漢広(高嶺の花への未練/領土拡大)

漢広かんこう 引用14件

男→女 恋愛 慕う 王の徳 領土拡大 礼




南有喬木なんゆうきょうぼく 不可休息ふかきゅうそく

漢有游女かんゆうゆうじょ 不可求思ふかきゅうし

漢之廣矣かんしこういー 不可泳思ふかえいし

江之永矣こうしえいいー 不可方思ふかほうし

 南の大木 休むは叶わず。

 漢水に遊ぶ乙女、

 思うを告ぐるは能わず。

 漢水の広きはとても泳ぎ切れず、

 江水は遠く、イカダではたどりつけぬ。


翹翹錯薪ぎょうぎょうさくしん 言刈其楚げんがいそうそ

之子于歸しいしうーき 言秣其馬げんまつそうば

漢之廣矣かんしこういー 不可泳思ふかえいし

江之永矣こうしえいいー 不可方思ふかほうし

 こんもりとした籔林にて

 イバラを刈り取らん。

 あなたは帰るのか。

 ではイバラをまぐさとせよ。

 漢水の広きはとても泳ぎ切れず、

 江水は遠く、イカダではたどりつけぬ。


翹翹錯薪ぎょうぎょうさくしん 言刈其蔞げんがいそうるい

之子于歸しいしうーき 言秣其駒げんまつそうく

漢之廣矣かんしこういー 不可泳思ふかえいし

江之永矣こうしえいいー 不可方思ふかほうし

 こんもりとした籔林にて

 ヨモギを刈り取らん。

 あなたは帰るのか。

 ではヨモギをまぐさとせよ。

 漢水の広きはとても泳ぎ切れず、

 江水は遠く、イカダではたどりつけぬ。




○国風 周南 漢廣

「周南」と呼ばれるエリアから漢水までがすでに遠く、また漢水が最終的に注ぎ込む長江はさらに遠い。「遠さ」を「想いを寄せる人」に掛けた詩、と言えよう。

「漢水に遊ぶ乙女」は高嶺の花であり、到底近づけはせぬ。その想いを大河である漢水に託す。のだが、その大河は、さらなる大河である長江に注ぎ込む。どう足掻いてもそこまではたどり着けないという思いをだらだらだらだらだらだらだらだらひきずり、「自らに見合った乙女」をものにしよう、というわけである(イバラよりもヨモギのほうがより刈り取るのに楽であり、それはまた想い人の獲得難度をも表すという)。実に失礼な男だな。とは言え、二十一世紀日本の「婚活」という言葉を聞くと、案外当該時代にこそふさわしい詩のようにも思われてならぬ。男女の別すら関係あるまい。あるいは、人間はどこまで行っても無駄に理想だけは高い、ということでもあるのかな。




○儒家センセー のたまわく

「德廣所及也。文王之道被於南國,美化行乎江漢之域,無思犯禮,求而不可得也。」

文王の徳が遠く漢水、果てには長江にまで及ぶことを示した歌である! そのような遥か彼方まで徳を及ぼすなど、得ようとして得られる御業ではあり得ぬ! 偉大なるかな文王! はるかなるかな文王!




○崔浩先生の補足

「夏、殷、周、春秋、戦国……」などと語られることから、割と過去の国家たちが「中華人民共和国」の範囲に支配効力を及ぼしていた、と考えられることが多い。実際のところ殷や周は黄河中下流域周辺を支配し、その外部に影響力を及ぼした、と見なすのが近いように思われる。すなわちこの時代の長江=揚子江周辺は「外国」である。またここで名の挙がる漢水も、周の支配下となったのは中流域のごく一部のみである。つまり基本的には「周の者が外国の遠さを思った」というレベルの話になる。


なお漢水の上流域は「漢中」と呼ばれている。大いに武威を鳴らす項羽に追い立てられ、この場に逃げ込んだ劉邦は「漢中王」を自称、決起し、そして諸氏もご存知のごとく、大逆転を決めた。いわゆる「漢」の国号が持つ偉大さは、漢中がどれだけ鄙地であるかを把握できればできるほど、実感も深まるというものである。




■漢は広いぞ、でっかいぞ

引用、とは少々違うやもしれぬな。漢の時代「漢がデカい」アピールがされていたり、「あたしが漢をでっかくしてみせますよ」アピールを名前でやってみたり、そのときにあえて当詩の題を用いている印象がある。そして愉快なのが魏書である。魏書で言う広州は淮水沿岸域の西端近く。山一つ越えれば、南朝の支配する漢水流域が広がる。つまり「漢水域も支配したるデ!」的野望がダダ漏れであり、実に趣深い。


・漢書61 張騫

 大宛諸國發使隨漢使來,觀漢廣大,以大鳥卵及犛靬眩人獻於漢,天子大說。

・漢書76 趙広漢

 趙廣漢字子都,涿郡蠡吾人也,故屬河間。

・漢書95 西南夷

 及夜郎侯亦然。各自以一州王,不知漢廣大。

・魏書106.2 地形中

 廣州漢廣郡。永安中置。領縣二、戶六千二百。口八千一十七。




■晋書では反面教師的に。

晋書5 評

漢濱之女,守潔白之志,中林之士,有純一之德。


(周の王様とお后様が偉大な政を為したから)漢水の女、つまりこの詩でいう「漢水に遊ぶ乙女」は純潔を保つことが叶ったし、中林の士たちはお国の為に一心に働くことができた(しかしながら恵帝以降の西晋の皇帝ときたら……)。といった感じの流れである。要はお説教タイム中の引用である。




■德廣は意外と見える

詩序に見られる「德廣所及也」は、やはり史書上でもちらほらそこを由来としたとおぼしき表現が見える。しかし「あそこの女の子がカワイイ」の詩からずいぶん遠大な徳行を引っ張り上げるものであるな。


・史記1 黄帝 注

 謂日月揚光,海水不波,山不藏珍,皆是帝德廣被也。

・漢書95 西南夷

 漢德廣,開不賓。度博南,越蘭津。

・後漢書40.2 班固下

 四夷閒奏,德廣所及,仱𠇱兜離,罔不具集。

・晋書38 文六王

 廣漢殤王廣德,年二歲薨。

・宋書19 楽一

 夫作先王樂者,貴能包而用之,納四夷之樂者,美德廣之所及也。

・魏書39 李宝

 燮弟德廣,終於中散大夫。

・魏書71 李苗

 今令德廣被於江漢,威風遠振於吳楚,國富兵強,家給人足。




■文武の才は保管されるべき

後漢で武人が軽んじられるようになり、強盗や物取りが多くなってきた。これに憤った馬融が「広成頌」を執筆、その風潮を改めるよう諫めた、そうである。よくわからぬ。わからぬが、「その気風が成り立ったら再び漢水で女も遊ぶであろう」的に用いておるようにも見える。


・後漢書60.1 馬融

發櫂歌,縱水謳,淫魚出,蓍蔡浮,湘靈下,漢女游。





毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%80#%E3%80%8A%E6%BC%A2%E5%BB%A3%E3%80%8B

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