雲漢(引用55:宣王、旱魃を嘆く)

雲漢うんかん



倬彼雲漢たくかうんかん 昭回于天しょうかいうてん

王曰於乎おうえつおこ 何辜今之人かここんしじん

天降喪亂てんこうそうらん 饑饉薦臻ききんせんしん

靡神不舉びしんふきょ 靡愛斯牲びあいしせい

圭璧既卒けいへききそつ 寧莫我聽ねいばくがてい

 彼方に輝く、天の川。

 晴れ渡った空に、ぐるりと巡る。

 宣王が憂えて言う。

 ああ、いまの人々に何の罪がある。

 天はしきりに飢饉をもたらす。

 神をたてまつり、しきりに敬愛を捧げ、

 ついには献上する宝玉も

 尽きそうだと言うに、

 なぜ恵みをもたらしてはくれぬのか。


旱既大甚かんきだいじん 蘊隆蟲蟲うんりゅうちゅうちゅう

不殄禋祀ふてんいんし 自郊徂宮じこうそきゅう

上下尊瘞じょうかそんえい 靡神不宗びしんふそう

后稷不克こうしょくふこく 上帝不臨じょうていふりん

耗斁下土もうえきかど 寧丁我躬ねいていがきゅう

 日照りの害は甚だしく、

 蒸し暑さは窮まっている。

 雨乞いの儀式を継続し、

 また先祖の霊たちにもこいねがう。

 天地の神を祀り、

 供え物を地面に植える。

 しかし后稷が恵みを

 もたらすことはなく、

 天帝のご慈悲も現れぬ。

 かくして大地は荒れ果てた。

 ああ、なぜ我が身に

 斯様な不幸が訪れるのか。


旱既大甚かんきだいじん 則不可推そくふかすい

兢兢業業きょうきょうぎょうぎょう 如霆如雷じょていじょらい

周餘黎民しゅうよれいみん 靡有孑遺びゆうけつい

昊天上帝こうてんじょうてい 則不我遺そくふがい

胡不相畏こふそうい 先祖于摧せんそうさ

 日照りの甚だしさ、

 どう解決できようか。

 雷、稲妻を恐れるかのように震え、

 周の国の庶民で、

 生き延びられた者はほとんどいない。

 天帝はなぜ民を殺し尽くし、

 私の元に民を残されないのか。

 天をどうして恐れずにおれようか。

 先祖のための祭祀も、

 私の代で尽きてしまうかもしれない。


旱既大甚かんきだいじん 則不可沮そくふかそ

赫赫炎炎かくかくえんえん 云我無所うんがむしょ

大命近止だいめいきんし 靡瞻靡顧びせんびこ

群公先正ぐんこうせんせい 則不我助そくふがじょ

父母先祖ふぼせんそ 胡寧忍予こねいにんよ

 日取りの甚だしさ、道に求められぬ。

 苛烈に照らし付ける太陽の下、

 ろくに隠れられる場所もない。

 天命が傾くのも、

 間もなくではないのか。

 仰ぎ見ても、振り返っても、

 誰も手を差し伸べてくれそうにない。

 先の時代に生きた良き人々の霊も、

 我らを助けてくれそうにない。

 父母よ、先祖よ、なぜも我に

 こうもむごくあたられるのか。


旱既大甚かんきだいじん 滌滌山川てきてきさんせん

旱魃為虐かんばついぎゃく 如惔如焚じょたんじょふん

我心憚暑がしんたしょ 憂心如熏ゆうしんじょくん

群公先正ぐんこうせんせい 則不我聞そくふがぶん

昊天上帝こうてんじょうてい 寧俾我遯ねいへいがとん

 甚だしい日照りが、

 ついに川の水をも干上がらせた。

 日照りが民を虐げる。

 焼き尽くさんとするがごとく。

 この暑さを、私も恐れる。

 あるいは、この心も焼かれているのか。

 先の時代に生きた良き人々の霊も、

 我らの声を聞き遂げてはくれぬ。

 大いなる天帝よ、そこまで私を

 王の座から退けさせたいのか。


旱既大甚かんきだいじん 黽勉畏去びんべんいきょ

胡寧瘨我以旱こねいてんがいかん 憯不知其故さんふちきこ

祈年孔夙きねんこうしゅく 方社不莫ほうしゃふばく

