蓼莪(引用4:返せなかった親よりの恩) 

蓼莪りくが



蓼蓼者莪しくりくしゃが 匪莪伊蒿ひがいこう

哀哀父母あいあいふぼ 生我劬勞せいがくろう

 チョウセンヨモギを摘まずにいたら、

 すっかり伸び、雑草になってしまった。

 ああ、悲しきかな、わが父母よ。

 こんな凡庸な自分を産まれたため、

 ご苦労をおかけしてしまった。


蓼蓼者莪りくりくしゃが 匪莪伊蔚ひがいい

哀哀父母あいあいふぼ 生我勞瘁せいがろうすい

 チョウセンヨモギを育てるはずが、

 食えぬオトコヨモギになり果てた。

 ああ、悲しきかな、わが父母よ。

 こんな凡庸な自分を産まれたため、

 すっかり疲弊させてしまった。


缾之罊矣へいしかいいー 維罍之恥いらいしち

鮮民之生せんみんしせい 不如死之久矣ふじょししきゅういー

無父何怙むふかこ 無母何恃むぼかじ

出則銜恤しゅっそくせんじゅつ 入則靡至にゅうそくびし

 酒壺が空ともなれば、

 それは酒壺にとっての恥となろう。

 父母をまともに養育できぬ

 貧乏人の息子など、いっそのこと

 死んだほうがましなのではないか、

 と思うようになり、久しい。

 父なくして、誰を頼ろうか。

 母なくして、誰を頼ろうか。

 家の外ではただただうろたえ、

 家の中では所在なさげにするばかり。


父兮生我ふけいせいが 母兮鞠我ぼけいきくが

拊我畜我ふがちくが 長我育我ちょうがいくが

顧我復我こがふくが 出入腹我しゅつにゅうふくが

欲報之德よくほうしとく 昊天罔極こうてんぼうきょく

 父がわたしを生んでくださり、

 母がわたしを養ってくださった。

 撫でさすり、食べ物をくださり、

 成長を見守り、お育て下さった。

 目を掛けてくださり、心配をおかけし、

 家の外でも内でも、わたしを抱き、

 お守りくださった。

 その恩義に報いたく思うのだが、

 天のごとく果て無き大きさのため、

 お返しする当てが立たぬ。


南山烈烈なんざんれつれつ 飄風發發ひょうふうはつはつ

民莫不穀みんばくふこく 我獨何害がどくかがい

 南の山は寒気激しく、

 暴風が吹き荒れている。

 斯様に厳しき世の中にあり、

 人々はそれでも父母を養っている。

 なぜ、わたし一人がそれをなせぬのか。


南山律律なんざんりつりつ 飄風弗弗ひょうふうふつふつ

民莫不穀みんばくふこく 我獨不卒がどくふしゅつ

 南の山は寒気激しく、

 暴風が吹き荒れている。

 斯様に厳しき世の中にあり、

 人々はそれでも父母を養っている。

 なぜ、わたし一人がそれをなせぬのか。




○小雅 蓼莪


荒れた世の中にあり、父母に早くに先立たれた。そのため産み育ててくれた恩を返そうにも返すことができぬ。斯様な悲しみが切々と歌われておる。身ばかりが大きくなったところで役に立てられぬようでは、ただのウドの大木ではないか、と。そして史書は例によって幽王が云々と言う。もうそろそろ幽王から離れてもいいんじゃないですかね……。




■パパを失って辛い


三國志11 王褒 裴注

讀詩至「哀哀父母,生我勞悴」,未曾不反覆流涕,泣下沾衿。


父の王儀が司馬昭の不興を買い、早くに殺されたことを常日頃悲しむあまり、当詩の「哀哀父母,生我勞悴」の部分に差し掛かるたびに号泣し、袖を濡らしておったそうである。




■ワイはお見限りなんや……


三國志19 曹植

遠慕鹿鳴君臣之宴,中詠常棣匪他之誡,下思伐木友生之義,終懷蓼莪罔極之哀


これまでも紹介したが、曹植は曹丕に対して「兄上ラブ! 魏帝サイコー! 裏切りません! 裏切りませんから!!!」と、度々典拠ゴン盛りの手紙を送っておる。どちらかと言うとその文面があまりにも才気アピールすぎて、そのせいで曹丕に疎んぜられた気もせぬではないのだが。ここでも鹿鳴を始めとした四詩を引き合いに出して宮廷を懐かしむなど鬱陶しい真似を決めており、自身も文才に自信ニキであった曹丕にとっては「この野郎……」としか思えなかったのではないか。




■恵帝、楊駿を偲ぶ


晋書40 楊駿

舅氏失道,宗族隕墜,渭陽之思,孔懷感傷。其以{艸務}亭侯楊超爲奉朝請、騎都尉,以慰『蓼莪』之思焉。


西晋恵帝の母は楊駿の姪であった。その関係で楊駿は宮中で幅を利かせたのだが、それがたたり賈南風に殺された。なので「大おじさんの死が悲しい」と恵帝に言わせているわけである。殺したのアンタの奥さんですけどね! そして、同族の楊超を取り立てることで奉朝請・騎都尉とし、これにて当詩にある「父母に孝行し切れなかった悲しみ」を収めるように、と説くのである。




■蓼莪を隔離しとけ


晋書88 王裒

及讀『詩』至「哀哀父母,生我劬勞」,未嘗不三復流涕,門人受業者並廢『蓼莪』之篇。


上にある王褒と同一人物である。ここでは三国志と同じような内容を語ったうえで、彼の生徒たちが『蓼莪』をテキストより廃したという。泣きじゃくってしまい、授業が進まぬためである。いやしかし、この手のひとに遠ざけ措置をとってみたところで、前後の谷風、大東に差し掛かるだけでも泣いてしまいそうな気はせぬでもないのだがな。それでもまだまし、的な措置であるのかな。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B8%89#%E3%80%8A%E8%93%BC%E8%8E%AA%E3%80%8B

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