巻耳(出征した夫を憂う/王を支える妃)

卷耳けんじ 引用30

妻→夫 出征 残された者 妃の徳 臣下を求める



采采卷耳さいさいけんじ 不盈頃筐ふえいけいきょう

嗟我懷人あーがかいじん 寘彼周行しひしゅうぎょう

 野に出てミミナの草を採取する。

 しかしこの小さなかごも、

 中々いっぱいにはならない。

 私は嘆息し、籠をわきに置き、

 出征したあの人を思う。


陟彼崔嵬ちょくひさいかい 我馬虺隤がばかいたい

我姑酌彼金罍がこしゃくかきんらい 維以不永懷いじふえいかい

「あの山を登るころには、

 おれの馬は疲れ果てるだろう。

 盃の酒を流し込み、

 長きの憂いを忘れ去ろう」 


陟彼高岡ちょくひこうがん 我馬玄黃がばげんおう

我姑酌彼兕觥がこしゃくかじこう 維以不永傷いじふえいしょう

「あの丘に登るころには、

 馬もへばってしまうだろう。

 角の盃の酒を流し込み、

 この苦しみから逃れよう」


陟彼砠矣ちょくひしいー 我馬瘏矣がばしょいー

我僕痡矣がぼくほいー 云何吁矣うんかういー

「あの岩山によじ登れば、

 おれの馬はぐったりしよう」

 私は嘆く。

 ああ、おかわいそうな旦那様、

 私に何ができましょう、と。




○国風 周南 巻耳

巻耳はそこいらに生えている食用の草。小さなかごであれば簡単に満杯になるはずなのに、夫の出征で気もそぞろになっている妻の手はどうしても止まる。そして妻は夫の軍旅の過酷さを思うわけである。ところでこの詩の様子だとむしろ馬のほうばかり気にしておらぬか。この妻はどうしてこう夫に馬の心配ばかりさせておるのだ。




○儒家センセー のたまわく

「后妃之志也,又當輔佐君子,求賢審官,知臣下之勤勞。內有進賢之志,而無險詖私謁之心,朝夕思念,至於憂勤也。」

ここに載る金罍や兕觥といった杯は貴人のみが持ちうる酒杯! そこからもこの主観者たる妻が王妃クラスの人間であることは明らかである! その妻が夫の仕事を心配するとは、すなわち国政に「良い臣下」を揃えねばならぬ、と心するのである!




■君は人材を重んじた!

晋書2 司馬昭

公簡賢料材,營求俊逸,爰升多士,寘彼周行,是用錫公納陛以登。


司馬紹に九錫授与がなされたときの詔勅の一節である。要はクソ雅語の塊の中に放り込まれておる感じである。なお「周行」はここのほか小雅鹿鳴・小雅大東にも見える。「大いなる道を行く」と言ったニュアンスが込められており、概して「上役が視察のために周遊する」と言った方向の言葉として用いられていくようになっていく。もちろん援用がたくさんある。以下の通りである。


・左伝 襄公15-1

 詩云.嗟我懷人.寘彼周行.能官人也.

・左伝 襄公15-1

 王及公侯。伯。子。男。甸。采。衞大夫。各居其列。所謂周行也。

・左伝 昭公12

 臣嘗問焉。昔穆王欲肆其心。周行天下。

・史記41 句踐 注

 禹周行天下,還歸大越,登茅山以朝四方羣臣

・史記47 孔子 注

 比孔子於鳳鳥,待聖君乃見。非孔子周行求合,故曰『衰』也。

・漢書10 成帝

 傳以不知,周行天下,而欲望陰陽和調,豈不謬哉!其務順四時月令。

・後漢書42 劉蒼

 帝饗衞士於南宮,因從皇太后周行掖庭池閣,乃閱陰太后舊時器服,愴然動容,

・後漢書66 陳蕃 注

 昔周穆王欲肆其心,周行天下,將皆必有車轍馬跡焉。

・後漢書118 百官五 注

 詔書舊典,刺史班宣,周行郡國,省察治政,省察治政

・三國志2 曹丕 注

 宜有鎮守之重臣,然後車駕可以周行天下,無內外之慮。

・三國志35 評 注

 偉劉氏之傾蓋,嘉吾子之周行。

・三國志42 郤正 注

 敖幼而好游,長不喻解,周行四極,惟北陰之不闚,今卒睹夫子於是,子殆可與敖為交乎!