昊天上帝こうてんじょうてい 則我不虞そくがふぐ

敬恭明神けいきょうめいしん 宜無悔怒ぎむかいど

 日照りは甚だしく、

 すぐにでも不徳の故に玉座を退き

 民に謝って回りたいほどであるが、

 しかし、なぜ日照りという

 手段であらせられるのか。

 まるで見当がつかぬ。

 年のはじめ早くより祈祷をなし、

 四方の神、大地の神とて、

 祭祀を始めたのは

 決して遅くなどあるまいに。

 こうも大いなる天帝は、

 私の思いを拾い上げてはくれぬ。

 明神を敬いつつしむのであるから、

 どうにか怒りを収めて頂きたい。


旱既大甚かんきだいじん 散無友紀さんむゆうき

鞫哉庶正きくさいしょせい 疚哉冢宰きゅうさいちょうさい

趣馬師氏しゅばしし 膳夫左右ぜんふさう

靡人不周びじんふしゅう 無不能正むふのうせい

瞻卬昊天せんぎょうこうてん 云如何里うんじょかり

 日照りの甚だしさの故、群臣も離散し、

 もはや風紀も礼法もない。

 庶民を束ねる者たちも疲労困憊し、

 高官たちも憔悴している。

 馬の調教師、戦士、調理人、侍従、

 誰もが民を救いたいとこそ思うものの、

 その思いは遂げられぬ。

 夜空を仰ぐ。

 我が憂い、どうしたものか。


瞻卬昊天せんぎょうこうてん 有嘒其星ゆうけいきせい

大夫君子だいふくんし 昭假無贏しょうかむえい

大命近止だいめいきんし 無棄爾成むきじせい

何求為我かきゅういが 以戾庶正いれいしょせい

瞻卬昊天せんぎょうこうてん 曷惠其寧かつえきねい

 広き夜空を仰げば、多くの星が輝く。

 一向に雲の気配は伺えぬ。

 君子や大夫らは、誠意を天に届けんと

 余力を集めて、祈らねばならぬ。

 いつ国家が転覆しても

 おかしくはない有様、なればこそ

 我らが誠意を放棄するわけにはゆかぬ。

 我が身のことなぞ構ってはおれぬ、

 どうか百官が正しく定まらんことを。

 広き天を仰ぐ。いつか恵みと安寧が

 戻ってきますように、と。




○大雅 雲漢

当詩は西周をドチャグソのヘドグチョにし腐ったクソ、こと厲王のあとを継ぎ、王位についた宣王が歌ったとされる。宣王はその末期こそクソであったが、即位後忠臣らの助けも得、一時期は西周中興……か!?(スポーツ新聞的アレ)というところにまで迫った。詩序はこの詩を捕まえて「宣王を称える詩」とのたまうのだが、いやそこは別に「宣王が艱難辛苦を嘆いた詩」とのみ語ればよかろうにな。詩序はどうにも勇み足が甚だしく、なかなか憎みきれぬ。


ところで当詩の引用捜索においては、これまであえてやらずにいた「全詩句での検索」をかけてみた。なぜ避けていたかと言えば、そんなん爆発するに決まっているからである。そして思った通り爆発した。当初一件しかなかったはずであるのに、だ。二度とやらぬ。




■お前も踏ん張れや


後漢書60.2 蔡邕

雖周成遇風,訊諸執事,宣王遭旱,密勿祗畏,無以或加。


後漢霊帝の時勢、災害かまびすしく、鮮卑もしばしば国境を襲撃してくる、で朝廷はひどい目に遭っていた。なので霊帝はどうしたものかを臣下に聞いて回った。ここで蔡邕が「いいから人材を適所に配置せーや」と言った内容を奏上している。ここに見えるのはその奏上の冒頭である。周の成王は即位当初多くの反乱に遭ったが政務を執り続けたとし、宣王については即位直後日照りの害に悩まされたが、それでも執務を取った、と語る。ここで詩序の「宣王遇旱,側身修行」と言う句を引く……の、だが、いま残る詩序は「宣王承厲王之烈,內有撥亂之志,遇烖而懼,側身脩行,欲銷去之」である。別口の、滅んだ詩序があったようである。




