文選補亡 華黍(王の世の幸いを願う)
重くのしかかる黒雲の下、
穏やかな風が吹く。
丘の上にキビが花を咲かせ、
中腹ほどにはムギが実る。
種まきせぬ畑などあるまい。
穀物が様々に実っている。
重くのしかかる黒雲の下、
恵みの雨が降りしきる。
キビはたわわに花を咲かせ、
また、穂を伸ばす。
苗を植えぬ畑などあるまい。
穀物がさかんに実っている。
高い場所に種を播かぬ場はなく、
低い場所に苗を植えぬ場はない。
苗が若葉を伸ばし、
穂は長々と伸びる。
我が王のために恵みを蓄え、
我が民のための食事に充てる。
玉の燭台にはあかあかとした灯。
天子のご政道に栄えあれ。
○文選補亡詩 華黍
不穏な空気を持ち出し、しかし不穏な空気の下にはのどかな景色。九穀の豊穣なるが歌われ、それによって王が、民が満ちる。なるほど、豊かな実りと言う、国の繁栄を祝うかのようである。が、地味に詩句中に「黍○麥秀」という、亡国を言い表す典型の句を混ぜ込んできておる。なかなかに陰湿な意図がこもっており、良い。「いつ滅ぶともわかんねえんだから、いまのこの繁栄、大切にしなきゃだめよ?」的な思いが忍ばされておろう。
なにせこの詩を書いた束晳は、詩経各詩の作者たちとは違い、周どころか漢、魏の滅亡を知っておる。かつその死亡が 300 年ともなれば、西晋にすら亡国の兆しを見出していてもおかしからぬ。無邪気にお国の永久の繁栄など願えぬのがありありと伝わってくるかのようである。その思いを想像するに同情ひとかたないのだが、ここで敢えて申し上げよう。
補亡として歌うなら、もう少しご自身の心情隠しとこうや、な?
(まあ、束晳自身は単なる借題として詠っただけなのやも知れぬがな)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます