車舝(引用3:嫁取り歌)
かん、かんと音を立て、
車軸に車輪を固定する。
車に乗り、あの子を思い、向かう。
飢え、乾くほどに求める訳ではない。
しかし、それに近いほどには、
彼女との輝かしき逢瀬を求めるのだ。
彼女とそれほど親しいわけでもないが、
共に飲み、楽しみたい。
あの広々とした平地の林に、
山鳥たちが集まり、住む。
あの凛とした彼女は、
よくよく家族を導くであろう。
人々はともに燕飲するのを誉とする。
そして彼女との親睦を深めるのだ。
美酒がなくとも楽しめよう。
美食がなくとも楽しめよう。
そなたと共にあれるほどの徳を
供えてはおらねども、
ともに歌い、舞う事は許されよう。
あの高い丘に登り、
そのクヌギを切って薪とする。
切ったクヌギには、よく葉が茂る。
かの家より、そなたのような女子を
迎え入れることができた。
我が心はすみやかに晴れ渡る。
高山を仰ぎ、大道を行く。
四頭立ての馬車を引く馬は堂々、
馬を操る手綱はぴんと張る。
そなたのような女子と結ばれ、
我が心は安らぐのだ。
○小雅 車舝
クヌギから薪を切り出すのを嫁取りとするのはなかなかにえげつない比喩であるな。「薪を切り出す」ことが日常の行為でない人間からすると、「切って取る」のには掠奪的なニュアンスを感じてしまい、空恐ろしい。もっとも、詩全体を包むのは「自分にはもったいないほどの妻を迎えることだ出来てうれしい」なのであるが。なお当詩における詩序のロジックは「幽王は褒姒じゃなくてもっと賢い妻迎えーや」とのことである。いいかげん無茶苦茶なロジック過ぎはせぬか。
■高山冠 #とは
晋書25 與服志
高山冠,一名側注,高九寸,鐵為卷梁,制似通天。頂直豎,不斜卻,無山述展筒。高山者,『詩』云「高山仰止」,取其矜莊賓遠者也。
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Imperial_Encyclopaedia_-_Ceremonial_Usages_-_pic434_-_%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%86%A0.svg
こちらにどのような冠かが載っている。まあ、頭に高さ三十センチほどの箱を載せている、とお考えいただければよかろう。名の由来が当詩である、というのであるならば、宰相クラスの被る冠、と見てよかろうか。
■高みを仰ぎ、大道を行く
晋書33 何曽
詩云:『高山仰止,景行行止。』令德不遵二夫子之景行者,非樂中正之道也。
傅玄と言う人物が何曽、及び荀彧の息子である荀顗を称賛して語った言葉の一節である。司馬師、司馬昭の股肱の臣として活躍した彼らは、晋の国の礎を築いた。そんな彼らの振る舞いはまさしく当詩で語られた『高山仰止,景行行止』である、とする。二人の振る舞いに従わない者は「晋の徳化」に親しまなかったものである、としたのである。
■「高山仰止?」「景行!」
魏書64 郭祚
高祖曰:「魏明以奢失於前,朕何為襲之於後?」祚曰:「高山仰止。」高祖曰:「得非景行之謂?」
かれは魏の名将、郭淮の弟の子孫であるという。そして当人も、その血統に恥じぬ精勤ぶりを示し、孝文帝より称賛を受けていた。故に孝文帝はかれをよく郭淮の再来であるかのごとくに引き立てた。ここでも郭淮現役ごろの皇帝、明帝曹叡が失政をなした二の轍を踏まぬためには何をすればよいだろうか、と問い合わせておる。郭祚がその答えとして当詩の一句を引き合いに出せば、打てば響くかのように、孝文帝もその次の句を引く。何ともまあ典雅なやり取りである。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E5%9B%9B#%E3%80%8A%E8%BB%8A%E8%88%9D%E3%80%8B
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