■雲漢,それは天の川

宣王即位当初の日照りのすさまじさ、それは厲王の無道の結果とされるわけであり、後世の人間たちはこれを深い戒めの意味で取り扱った。


・漢書6 武帝 注

 天漢元年(應劭曰:「時頻年苦旱,故改元為天漢,以祈甘雨。」師古曰:「大雅有雲漢之詩,周大夫仍叔所作也。)

・後漢書60.1 馬融

 爾乃𧂀觀高蹈,改乘回轅,泝恢方,撫馮夷,策句芒,超荒忽,出重陽,厲雲漢,橫天潢。

・後漢書113 百官一

 旱魃為虐,民不堪命,曾無殷湯六事,周宣雲漢之辭。

・晋書109 慕容皝

 旱則決溝為雨,水則入於溝瀆,上無雲漢之憂,下無昏墊之患。


……と言いたいのであるが、どうも確認していると、わりと無邪気に「天の川きれーい☆」くらいの意味で雲漢を用いておるようである。いいのかそれで。個人的には「河漢」表記のほうが諸々よろしいのではないかとも思うのだが、まぁ、確かに「雲漢」のほうが、より星々の密集しておるさまを言い表してはおるのよな。


・後漢書7 桓帝

 詔曰:「朝政失中,雲漢作旱,川靈涌水,蝗螽孳蔓,殘我百穀,太陽虧光,飢饉荐臻。

・後漢書40.1 班固上

 左牽牛而右織女,似雲漢 之無崖,茂樹蔭蔚,芳草被堤,蘭茝發色,曄曄猗猗,若摛錦布繡,燭燿乎其陂。

・後漢書49 張衡

 乘天潢之汎汎兮,浮雲漢之湯湯。

・後漢書80.2 禰衡

 如得龍躍天衢,振翼雲漢,楊聲紫微,垂光虹蜺,足以昭近署之多士,增四門之穆穆。

・三國志29 管輅

 持卿叡才,遊於雲漢 之聞,不憂不富貴也。

 羣嶽吐陰,眾川激精, 雲漢垂澤,蛟龍含靈,

・晋書51 皇甫謐

 此真吾生濯髮雲漢、鴻漸之秋也。

・晋書59 孫楚

 夫龍或俯鱗潛于重泉,或仰攀雲漢游乎蒼昊

・宋書20 楽二

 如彼雲漢,為章于天。

・宋書21 楽三

 四解比翼翔雲漢,羅者安所羈。

・宋書67 謝霊運

 接響雲漢,侶宿江潭。

・宋書84 鄧琬

 笳鼓動坤維,金甲震雲漢,掎角相望,水陸俱發。

・宋書85 謝荘

 聳朝蓋兮泛晨霞,靈之來兮雲漢華。

・魏書60 程駿

 聞諸詩者,雲漢賦宣。章句迥秀,英昭雅篇。





■天降喪亂,カッコエエ

天が喪乱をくだす。一般語っぽいのだが、検索をかけると魏書までの史書を通し、この三箇所しか現れぬ。いずれもが檄文での運用であり、「天がこの身に艱難辛苦を与えてこようとも、断固として戦う」意思を示してくれているかのようである。


