小旻(引用16:乱政批判)

小旻しょうびん



旻天疾威びんてんしつい 敷于下土ふうかど

謀猶回遹ぼうしゅうかいいつ 何日斯沮かじつきしょ

謀臧不從ぼうぞうふじゅう 不臧覆用ふぞうふくよう

我視謀猶かしぼうしゅう 亦孔之邛えきこうしきょう

 人を憐れむべき天は、

 しかしいまは暴威の限りを尽くし、

 天下を傷つける。

 なされる政はよこしまであり、

 いつ改まるのかもわからない。

 よき献策は用いられず、

 悪い献策ばかりが用いられる。

 私はこのありさまを見て、

 憂い、悩みを盛んとする。

 

潝潝訿訿きゅうきゅうしし 亦孔之哀えきこうしすい

謀之其臧ぼうしきぞう 則具是違そくぐぜい

謀之不臧ぼうしふぞう 則具是依ぞくぐぜい

我視謀猶がしぼうしゅう 伊于胡底いうこてい

 高官が群れてなすのは悪いはかりごと。

 何ともつらく、悲しきことか。

 よき献策はいずれも退けられ、

 よからざる献策ばかりが採用される。

 将来この国はどうなってしまうのだ、

 まるで行く末が見通せぬ。


我龜既厭がききえん 不我告猶ふがこくしゅう

謀夫孔多ぼうふこうた 是用不集ぜようふしゅう

發言盈庭はつげんえいてい 誰敢執其咎せいかんしつききゅう

如匪行邁謀じょひこうまいぼう 是用不得于道ぜようふとくうどう

 いくら天意を占いにて問うたところで、

 現れるのは良からざる徴のみ。

 小人たちが愚にもつかぬ議論をなし、

 議論が決着する見通しもない。

 下らぬ論こそ立ち上げるが、

 誰もその責任を引き受けようともせぬ。

 下らぬことをさえずってばかりでは、

 いつまでも国の方針は定まらぬ。


哀哉為猶あいかいしゅう

匪先民是程ひせんみんぜてい 匪大猶是經ひだいしゅうぜけい

維邇言是聽いじげんぜちょう 維邇言是爭いじげんぜそう

如彼築室于道謀じょかちくしつうどうぼう 是用不潰于成ぜようふかいうせい

 悲しきものだ。

 元来人々は政をなすのに、

 古の聖王を範としてきた。

 しかしいまの政は、

 卑俗な近習の言葉を聞き、

 卑俗な言葉でのみ言い争う。

 遠望など、どこに見出せるだろうか。

 自らの家を建てるのに、そのやり方を

 路傍のひとに問うようなものだ。

 そのやり方で、どうして

 家がつぶれずに済むと思うのだ。


國雖靡止こくすいびし 或聖或否いくせいいくひ

民雖靡膴みんすいびぶ 或哲或謀いくてついくぼう 或肅或艾いくしゅくいくがい

如彼泉流じょかせんりゅう 無淪胥以敗むりんしょじはい

 国の機能が停止しても、

 賢人も凡人もいる。

 民のもとから道理が失われても、

 哲人もいれば知恵者もおり、

 貞淑な者、一本筋の通った者もいる。

 しかしそれら清き流れも、

 濁流に交じってしまえば、

 もはや見る影もなくなってしまう。

 

不敢暴虎ふかんぼうこ 不敢馮河ふかんひょうが

人知其一じんちきいつ 莫知其他ばくちきた

戰戰兢兢せんせんきょうきょう

如臨深淵じょりんしんえん 如履薄冰じょりはくひょう

 虎を素手で殴ろうとする者も、

 荒れ狂う川を徒歩にて

 渡ろうとする者もおるまい。

 誰もがその辺りを弁えるが、

 お国で同じことが起こっていても、

 気に留める者もない。

 ならば我々に許されるのは、

 周囲の脅威におびえ、

 深みのとなりを歩むように、

 薄い氷の上を渡るように、

 生きてゆくことのみである。




○小雅 小旻


引き続き世の無道を歌う詩であるが、この詩に至っては無力感が先立って来ておる。その白眉は最終連であろう。暴虎馮河と言う言葉は近寄ってはならぬものの慣用句であるし、戰戰兢兢は現在でも通用している四字熟語。当詩の訴えるところは切実であるが、最終連さえ読んでしまえば、あとは割と無視しても構わぬやもしれぬ。




■いやこの地位マジ怖いんすけど


三國志4 曹髦

懼不能嗣守祖宗之大訓,恢中興之弘業,戰戰兢兢,如臨于谷。


のちに司馬昭打倒の兵をあげ、その混乱のさなかに打ち取られてしまう曹髦。その即位からして司馬師のお膳立てであり、強引に即位させられそうになった時にも「即位いやでござる」を言い続けた。ここにあるのは即位の際の詔勅であるが、皇帝に即位する人間が示すべき謙譲の念を押し出したその内容を読み上げながら「司馬師なんでてめえここまで人の気持ちわかっときながら人を即位させようとすんだよふざけんな」と思ったのではなかろうか。




■荀彧パねえ


三國志10 荀彧 裴注

陛下幸許,彧左右機近,忠恪祗順,如履薄冰,研精極鋭,以撫庶事。


曹操が荀彧の功績を献帝に上申した、その一節である。自身がどれだけ荀彧に助けられてきたか、そして今陛下のお傍で荀彧がどれほど忠実に、「慎重に」政を補佐しているか、をうたい上げる。なので荀彧に高い爵位を与えてやってよね~ぇと献帝におねだりしているのである。




