載馳(引用6:故郷の滅亡を嘆く)

載馳たいし



載馳載驅たいしたいく 歸唁衛侯きげんえいこう

驅馬悠悠くばゆうゆう 言至于漕げんしうそう

大夫跋涉たいふばっしょう 我心則憂がしんそくゆう

 馬にムチ打ち、疾駆させ、

 早く帰還し、衛侯をお見舞いしたい。

 馬でゆく道のりははるか、

 やがて漕の村に至るのだ。

 人々が忙しなく働きまわるのを見て、

 私の心は憂悶に満ちる。


既不我嘉きふがか 不能旋反ふのうせんぱん

視爾不臧しじふぞう 我思不遠がしふおん

既不我嘉きふがか 不能旋濟ふのうせんさい

視爾不臧 我思不閟がしふひつ

 あぁ、だが、この思いは祝福されない。

 ゆえに帰還は叶わない。

 誰も賛成をしてはくれないが、

 私の思いは止められぬ。

 あぁ、だが、この思いは祝福されない。

 ゆえに途中の川すら渡れぬ。

 

陟彼阿丘ちょくひあきゅう 言采其蝱げんさいきぼう

女子善懷にょしぜんかい 亦各有行しかくゆうぎょう

許人尤之きょじんゆうし 眾穉且狂しゅうちしょきょう

 あの丘に登り、アミガサユリを採る。

 女はとかく心配性なものだが、

 それはサガなので仕方がない。

 許の国の人は私の思いを咎めるが、

 かの者らこそ幼く、狂ってはおらぬか。


我行其野がこうきや 芃芃其麥ほんぽんきばく

控于大邦こううだいほう 誰因誰極しいんしきょく

大夫君子たいふくんし 無我有尤むがゆうゆう

百爾所思ひゃくじしょし 不如我所之ふじょがしょし

 衛への道のりを行けば、

 たわわに実るムギを見ることになろう。

 大国に助けを求めたいのだが、

 誰を頼ればいい?

 誰が助けてくれる?

 人々よ、君子よ。

 どうかわたしを咎めてくださいますな。

 あなた方の思いでは、

 私の思いには到底及ばぬのだ。




〇国風 鄘風 載馳


懿公の時代に一時滅亡した衛を、衛から許に嫁に出た夫人が、帰らせてほしいのに帰してくれない、と嘆く。これについてはさすがに「素朴な読み方」は難しそうであるな。清代のアンチ毛詩マン氏はこの詩にどのような解釈をしたのかな。気になるところである。あえて申せば、公と侯の揺れにはいかほどの意味があるのかな。後世の五爵制からすれば降格であるが、さて。




〇儒家センセー のたまわく


特に付け加えることはない!




■石崇の驕り


晋書33 史臣評 賛

帝風流靡,崇心載馳。


皇帝の権威が衰え、石崇の木心は林建てられた、と言うもの。石崇は功臣の息子であることをかさに着て贅の限りを尽した生活を送るも、最終的には八王の乱にて刑死している。「衰亡」にリンクして用いられているところがあるようである。




■踊り子を招くとか氏ね!


晋書94 夏統伝

季桓納齊女,仲尼載馳而退!


夏統は一族とトラブルがあって縁を切っていたのだが、母親が病を得たと聞き、一度実家に戻ってきた。するとそこでは母親の病快癒を祈る、と称し、怪しげな巫女に踊らせていた。ブチギレた夏統は絶叫する。魯公の季桓が齊から受け取った女どもに入れあげるのを見て、孔子は「もうこの国は救いようがない」と立ち去っただろう! と。ここでもやはり「衰亡」にリンクしておる。




■劉曜の破滅はしゃーない


晋書103 劉曜載記 史臣評

縱武窮兵,殘忠害謇,佞人方轡,並後載馳,閹豎類於回天,凝科逾於砲烙。


武力を欲しいままとして残されたわずかな忠臣を害し、阿諛追従の徒を近づけ、女どもを侍らせ、小賢しいものどもを宮廷内に蔓延らせ、紂王も真っ青な乱行を繰り返してんだからそりゃ滅びるだろ! と言った論調である。やはりここも「衰亡」に絡んできておるな。




■人生、幾何ぞ


宋書21 楽志 上山善哉行 六

策我良馬,被我輕裘。載馳載驅,聊以忘憂。


劉宋文帝を讃える詩のようであるが、全体としては憂悶にくれるなか船遊び、遠乗りをして憂悶を払いたい、と言ったふいんきである。まさに当詩の第一連そのままであるが、これが楽志、言ってみれば宋の公認歌曲集に納められているのはいささか不思議なところもある。これは楽志全体から見てゆかねば採録の理由を解き明かせぬのかな。




■死んでも殺す


宋書48 毛脩之

臣雖効死寇庭,而理絕救援,是以束骸載馳,訴寃象魏。


毛脩之は益州を統治していた人物の親族であった。その親族が譙縦の興した乱によって殺されたため、乱の鎮圧、兼敵討ちのために進軍。だがそれを同行する人物によって妨害される。「こいつどうにかしてください!」と劉裕に頼み込んだ時の一節である。俺自身は殺されてでも、屍引きずってでもやつのところに駆けつけ、殺してやる! 的気合は感ぜられるのだが、訴寃象魏の四文字がさっぱり意味不明である。




■栄職いやでござる


宋書66 王裕之

臣比自啟聞,謂誠心已達,天鑒玄邈,未蒙在宥,不敢宴處,牽曳載馳。


左光祿大夫、開府儀同三司、侍中というとてつもない栄職諮問があった時に辞退した時の言葉。正直まるで意味が取れぬ。そこを敢えて強引に解せば、このとき琅邪王氏はだいぶ血塗られた手立てによって栄職を得ておる。その列に加わるのには「載馳」の足音を聞かずにおれぬ、となるのであろうか。またいま少し漢文力が上がり次第再挑戦しておきたいところである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%89#%E3%80%8A%E8%BC%89%E9%A6%B3%E3%80%8B

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