崧高(引用31:宣王の名臣・申伯)

崧高すうこう



崧高維嶽すうこういがく 駿極于天しゅんきょくうてん

維嶽降神いがくこうしん 生甫及申せいほきゅうしん

維申及甫いしんきゅうほ 維周之翰いしゅうしかん

四國于蕃しこくうばん 四方于宣しほううせん

 天にまで連なる峻嶽たち。

 それぞれの嶽には神が下され、

 そして仲山甫と申伯を生んだ。

 太公望の流れを汲むこの両者は、

 まこと周の柱石。

 四方の国々は彼らを頼り、

 また天下に王の威徳を告げる。


亹亹申伯びびしんはく 王纘之事おうさんしじ

于邑于謝うゆううしゃ 南國是式なんこくぜしき

王命召伯おうめいしょうはく 定申伯之宅ていしんはくしたく

登是南邦とうぜなんほう 世執其功せいしつきこう

 徳を修めて職務に励まれる、申伯。

 宣王に厲王の後をお継がせになった。

 その功から河南の地、謝の邑に

 封爵を受け、南国はかれに従った。

 宣王は邵の穆公に命ぜられ、

 申伯のための城を築かせた。

 こうして申伯に、南方の国々の

 まとめ役をお命じになったのだ。


王命申伯おうめいしんはく 式是南邦しきぜなんほう

因是謝人いんぜしゃじん 以作爾庸いさくじよう

王命召伯おうめいしょうはく 徹申伯土田てつしんはくどでん

王命傅御おうめいふぎょ 遷其私人せんきしじん

 宣王は申伯にお命じになる。

 南方諸侯をとりまとめられよ、と。

 謝の邑人の手で、城を築かせる。

 また穆公に命じ、

 謝の邑の管理区画を定めさせる。

 その上で各区画の租税を定める。

 また宣王は自らの侍従に、

 申伯とその家族が謝の邑へ

 移るにあたっての世話をさせた。


申伯之功しんはくしこう 召伯是營しょうはくぜえい

有俶其城ゆうしゅくきじょう 寢廟既成しんびょうきせい

既成藐藐きせいばくばく 王錫申伯おうしゃくしんはく

四牡蹻蹻しぼきゃくきゃく 鉤膺濯濯ぐようたくたく

 穆公による城の造営が終われば、

 その見事なる威容、霊廟も備わる。

 その壮麗な様子を王はたたえ、

 申伯には多くの下賜がなされた。

 それは四頭の見事な馬。

 胸にはきらびやかな馬鎧がかかる。


王遣申伯おうけんしんはく 路車乘馬ろしゃじょうば

我圖爾居がとじきょ 莫如南土ばくじょなんど

錫爾介圭しゃくじかいけい 以作爾寶いさくじほう

往近王舅おうきんおうきゅう 南土是保なんどぜほ

 申伯を謝の邑に遣わせるにあたり、

 王は馬車をも与えた。そして言う。

 そなたの拠点として、南の地に

 謝の邑以上の場所はあるまい。

 ここに諸侯の証したる介圭を与える。

 そなたの家の宝とせよ。

 さあ征かれよ、我が舅どのよ。

 南の地を、よく安んぜられよ。


申伯信邁しんはくしんまい 王餞于郿おうせんうび

申伯還南しんはくかんなん 謝于誠歸しゃうせいき

王命召伯おうめいしょうはく 徹申伯土疆てつしんはくどきょう

以峙其粻いじきちょう 式遄其行しきせんきこう

 申伯は命を受けると、すぐに出立した。

 王は郿の地まで、申伯を見送った。

 そうして、謝の地に到着した申伯。

 道中は穆公による整備が進んでおり、

 その移動は実にスムーズであった。


申伯番番しんはくばんばん 既入于謝きにゅううしゃ

徒御嘽嘽とぎょたんたん 周邦咸喜しゅうほうかんき

戎有良翰じゅうゆうりょうかん 不顯申伯ふけんしんはく

王之元舅おうしげんきゅう 文武是憲ぶんぶぜけん

 白髪交じりの申伯であるが、

