素冠(引用6:服喪期間のふしだら)
喪中の白い冠を被る、あのお方。
あのお方とお会いしたい。
すっかりやつれあがり、痛ましい。
そのお心もさぞ、お疲れであろう。
喪中の白い衣を着る、あのお方。
あのお方とお会いしたい。
私も、悲しくなってしまう。
どうか、あのお方とつがいとなれれば。
喪中の白い膝掛をお召の、あのお方。
あのお方とお会いしたい。
私の心も鬱々としてしまう。
ああ、あのようなお方と
一つになれたなら。
○国風 檜風 素冠
喪中のあのお方に懸想する、といった詩であるな。確かに喪装はエr人類たるもの服喪のさなかは悲しみに専念すべきであるぞふしだらな。
○儒家センセー のたまわく
父に対する服喪は通常三年間! 母は通常一年であるが、父の死後に母が亡くなったら、やはり三年間喪に服す! だが、当詩に描かれている者がらは服喪期間を守ろうとする気がない! これだから檜人ときたら! なんだ「一つになりたい」とは! 「一つになりたい」とは! けしからん、けしからん!!!!!!!!
■女たらしはこれだから……
三國志2 文帝本紀裴注
是故喪禮素冠,鄶人著庶見之譏,宰予降朞,仲尼發不仁之歎,子頹忘戚,君子以爲樂禍,魯侯易服,春秋知其不終,豈不以墜至痛之誠心,喪哀樂之大節者哉?
曹丕が服喪期間中に妃をめとったとこを批判する孫盛の文章中の一節である。服喪期間中に「素冠をかぶって」身を慎むべきであるのに、鄶人や宰予や子頹や魯侯はなおざりにしてたのを批判されてたろ、そんなことしてるから曹丕の在位期間、ひいては魏の命運は短かったんだよ、というのである。
■帝にして孝子
・晋書3 司馬炎
・晋書20 礼中
・宋書15 礼二
帝雖從漢魏之制,既葬除服,而深衣素冠,降席撤膳,哀敬如喪者。
司馬炎は皇帝でこそあったものの、葬儀を終えてもやはり喪装のままであったという。放っておけば三年間はそのままであったのやもしれぬが、途中で臣下に「さすがに勘弁してください」と言われ元に戻したそうである。
■喪に服したいっつってんだろ
晋書83 顧和
吾在常日猶不如人,況今中心荒亂,將何以補於萬分,只足以示輕忘孝道,貽素冠之義耳。
顧和は東晋の建立に大きく寄与した大宰相、王導の幹部として辣腕を振るった人物。母が死んだため服喪についたのだが、その手腕を朝廷より惜しまれ復帰を催促された。その時の返答である。「そもそも私は非才であるのに、しかも今は心乱れております。このような有様でお国の大事を請け負えますでしょうか、それでなくとも素冠をかぶって孝の徳を示しきるのすら危うくおりますのに」とのことである。その後皇帝より再三の召喚要請があったがすべて蹴り、喪が明けて後、ようやく復帰した。
■ヘーカにお会いしてっす!(なお)
晋書86 張重華
猛將鷹揚,不豫告成之次,瞻雲望日,孤憤義傷,彈劍慷慨,中情蘊結。
東晋中期ごろに涼州を支配していた張重華は、後趙や前秦を攻撃。中原国家を挟んだ向こう側にある涼州の攻撃は、東晋にとってはいわば後方支援ともなる。故に張重華は戦果を引っ提げ「あぁ^~陛下に拝謁する光栄に浴したいんじゃ^~」と、当詩における「蘊結」句を引用して語るのである。
■服喪の議論
宋書16 礼三
如宏所上公羊之文,如為有疑,亦以魯閔設服,因言喪之紀制爾。何必全許素冠可吉禘。
454 年、劉宋文帝は皇太子に殺害された。その凶逆をなした皇太子を討ち果たし、即位したのが皇太子の弟、孝武帝である。その治世の冒頭にて、「どのように父の喪に服すか」という議論がなされた。その際に春秋公羊伝の閔公二年の条を引き、「いや別に三年間ずっと素冠かぶり続ける必要もなくね?」的に議論をなしておる、ようである。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%83#%E3%80%8A%E7%B4%A0%E5%86%A0%E3%80%8B
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