賚(引用7:文王より天命を継承)

らい



文王既勤止ぶんおうききんし 我應受之がようじゅし

敷時繹思ふじえきし 我徂維求定がそいきゅうてい

時周之命じしゅうしめい 於繹思おえきし

 文王は常日ごろより、

 民のことを思い勤め上げてこられた。

 この姫発、父の業を受け、

 いま天下の主となった。

 文王の功徳をよく思い、また発展させ、

 現実にあらわしてゆかねばならぬ。

 周がなぜ天命を受けるに至ったか、

 常にその理由は心に留め置かねばならぬ。




○周頌 賚

説文解字に拠れば、「賚:賜也。」とあり、何かを賜ったときに用いられる、とする字である。となると「文王より天命を賜った」とするのが非常にスムーズに腹落ちするのであるが、ではどうしてこの詩だけタイトルが主題なの? と聞かれてしまうと言葉に詰まるのよな。なお野村和広氏『『詩經』篇名攷』

http://id.nii.ac.jp/1284/00001652/

においては古来「賚」字には「勤」字に通じるものがあった、と検証されていた。




■文王はよく勤め上げられた

「~止」で状態を意味する接尾辞となるのは、この詩経にまま見受けられる表現である。ただし「勤止」については王や国の仕事にまつわる言葉として機能しているのであろうさまがうかがえる。


・左伝 宣公11-7

 詩曰.文王既勤止.文王猶勤.況寡德乎.

・後漢書54 楊震 孫 楊賜

 陛下不顧二祖之勤止,追慕五宗之美蹤,而欲以望太平,是由曲表而欲直景,卻行而求及前人也。

・晋書22 楽上

・宋書20 楽二

 業業在位,帝既勤止。惟天之命,於穆不已。

・宋書20 楽二

 軍駕無常居,是曰軒轅。軒轅既勤止,堯舜匪荒寧。

・魏書78 孫紹

 臣等修律,非無勤止,署下之日,臣乃無名。




■京観? 都の眺めですかね?


左伝 宣公12-6 

止戈為武.武王克商.作頌曰:「載戢干戈,載櫜弓矢。我求懿德,肆于時夏。允王保之。」又作武,其卒章曰:「耆定爾功。」其三曰:「鋪時繹思,我徂維求定。」其六曰:「綏萬邦,屢豐年。」夫武,禁暴,戢兵,保大,定功,安民,和眾,豐財者也。


宣公の治世時、楚と晋が戦争を起こし、楚が勝利した。ここで楚の士大夫が「京観を作って勝利を祝いましょう!」と語るのだが、楚王がアホか、と上記発言をする。要は武とは無道を止めるものであり、暴虐のために使うものではない、としたのである。なおあえて伏せたが、京観とは打ち破った敵の死体の首を切って首塚を作ることを言う。


なおこの書き方だと当詩の終章、三章、六章にそれぞれ引用があるとなっておるが、ご覧の通り、当詩は一章編成。そしてここで言うここで言う終章は先に紹介した武に、三章は当詩に、六章は桓にそれぞれ現れる。どの段階で当詩が分裂し、別々の詩として扱われたのであろうかな。



毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B9%9D#%E3%80%8A%E8%B3%9A%E3%80%8B

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