・三國志43 呂凱

 天降喪亂,奸雄乘釁,天下切齒,萬國悲悼

・三國志47 孫権

 天降喪亂,皇綱失敘,逆臣乘釁,劫奪國柄,始於董卓,終於曹操,窮凶極惡,以覆四海

・晋書105 苻丕

 天降喪亂,羌胡猾夏,先帝晏駕賊庭





■えろうひどい目遭っとはりますなぁ


後漢書6 順帝

政失厥和,陰陽隔并,冬鮮宿雪,春無澍雨。分禱祈請,靡神不禜。


後漢順帝の治世、132 年。この年の記事を見ると「海賊が會稽郡を荒らし回った」「都で日照りがひどすぎたので各地で雨乞いの儀式を執り行った」とある。これらの事態を受けての詔勅であるから、こっそり当詩を引用して「どんな神々も、祀らぬことはない」とまで語っているのである。




■ひどい、日照りがひどい


後漢書29 鮑永 子 鮑昱

建初元年,大旱,穀貴。肅宗召昱問曰:「旱既大甚,將何以消復災眚?」


こちらはもう少しダイレクトである。順帝のごとき慎みが欲しいところである。章帝の治世、76 年に発生した日照りで穀物の値段が上がってしまったことに対する、章帝よりの諮問の一節となる。むしろここで章帝がダイレクトに当詩で頻出される詩句を使うものだから、順帝は表現をやや削ったのやもしれぬな。




■帝はみだりに動かない

皇帝は至尊であるので、原則として祭祀にまつわることでなければ動かぬ、と言うのである。これを楊秉があえて王がせわしなく動き回る句を用いて、「とは言え必要があれば動き回るべきだよね」的に語っておる、ようである。よくわからぬ。宋書のほうは、文帝劉義隆の祭祀についてなんにゃらかんにゃらと言っておるが、こちらもよくわからぬ。礼志こわい。


・後漢書54 楊震 子 楊秉

 王者至尊,出入有常,警蹕而行,靜室而止,自非郊廟之事,則鑾旗不駕。故詩稱『自郊徂宮』,易曰『王假有廟,致孝享也』。

・宋書16 礼三

 祭皇天上帝,雖為差降,至於三載恭祀,理不容異。自郊徂宮,亦宜共日。




■戦戦兢兢とも似た


ぶっちゃけ尚書にある「臯陶謨曰:「兢兢業業,一日二日萬機。」」よりの引用であり、詩経よりではない。がまぁせっかくなので合流してもらった。ようは戦戦兢兢、薄氷を渡るが如く慎重に政務をとるべし、と語られておるわけである。


・漢書9 元帝

 今朕獲保宗廟,兢兢業業,匪敢解怠,德薄明晻,教化淺微。

・漢書81 孔光

 陛下聖德聰明,兢兢業業,承順天戒,敬畏變異,勤心虛己,延見羣臣

・漢書86 王嘉

 臣聞咎繇戒帝舜曰:「亡敖佚欲有國,兢兢業業,一日二日萬機。」

・漢書99.1 王莽上

 臣莽兢兢業業,懼於不稱。

・後漢書3 章帝

 朕以眇身,託于王侯之上,統理萬機,懼失厥中,兢兢業業,未知所濟。

・後漢書40.2 班固下

 乃始虔鞏勞謙,兢兢業業,貶成抑定,不敢論制作。

・後漢書54 楊震

 臣聞天生蒸民,不能自理,故立君長使司牧之,是以唐虞兢兢業業

・三國志3 曹叡

 陛下不兢兢業業,念崇節約,思所以安天下者,而乃奢靡是務

・三國志35 諸葛亮

 朕遭家不造,奉承大統,兢兢業業,不敢康寧,思靖百姓,懼未能綏。

・魏書7 元宏下

 兢兢業業,思纂乃聖之遺蹤。




■孑は子に似るが


孑遺で、「わずかに残るもの」となる。子字との区別が、あまりにもつかなさすぎる。ともあれ災害があまりにひどい状態となり、人類がしょっちゅう絶滅しかけていたようである。もっとも壊滅のうち半分にはだいぶ人為も混じっていたようだ。殺し殺される、それが人類であるのだな(クソデカ結論)。