・三國志60 賀斉

 齊身出周行,觀視形便,陰募輕捷士

・晋書21 礼下

 今使使持節侍中副給事黃門侍郎銜命四出,周行天下

・晋書80 王羲之

 及述為揚州刺史,將就徵,周行郡界,而不過羲之,臨發,一別而去。

・晋書124 慕容熙

 苻氏弗聽,遂棄輜重,輕襲高句驪,周行三千餘里,士馬疲凍,死者屬路。

・宋書15 礼二

 今使使持節侍中、副給事黃門侍郎,銜命四出,周行天下

・宋書40 百官下

 前漢世,刺史乘傳周行郡國,無適所治。

・宋書42 王弘

 又微古人進賢之美,尸位固寵,日積官謗,旋觀周行,興愧已厚。

・宋書64 裴松之

 今使兼散騎常侍渝等申令四方,周行郡邑

・宋書99 劉濬

 即遣主簿盛曇泰隨嶠周行,互生疑難,議遂寢息。




■クソ豪華な酒樽

・史記58 劉武 注

詩云『酌彼金罍』。罍者,畫雲雷之象以金飾之。


要は「クッソ豪華な酒樽」のことをさしておる。なお「罍」字のみでも割と登場はする。詩経でも小雅蓼莪・大雅泂酌に字が挙がる。


・後漢書40.2 班固下

 於是庭實千品,旨酒萬鍾,列金罍,班玉觴,嘉珍御,大牢饗。

・後漢書60.1 馬融

 羣師疊伍,伯校千重,山罍 常滿,房俎無空。

・晋書51 摯虞

 夏像韜塵于巿北兮,瓶罍抗方於兩楹。

・晋書55 潘尼

 設樽篚於兩楹之間,陳罍洗於阼階之左。

・晋書55 張載 弟 張協

 傾罍一朝,可以流湎千日,單醪投川,可使三軍告捷。




■曹植くん特殊な言葉にしたがるよね

・三國志19 曹植

修阪造雲日,我馬玄以黃。玄黃猶能進,我思鬱以紆。


「玄黄」とは基本的にめでたい色として用いられる。そのため史書で出てくる用法は基本的に儀式がどうのと言ったシチュエーションばかりであり、当詩に見えるような用法はほぼ、ない。その辺りを曹植とて重々承知であるはずなのに、あえて「あちこち引きずり回されてうちの黒い馬も黄色くなってんですけど!」と、無茶な出張ばかりを押しつけてくる兄貴に切れている。土徳の魏の象徴色は黄色であり、そこまで踏まえるとだいぶどぎつい非難のしかたしておらぬか……? と思わぬでもない。




■クソ豪華な酒杯

・三國志48 孫休 注

孤今為四男作名字:太子名𩅦,𩅦音如湖水灣澳之灣,字莔,莔音如迄今之迄;次子名𩃙,𩃙音如兕觥之觥,字𧟨,𧟨音如玄礥首之礥;次子名壾,壾音如草莽之莽,字昷,昷音如舉物之舉;次子名𠅨,𠅨音如褒衣下寬大之褒,字㷏,㷏音如有所擁持之擁。


「兕觥」は豳風七月・小雅桑扈・周頌絲衣にも見える句であり、基本的に史書中で当句が登場する場合、各詩の詩句引用という形である。が、この孫休伝裴注に載る「子供のためにオリジナルの文字考えたぜー!」なるクソバカ親エピソードの中ではオリジナル文字の読み方が「兕觥」の觥と一緒だぜーと言い出しておる。う、うむ、何というかな……。




毛詩正義

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