菁菁者莪(引用1:後進教育の喜び)
青々と茂るアザミ、川のほとりに。
あのお方に見えれば、
心楽しみつつも、
儀礼にかなっておられた。
青々と茂るアザミ、川のほとりに。
あのお方に見えれば、
我が心は喜んだ。
青々と茂るアザミ、丘の中ほどに。
あのお方に見えれば、
百もの宝を得たかのよう。
ぷかぷかとヤナギの船は沈み、浮く。
あのお方に見えれば、
我が心は喜ぶ。
○小雅 菁菁者莪
詩序~漢詩大系では「後進の教育を楽しむ」とし、新釈漢文大系では水神祭祀を歌うものとされておる。学問的にどちらが正しいかはわからぬのだが、前者の方が「生き生きとした解釈である」ようには感ぜられる。「既見君子」句が他所で君主や夫と言った解釈になることが多いのでそちらに引きずられてしまったのだが、確かに後進、として見れば、若々しきアオアザミのごとき青年の育ちゆくさまを見、時に浮き沈みこそあろうが、その成長にときめく、と言うのは、まぁ、わかる。
■学問大切、マジ大切
魏書77 羊深
菁莪育才,義光於篇什。
北魏末期の完全にお飾りとなっていた皇帝たちの中、それでも気炎を吐かんと頑張った節閔帝の臣下である。六鎮の乱以降ずたずたになっていた国内を憂い、改めて学問の振興を節閔帝に願い出る、その上表の一節である。学問により才を育てよ、と言う言葉が、「篇什」にも光っているではないか、とすべきであろうか。「篇什」は、小雅以降が什ごとに区切られていることからそう俗称されていたのでは、と想定することも叶いそうである。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81#%E3%80%8A%E8%8F%81%E8%8F%81%E8%80%85%E8%8E%AA%E3%80%8B
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