 威風堂々と謝の邑入りをなす。

 侍従たちもその後に続き、

 周の民は、みなが喜ぶ。

 なんと良き柱石を得られたのか。

 申伯であれば、

 その功績は必ずや明らかとなろう。

 王の舅どののもと、文武はよく整おう。


申伯之德しんはくしとく 柔惠且直じゅうえしゃちょく

揉此萬邦じゅうしばんほう 聞于四國ぶんうしこく

吉甫作誦きつほさくしょう 其詩孔碩きしこうせき

其風肆好きふうしこう 以贈申伯いそうしんはく

 申伯は柔和でおられながらも率直。

 南方の各国をよく従えること、

 各地にもとどろき渡った。

 故に尹吉甫が歌を詠めば、

 それは申伯を讃えるのみならず、

 国の守り、南方慰撫の功をも

 また讃えることとなる。

 詩がもたらす気風の、

 なんと素晴らしきことか。

 故に、この詩を以て

 申伯への贈り物としたい。




○大雅 崧高

第一連で登場している仲山甫と申伯のうち、申伯を讃える歌。ここまで盛大に変雅であったのに、いきなり正雅になってくるあたりきょとんとせざるを得ぬわけであるが、周王朝を順に追っていくと武王以降徐々に徳が下がって厲王の段階ではじめの底に至り、この宣王で盛り返す形となるのだからやむを得ぬのであろう。故にここでちょっと申伯、そして次詩にて仲山甫を讃え、そして幽王による破滅へとフェーズが移ってゆく、となろう。


ところで前詩にて見事死亡した「全句引用検索」を、あと一度だけ、と当詩でも行った。すると「申伯」を除けば4件に留まった。前詩と当詩とで差がありすぎではないか……まあ、それだけ前詩の句が使いやすかったのであろうな。




■洛陽の守りは万全だぜ


漢書75 翼奉

陛下徙都於成周,左據成皋,右阻黽池,前鄉崧高,後介大河


翼奉と言う人物が洛陽いいぞをプレゼンしておる。東には成皋關があり、西には黽池が、南には崧高=嵩山があり、北には黄河がある、と語るのである。なお上記方角は「皇帝が南に向いて座る」ことから生じる。あと嵩山を崧高と呼ぶのはここ以外に見えぬ表現であり、その意味でこの翼奉さんは竹帛にこそ名を残したものの、滑っておられる。悲しきかな。




■現・雲崗石窟靈巖寺

北魏と言えば石窟仏像、と言うくらいのアレであろう。北魏の時代には、そこが崧高山と呼ばれていたようである。すなわち「維嶽降神」であるな。彼の地に神異が下ったため、そこには仏像が多く設けられるようになった。斯様に理解をすると良いのやもしれぬ。


・魏書9 元詡

 九月庚寅,皇太后幸崧高山;癸巳,還宮。

・魏書11 元脩

 己亥,車駕幸崧高石窟靈巖寺。庚子,又幸,散施各有差。

・魏書90 馮亮

 亮性清淨,至洛,隱居崧高,感英之德,以時展勤。

 令與沙門統僧暹、河南尹甄琛等,周視崧高形勝之處,遂造閑居佛寺。

 遇篤疾,世宗敕以馬輿送令還山,居崧高道場寺。

・魏書91 徐謇

 謇欲為高祖合金丹,致延年之法。乃入居崧高,採營其物,歷歲無所成,遂罷

・魏書105.4 天象四

 是歲九月,太后幸崧高。或曰市垣所以均國風




■申伯、宣王の柱石

当詩は宣王を助けた「申伯」を大々的に讃える詩であるが、その存在は春秋にも史記にも伺えず、ただ当詩のみが伝えるところである。しかしこうして拾い上げてみると、わりと皆様彼を言及するのがお好きのようである。特に慕容廆と慕容皝が用いておるのには「俺はお前たちの文化にもちゃんと通じてるんだぜ」アピールかのようで、良い。いや、漢人官僚に「典拠をそれっぽくちりばめろ」的に言っているような気もせぬではないのだがな。


