武(引用1:殷を討った武王)



於皇武王おこうぶおう 無競維烈むきょういれつ

允文文王いんぶんぶんおう 克開厥後こくかいくつご

嗣武受之しぶじゅし 勝殷遏劉しょういんあつりゅう

耆定爾功きていじこう

 おお、なんと偉大なる武王。

 その烈しき武威。

 実に明徳あふれるは、文王。

 見事に後進への道を切り開かれた。

 文王の業を継がれた武王は、

 紂王の無道を食い止めた。

 かくして、その功を

 お定めになったのだ。




○周頌 武

文王武王は詩経が最大の賞賛を贈るべき対称である、と言うのはここまでも散々見てきたところである。ゆえに、ここであえて申し上げておこう。宮崎市定などは「東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会」に於いて「いや周って別に殷が無道だったから滅ぼしたんじゃなくて殷のエリアにある塩が欲しくて襲いかかった蛮族でしょ」としておる。そしてその周が覇権を得て「文明化」するに従い、殷の殲滅に名分を求めた、とするのが周の建国伝説である、とするのである。仮に宮崎説に拠るのであれば、詩経に載る言葉のほとんどが「事実を塗りつぶすための言葉」となってくるわけであり、大変愉快である。正しい、正しくない、と言ったことを語れる学識はないので、「この説に基づくと妄想が捗って楽しいですよ」と、クソみたいなエクスキューズをつけておこう。




■京観? 都の眺めですかね?


左伝 宣公12-6 

止戈為武.武王克商.作頌曰:「載戢干戈,載櫜弓矢。我求懿德,肆于時夏。允王保之。」又作武,其卒章曰:「耆定爾功。」其三曰:「鋪時繹思,我徂維求定。」其六曰:「綏萬邦,屢豐年。」夫武,禁暴,戢兵,保大,定功,安民,和眾,豐財者也。


宣公の治世時、楚と晋が戦争を起こし、楚が勝利した。ここで楚の士大夫が「京観を作って勝利を祝いましょう!」と語るのだが、楚王がアホか、と上記発言をする。要は武とは無道を止めるものであり、暴虐のために使うものではない、としたのである。なおあえて伏せたが、京観とは打ち破った敵の死体の首を切って首塚を作ることを言う。


なおこの書き方だと当詩の終章、三章、六章にそれぞれ引用があるとなっておるが、ご覧の通り、当詩は一章編成。そしてここで言う三章として引いておる詩は後に紹介する賚に、六章は桓にそれぞれ現れる。どの段階で当詩が分裂し、別々の詩として扱われたのであろうかな。なお「重刊宋本十三經注疏附校勘記」にては、おそらく楚で成立していた歌の順序ではないか、としておる(此三六之數,與今詩頌篇次不同,蓋楚樂歌之次第)。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B9%9D#%E3%80%8A%E6%AD%A6%E3%80%8B《ぶ》



於皇武王おこうぶおう 無競維烈むきょういれつ

允文文王いんぶんぶんおう 克開厥後こくかいくつご

嗣武受之しぶじゅし 勝殷遏劉しょういんあつりゅう

耆定爾功きていじこう

 おお、なんと偉大なる武王。

 その烈しき武威。

 実に明徳あふれるは、文王。

 見事に後進への道を切り開かれた。

 文王の業を継がれた武王は、

 紂王の無道を食い止めた。

 かくして、その功を

 お定めになったのだ。




○周頌 武

文王武王は詩経が最大の賞賛を贈るべき対称である、と言うのはここまでも散々見てきたところである。ゆえに、ここであえて申し上げておこう。宮崎市定などは「東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会」に於いて「いや周って別に殷が無道だったから滅ぼしたんじゃなくて殷のエリアにある塩が欲しくて襲いかかった蛮族でしょ」としておる。そしてその周が覇権を得て「文明化」するに従い、殷の殲滅に名分を求めた、とするのが周の建国伝説である、とするのである。仮に宮崎説に拠るのであれば、詩経に載る言葉のほとんどが「事実を塗りつぶすための言葉」となってくるわけであり、大変愉快である。正しい、正しくない、と言ったことを語れる学識はないので、「この説に基づくと妄想が捗って楽しいですよ」と、クソみたいなエクスキューズをつけておこう。




■京観? 都の眺めですかね?


左伝 宣公12-6 

止戈為武.武王克商.作頌曰:「載戢干戈,載櫜弓矢。我求懿德,肆于時夏。允王保之。」又作武,其卒章曰:「耆定爾功。」其三曰:「鋪時繹思,我徂維求定。」其六曰:「綏萬邦,屢豐年。」夫武,禁暴,戢兵,保大,定功,安民,和眾,豐財者也。


宣公の治世時、楚と晋が戦争を起こし、楚が勝利した。ここで楚の士大夫が「京観を作って勝利を祝いましょう!」と語るのだが、楚王がアホか、と上記発言をする。要は武とは無道を止めるものであり、暴虐のために使うものではない、としたのである。なおあえて伏せたが、京観とは打ち破った敵の死体の首を切って首塚を作ることを言う。


なおこの書き方だと当詩の終章、三章、六章にそれぞれ引用があるとなっておるが、ご覧の通り、当詩は一章編成。そしてここで言う三章として引いておる詩は後に紹介する賚に、六章は桓にそれぞれ現れる。どの段階で当詩が分裂し、別々の詩として扱われたのであろうかな。


調べてみたところ「重刊宋本十三經注疏附校勘記」にては、おそらく楚で成立していた歌の順序ではないか、としておる(此三六之數,與今詩頌篇次不同,蓋楚樂歌之次第)。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B9%9D#%E3%80%8A%E6%AD%A6%E3%80%8B

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