなわち周が天下を収めて後、周公旦が封爵された地である。そして周公旦は魯の国を治めつつ、武王の後にたった成王が羽目を外すことを恐れ、殷の名君たちの振る舞いを記し、彼らのような君主になって欲しいと願った。その一節である。ここで書かれているのは殷後期の名君「祖甲」が、民と共に生活をすることによって民の求めているものを知り、また「配偶者なき者をも軽んじなかった」ことで、彼の治世三十三年間は豊かなものであった、とするのである。




■強い者たちを恐れることもなく

要は「剛亦不吐」の言い換えである。強盛な者たちを前にしても一歩も引かずに立ち向かうことを讃えるために用いられる。どんな強者に対してもひるまず、言うべきは言う。かくありたいものであるがな。なおそこで方向性を誤ると主上に殺されるのでな(体験談)。気をつけるのだぞ。


・左伝 昭公1-6

 夫以千乘去其國.彊禦已甚.詩曰.不侮鰥寡.不畏彊禦.秦楚匹也.

・史記104 評

 仁還奏事,武帝說,以仁為能不畏彊禦,拜仁為丞相司直,威振天下。

・漢書77 蓋寬饒

 明主知君絜白公正,不畏彊禦

・後漢書41 第五倫

 聞公不畏彊禦,今欲相委以重事,若何?

・三國志23 常林

 然為人公果,不畏彊禦,丞相召署軍謀掾。

・三國志57 虞翻

 太尉山陰鄭公,清亮質直,不畏彊禦。




■見識深く、道理に長けるものは

賢人は物事の道理も見えているからよく命を全うするよね、的な内容なのであるが、司馬遷はそれが叶わなかったし、蓋寛饒や崔琰、鮑勛は明だけど哲ではなかったから不幸な目に遭ったよね、等々語られておる。最後の晋書は晋代の文人・袁宏による荀彧評であるが、これは終盤の決裂を言っておるのかな。


・漢書62 評

 夫唯大雅「既明且哲,能保其身」,難矣哉!

・漢書77 蓋寛饒

 大雅云:『既明且哲,以保其身。』狂夫之言,聖人擇焉。唯裁省覽。

・後漢書52 崔駰

 庶明哲之末風兮,懼大雅之所譏。

・三國志12 評

 崔琰高格最優,鮑勛秉正無虧,而皆不免其身,惜哉!大雅貴「既明且哲」,虞書尚「直而能溫」,自非兼才,疇克備諸!

・晋書92 袁宏

 存亡殊致,始終不同,將以文若既明且哲,名教有寄乎!




■朝となく、夜となく

朝早くから、夜遅くまで一人の君主のために精勤する姿を讃えた言葉。ここでも王莽サマに対するおべんちゃらとして用いられており、ニヤニヤとしてしまう。


・左伝 文公3-4

「夙夜匪解,以事一人。」孟明有焉;

・左伝 襄公25-12

 慎始而敬終.終以不困.詩曰.夙夜匪解.以事一人.今甯子視君.

・漢書56 董仲舒

 德日起而大有功:此皆可使還至而有效者也。詩曰「夙夜匪解」,書云「茂哉茂哉!」皆彊勉之謂也。

・漢書99.1 王莽上

『詩』云「夙夜匪解,以事一人」,『易』曰「終日乾乾,夕惕若厲」,公之謂矣。

・三國志28 王淩

 爽之所以為惡者,彼莫不必改,夙夜匪解,以恤民為先。




■国を支える仕事

本来は「袞職」で国家運営業務となる。そこに手落ちがあったら、仲山甫が補う、というのが詩に見える意味合いである。が、そこから一歩進み、袞職という言葉単体で王のフォローをする者、という意味合いに転じた。ここではその辺りの用法が入り乱れておる印象もある。「〜之闕」を「補」うであるとか、「袞」職の「闕」であるとか、表現バリエーションが大変に豊富である。斯様なバリエーションにまできっちりと踏み込めればまた面白いのであろうが、それを見出すには詩経表現全暗記が求められるので、まぁ、間違いなく死ぬのよな。 


・左伝 宣公2-2

 詩曰.靡不有初.鮮克有終.夫如是.則能補過者鮮矣.君能有終.則社稷之固也.豈惟群臣賴之.又曰.袞職有闕.惟仲山甫補之.能補過也.

・後漢書26 蔡茂

 雖曰失之,乃所以得祿秩也。袞職有闕,君其補之。

・後漢書43 朱暉

 補公家之闕,不累清白之素,斯善美之士也。

・後漢書61 評

 王暢、李膺彌縫袞闕

・後漢書83 法真

 臣願聖朝就加袞職,必能唱清廟之歌,致來儀之鳳矣。


・三國志24 崔林

 牧守州郡,所在而治,及為外司,萬里肅齊,誠台輔之妙器,袞職之良才也。


・晋書21 礼下

 令月吉日,始加元服。皇帝穆穆,思弘袞職。

・晋書33 何曾

 將明袞職,未如用乂厥辟之重。

・晋書38 評

 褫龍章於袞職,徙侯服於下藩,未及戒塗,終於憤恚,惜哉!

・晋書41 魏舒

 入管銓衡,官人允敘;出贊袞職,敷弘五教。

・晋書44 鄭袤

 退有清和之風,進有素絲之節,宜登三階之曜,補袞職之闕。

・晋書47 評

 子莊才識,爰膺衮職。忠績未申,泉途遽逼。

・晋書68 紀瞻

 若使鑒從容臺闥,出內王命,必能盡抗直之規,補袞職之闕。

・晋書75 評

 或寄重文昌,允釐於袞職;或任華綸閣,密勿於王言。


・宋書14 礼一

 令月吉日,始加元服。皇帝穆穆,思弘袞職。

・宋書96 評

 辮髮稱賀,非尚簪冕,言語不通,寧敷袞職。




■王命の実行を、粛々と


後漢書30.2 郎顗

昔唐堯在上,群龍為用,文、武創德,周、召作輔,是以能建天地之功,增日月之耀者也。『詩』云:『赫赫王命,仲山甫將之。邦國若否,仲山甫明之。』


郎顗が黃瓊と李固を推挙する時に、併せて天災を防ぐためにはどうすればいいか、を説いた。その一節である。要は偉い王には必ず優れた臣下がいた、そして天下に覇たる功績を挙げた、と説く、のはいいのだが、本来の引用が粛々であるところ、なぜか赫赫とされておる。まぁ、確かに粛々より赫赫のほうがかっこよいな。




■王国に吹く、清涼なる風

仲山甫の政務を讃えること、涼やかなる風のごとし、と評価するわけである。しかし司馬冏の補政には「まるで仲山甫のごとく世を清めようとする気概が見受けられない」とする。謝道韞については、「己を尹吉甫になぞらえている」と見なせよう。すなわち後に東晋を牽引する宰相として立つことになる叔父に対し、毛詩でどの句が好きかと聞かれたので、割とスットボケ気味に「宰相様のなさりようが国を美しく整えて下さいます、宰相様はお国のことに長く思い煩われておられましょうから、そのご苦心を労いたいのですわ」と返した、と言えよう。……トンデモネー才媛であるな。


・晋書59 司馬冏

 大王檄命,當使天下穆如清風,宗室骨肉永無纖介,今則不然,其失二也。

・晋書96 謝道韞

 王凝之妻謝氏,字道韞,安西將軍奕之女也。聰識有才辯。叔父安嘗問:「『毛詩』何句最佳?」道韞稱:「吉甫作頌,穆如清風。仲山甫永懷,以慰其心。」安謂有雅人深致。




毛詩正義

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