・三國志47 孫権

 雖周餘黎民,靡有孑遺,方之今日,亂有甚焉。

・漢書16 高惠高后文功臣表

 訖於孝武後元之年,靡有孑遺,耗矣。

・漢書28.1 地理上

 盪滅前聖之苗裔,靡有孑遺者矣。

・後漢書48 應奉

・晋書30  刑法

 逆臣董卓,蕩覆王室,典憲焚燎,靡有孑遺,開辟以來,莫或茲酷。

・後漢書113 郡国五

 邊陲蕭條,靡有孑遺,鄣塞破壞,亭隊絕滅。

・晋書26 食貨

 及刑政陵夷,菁茅罕至,魯侯初踐畝之稅,秦君收太半之入,前王之範,靡有孑遺。

・晋書37 司馬綏

 今大駕還宮,文武空曠,制度荒破,靡有孑遺。

・晋書91 儒林序

 嚴是古之法,抵挾書之罪,先王徽烈,靡有孑遺。

・晋書107 石虎下

 所過三州十五郡,資儲靡有孑遺。

・宋書74 臧質

 惟聞陵侮之酷,尺田寸寶,靡有孑遺。

・魏書41 源懐

 貴臣重將,靡有孑遺,崇信姦回,昵比閹豎,內外離心,骨肉猜叛。




■あかあかと燃える炎


漢書100.2 敍傳下

赫赫炎炎,遂焚咸陽,宰割諸夏,命立侯王,誅嬰放懷,詐虐以亡。


漢書敍傳とは、漢書を編纂した班固が、その末尾で漢書に記されている事績について楽しそうに歌う、という代物である。ここでは陳勝呉広が引き起こした反乱の炎を項羽が更に引っ掻き回し、ついにはごうごうと咸陽を燃やして好き放題した挙げ句滅んだ、と語る。あまりにも表現が活き活きとしていて笑う。




■大好きな歩婦人が!


三國志50 孫権歩夫人

是以于時未授名號,亦必謂后降年有永,永與朕躬對揚天休。不寤奄忽,大命近止。


孫権が、初めに立てた皇后よりも寵愛したという愛妾。彼女が死の床についたとき、孫権がそれを悲しんだときに用いられている。どれだけ寵愛したかは、当詩で「国の滅亡が近い」とされる句で彼女の死を表明している点であろう。傾国かな?




■兄ちゃんが逝って悲しいよ


三國志2 曹丕 注

如何奄忽,摧身后土,俾我㷀㷀,靡瞻靡顧。


魏文帝誄、すなわち曹植による曹丕の死を悼む祭文の一節である。この祭文は「いやいやいやいや曹丕さんににその評価はねーでしょwww」とこちらを笑い殺しにかかってくることで有名であるが[要出典]、この箇所でもさんざん兄より冷遇されまくったため「兄ちゃんもっとぼくを愛してくれよ」と切々と語っていた曹植が「兄ちゃんなんで突然死んじゃったんだい、どこを見ても兄ちゃんがいないよ、つらいよ兄ちゃん」と、当詩の句を引き、切々と語る。やはりここでも、生ぬるい笑顔を浮かべるのに忙しくて仕方がない。




■旱起こりすぎ問題


後漢書3 章帝

去秋雨澤不適,今時復旱,如炎如焚。


76年に引き続き、80年にもひどい旱が起こったそうである。そしてここでもまた当詩の句を引き、旱のキツさを語る。これは確かに、後世の順帝がいかにさり気なく当詩を引用できるかのチキンレースを狙うわけであるな。




■旱魃はひどい


旱魃為虐のように随分ストレートな詩句で語られると、却って「え、こんなにわかり易い言葉を使われてしまっていいの……?」とそわそわせずにおれぬ。ともあれ毛玠の引用を読む感じでは、割と旱魃と周宣王はワンセットで語られがちというのが見える。


・後漢書56 皇甫規

 而地震之後,霧氣白濁,日月不光,旱魃為虐

・三國志12 毛玠

 成湯聖世,野無生草,周宣令主,旱魃爲虐。

・宋書60 范泰

 頃旱魃為虐,亢陽愆度,通川燥流,異井同竭。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B

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