・漢書18 外戚恩澤侯表

 其餘后父據春秋襃紀之義,帝舅緣大雅申伯之意,𡩻廣博矣。

・漢書22 礼楽

 宣王中興,下及輔佐阿衡、周、召、太公、申伯、召虎、仲山甫之屬,君臣男女有功德者,靡不襃揚。

・漢書28.1 地理上

 宛,故申伯國。有屈申城。縣南有北筮山。戶四萬七千五百四十七。有工官、鐵官。

・漢書65 東方朔

 誠得天下賢士,公卿在位咸得其人矣。譬若以周邵為丞相,……申伯為太僕,

・漢書85 谷永

 百官盤互,親疏相錯,骨肉大臣有申伯之忠,洞洞屬屬,小心畏忌,無重合、安陽、博陸之亂。

・漢書85 評

 永陳三七之戒,斯為忠焉,至其引申伯以阿鳳,隙平阿於車騎


・後漢書28.1 馮衍

 昔周宣中興之主,齊桓霸彊之君耳,猶有申伯、召虎、夷吾、吉甫攘其蝥賊,安其疆宇

・後漢書43 朱暉 孫 朱穆

 今明將軍地有申伯之尊,位為羣公之首,一日行善,天下歸仁,終朝為惡,四海傾覆。

・後漢書43 何敞

 公卿懷持兩端,不肯極言者,以為憲等若有匪懈之志,則己受吉甫襃申伯之功

・後漢書52 崔駰

 豈可不庶幾夙夜,以永眾譽,弘申伯之美,致周邵之事乎?

・後漢書57 劉陶

 周宣用申、甫,以濟夷、厲之荒。

・後漢書59 張衡

 咎單、巫咸,寔守王家,申伯、樊仲,實幹周邦,服袞而朝,介圭作瑞。

・後漢書69 何進

 將軍宜一為天下除患,名垂後世。雖周之申伯,何足道哉!

・後漢書112 郡国四

 宛本申伯國。


・三國志1 曹操

 王鳳擅權,谷永比之申伯,王商忠議,張匡謂之左道

・三國志6 袁紹 注

 今為天下誅除貪穢,功勳顯著,垂名後世,雖周之申伯,何足道哉?


・晋書75 范汪

 運漕之難,船人之力,不可不熟計。臣之所至慮三也。且申伯之尊,而與邊將並驅。

・晋書108 慕容廆

 庾公居元舅之尊,處申伯之任,超然高蹈,明智之權。

・晋書109 慕容皝

 若親黨后族,必有傾辱之禍。是以周之申伯號稱賢舅,以其身藩于外,不握朝權。

 若功就事舉,必享申伯之名;如或不立,將不免梁竇之迹矣。




■霊峰の神が賢人をもたらす

当詩にて語られる申伯、及び次詩にて語られる仲山甫の両名は、霊峰の神がもたらした奇跡によるものである、と語られる。ここから霊峰近くには偉人が生まれるものだ、的ニュアンスにて用いられているのがわかる。


・晋書71 陳頵

 詩稱『維嶽降神,生甫及申』。夫英偉大賢多出於山澤,河北土平氣均,蓬蒿裁高三尺,不足成林故也。

・後漢書80.2 禰衡

 陛下叡聖,纂承基緒,遭遇戹運,勞謙日𣅔。惟岳降神,異人並出。




■弟の夏侯瞻を頼る


晋書55 夏侯湛

厥乃口無擇言,柔惠且直,廉而不劌,肅而不厲,厥其成予哉。


夏侯湛は曹魏の重鎮、夏侯淵のひ孫にあたる。野王令に赴任したところだいぶ暇な時間が多かったので、その時間を利用し、弟たちを戒める「昆弟誥」をものした。その一節である。末の弟の夏侯瞻に対し、自らがよりよき君子であるためにその振る舞いを見届け、不足があったら教えて欲しい、と言う。その中で自らの理想像を語っているのだが、それが上記語句である。率直な言葉遣い、柔和でありながら筋が通り、正しいが人を傷つけることなく、厳かでありながら苛烈ではない、そのような人物となりたい、と言うのである。なお夏侯湛が理想像として据えている各句は、

 口無擇言:『孝經』卿大夫

 柔惠且直:当詩

 廉而不劌:『禮記』聘義

 肅而不厲:不厲而威が『禮記』表記

に、それぞれ見えている。


「昆弟誥」の解説は、こちらに依った。

佐竹保子氏

『夏侯湛の「昆弟誥」について』である。

https://spc.jst.go.jp/cad/literatures/3843




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E5%85%AB#%E3%80%8A%E5%B4%A7%E9%AB%98%E3%80%8B

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