旱麓(引用7:文王盛徳なり)

旱麓かんろく



瞻彼旱麓せんかかんろく 榛楛濟濟しんこせいせい

豈弟君子がいていくんし 干祿豈弟かんろくがいてい

 旱山の麓を眺めれば、

 ハシバミやクマヤナギが茂っている。

 心安らかなる君子、文王は、

 ゆえにこそその身に福と禄とがこぞる。


瑟彼玉瓚しつかぎょくさん 黃流在中おうりゅうざいちゅう

其弟君子きていくんし 福祿攸降ふくろくゆうこう

 文王が祭祀にて、玉石の酒器に、

 鬱金草で香りをつけた酒を流し込む。

 心安らかなる君子、文王は、

 ゆえにこそその身に福と禄とがこぞる。


鳶飛戾天えんひれいてん 魚躍于淵ぎょやくうえん

豈弟君子がいていくんし 遐不作人かふさくじん

 トビが天を舞い、魚が泉に踊る。

 心安らかなる君子、文王が、

 どうして人々の心を

 奮い立たせずになどおれようか。


清酒既載せいしゅきさい 騂牡既備せいぼきび

以享以祀いきょういし 以介景福いかいけいふく

 祭壇には神に捧げる酒が、

 生贄の牛が、すでに備えられている。

 これら供物をもって神霊を祀り、

 大いなる福祿を共としよう。


瑟彼柞棫しつかさくよく 民所燎矣みんしょりょういー

豈弟君子がいていくんし 神所勞矣しんしょろういー

 クヌギやナラを薪として切り出す。

 それは人々を照らし出す資源。

 心安らかなる君子、文王は、

 神によってその施政を労われる。


莫莫葛藟ばくばくかつるい 施于條枚しうじょうまい

豈弟君子がいていくんし 求福不回きゅうふくふかい

 文王の徳を人々が慕うこと、

 大樹に巻き付くクズやツタのごとし。

 心安らかなる君子、文王は、

 人々の幸福安寧を求め、

 その道より逸れることもない。




○大雅 旱麓


引き続き、文王の徳の偉大なることが歌われている。ひとまず、この後に続く思齊、皇矣、靈臺は文王の詩であり、下武、文王有聲が武王の詩であると把握した。「いつまで文王を称える詩が続くのだ……」と悶々とするのもバカバカしいのでな。とりあえず、それだけ文王は称揚されねばならぬのだ。ここテストに出ますよ?




■管仲は偉大


左伝 僖公12-10

『詩』曰:『愷悌君子,神所勞矣。』


周王朝と蛮族の間にトラブルがあり、緊張が高まっていた。そこで斉の桓公は管仲を派遣し、両者の取りなしをさせる。このビッグドラブルを見事解消した管仲のことを、周王はべた褒め。厚くもてなそうとするも、自分は王の臣下の家臣でしかない、つまらぬ者であるから、と辞退した。その管仲の振る舞いに感動した王が、さらに激賞した。その管仲に対する評価で当詩が歌われている。こういったふるまいがなせるからこそ管氏は神よりの祝福を受け、長く続いたのだ、と。




■人材まじ大切


左伝 成公8-1

君子曰.從善如流.宜哉.詩曰.愷悌君子.遐不作人.求善也夫.作人斯有功績矣.


晋が楚に攻め込み、いざ戦いに出ようとしたところで、みなが決戦を囃し立てる中、三人の部下のみがこれに反対。最終的には大勢の意見が誤り、三人の部下の諫言が吉と出た。故にそれを評して、当詩を引く。やはり君子は人材起用こそが重要である、と説くのである。




■天命は光武にあり


後漢書30.1 蘇竟

『葛累』之詩,『求福不回』,其若是乎!


光武帝が天下を治めかけた頃、鄧仲況という人物が前漢系皇族の劉龔を推戴し反乱を計画した。それを様々な緯書よりの言葉で蘇竟説き伏せた、その締めの言葉である。当詩で歌われている「葛累」、すなわち光武およびその下で働く多くの臣下たちと身を同じくし、「福を求めて違わぬ」のが、良き道だ、と示したのである。結果彼らは乱を取りやめたと言う。なお蘇竟という人物は基本的にこのエピソードくらいでしか取り上げられておらず、やや不気味である。




■歌は神に祝福される


漢書87.2 揚雄

聽廟中之雍雍,受神人之福祜。歌投頌,吹合雅。其勤若此,故真神之所勞也。


前漢末期、蜀出身の大文人である。漢書にあってひとりで上下巻を埋めるのはただごとではない。そんな彼のものした、成帝の贅沢を戒める「長楊賦」中の一節にて歌われる「神之所勞」が当詩よりの引用のようである。




■冤罪者の釈放は良いこと


後漢書3 章帝

「五教在寬」,帝『典』所美;「愷悌君子」,『大雅』所歎。布告天下,使明知朕意。


後漢章帝の時代、牛の疫病が大きく広がり、この件で多くの誤認逮捕が出たと言う。この件の審理を見直すことで、罪なきものを釈放することが天災の軽減につながる、とされた。こういった振る舞いのできる「愷悌君子」が大雅にて感嘆されておるのだ、という。……ちなみにこの句は当詩以外にも出てくるため、そのどれに当てはまるかはよくわからぬ。後漢書に注をなした唐の楊賢によれば、泂酌よりの引用なのでは、とのことであるが、さて。




■叔父を殺したアンタを誰が支持する?


後漢書61 黄琬 注

屈廬曰:「詩有之曰:莫莫葛纍,延于條枚,愷悌君子,求福不回。今子殺子叔父,而求福於廬也,可乎?


後漢末の名士黄琬は、董卓の暴虐な政権下にあっても逃げ出さず宮中にあった。人々が逃げたほうがいいと彼を諌めても、彼は「むかし楚の白公が反乱を起こした時に、屈廬はあえて刃の前に身を晒したであろう」と引かなかったそうである。そしてこのエピソードの注にて、屈廬が白公に剣を突きつけられながらも、当詩を引き合いに出しながら、叔父を殺したそなたに「ツタが絡みつく」ことなどあり得ようか? と言い切ったそうである。その後白公は楚の恵王によって討ち果たされている。つまり董卓と同じ運命をたどっておるわけだが、黄琬は残念ながらリカクシに殺された。




■親の意志を継ぎ、家門を栄えさせよ


三國志46 孫策 注

董卓逆亂,凶國害民。先將軍堅念在平討,雅意未遂,厥美著聞。策遵善道,求福不回。


袁術が皇帝を僭称した頃、曹操は孫策に旿公の爵位を与えている。その時の詔勅の一節である。この引用では「福を求めて違わぬようにせよ」が、漢朝の意向をよく汲み、よく使えよ、というニュアンスがだいぶ強いよう感ぜられる。




毛詩正義

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