■叔父さんマジ気を付けてね


三國志20 曹幹

叔父茲率先聖之典,以纂乃先帝之遺命,戰戰兢兢,靖恭厥位,稱朕意焉。


曹操の息子曹幹が、明帝の時代に勝手に賓客と面会した。魏のルールでそれはやってはいけない、とされていたにもかかわらず、である。なので明帝は曹幹に対して「勘弁してください叔父さん」と書をしたためておる。その一節である。おじさん先帝が決めたルールに従って、「慎重に振る舞ってください」よマジで、と懇願されるのである。




■諸葛恪、孫権の子にキレる


三國志59 孫奮

大王宜深以魯王爲戒,改易其行,戰戰兢兢,盡敬朝廷,如此則無求不得。


孫奮は孫権の子。命令違反をしたりと面倒くさい子であった。なのでそれに手を焼いた諸葛恪が孫権に対し長々とした「お前の息子どうにかしろや」状を送っている。その一節である。このままだとお前春秋魯の王がやらかしたポカをなぞることになるぞ、早いうちに孫奮の振る舞いを何とか改めさせて、つつましやかに行動させろやと言うのである。




■わしゃ愚昧なのでな


晋書4 司馬衷

昧於大道,不明于訓,戰戰兢兢,夕惕若厲。


晋を傾けた「とされる」恵帝司馬衷、即位後初めて迎えた正月の詔勅である。まー実際がどうだったのかはさておき、詔勅ではこの通り「不明のものが慎重に政務を取り仕切っていかねばならない」と決意表明しておる。なお




■桓温ちゃんタスケテ


晋書9 司馬昱

朕以寡德,猥居元首,實懼眇然,不克負荷,戰戰兢兢,罔知攸濟。


簡文帝司馬昱が即位後、国が傾くのは朕の不徳であるため、恐る恐る毎日を過ごしております、的な内容である。いや不徳と言うか。ともあれこの詔勅の趣旨は朕が不徳で頼りないから桓温ちゃんに助けてもらってるぜセンキュー的な内容である。




■桓温ちゃんセンキュー


晋書9 司馬昱

吾承祖宗洪基,而昧于政道,懼不能允厘天工,克隆先業,夕惕惟憂,若涉泉冰。


朕の不明が著しいけどそれでも何とか「深みの傍を歩くように、薄い氷の上を歩くように」進んでるよ、そいつを助けてくれてるのが桓温ちゃんだぜセンキューである。「若涉泉冰」は、なにぶん晋書が唐の本であるため李淵の「淵」字が避けられておる。わかるかこんなん。




■人の力じゃ無理


晋書52 阮种

又比年連有水旱災眚,雖戰戰兢兢,未能究天人之理,當何修以應其變?


西晋時代、学者の家柄として仕え、数々の献策をなした人物である。上記はそんな阮种に対して、時の帝(まぁ武帝であろう)「自然災害ひどすぎ、どれだけ「天を恐れて」頑張っても天災被害が解決しない、どーすりゃえーねん」と問うておる。




■司馬冏様マジ勘弁してや


晋書89 王豹

挾大功,抱大名,懷大德,執大權,此四大者,域中所不能容,賢聖所以戰戰兢兢,日昃不暇食,雖休勿休者也。


八王の乱の真ん中あたりのひと、司馬冏が朝廷で政権を握った時に、補佐官であった王豹は「いやその地位危ういからやめときーや」と訴え出た。その一節である。ちなみにこれら訴え出の前に晋書は「冏驕縱,失天下心」であったから王豹がこの訴えをなしたと謳うわけであるが、王豹の訴え出は今その地位につくのは危うすぎるからやめときーやで徹底しておる。「やってること危ういからやめーや」ではない。そういうとこやぞ晋書。




■演慎論


宋書43 傅亮


・文王小心,大雅詠其多福;仲由好勇,馮河貽其苦箴。


・故詩曰:「不敢暴虎,不敢馮河。」慎微之謂也。


傅亮は宋武帝劉裕の書記官として劉裕の公式発言の文面を一手に引き受けていた文人。その関係で朝廷内でも権勢を得、劉裕崩御の折には後事を託された。その彼はのちに後継者の廃立→殺害に絡んだかどで文帝劉義隆に殺される。その流れに乗ることを自覚しておったのであろう、やや自虐的なこの論の中で「文王めっちゃ小心だったからその功績が多いに謳われて、孔子の高弟子路は無謀とも言える人物だったから荒れ狂う衛国の情勢に巻き込まれて死んだ」とか「慎重であるに越したことがないのだ」と当詩を引き、「危ういもんに近寄んない方がいいよね」と論じておる。もっとも危ういもんのど真ん中にいてしまったわけであるが。




■臣民のために頑張るやデ


魏書7上 孝文帝 元宏

朕承乾緒,君臨海內,夙興昧旦,如履薄冰。


孝文帝元宏が内憂外患をいろいろやっつけた後に表明した詔勅の一節である。一日一日、薄氷を踏む想いで頑張るやデ、と表明しておる。




■六鎮の乱つらたん


魏書9 孝明帝 元詡

朕幼齡纂曆,夙馭鴻基,戰戰兢兢,若臨淵谷。


北魏孝明帝は六鎮の乱、つまり北魏の国威をベッキベキに削った大乱真っただ中の折の皇帝である。その折の詔勅の一節。ワイ慎重に頑張ってるよ、頑張ってるのに、何じゃこのクソな状況、と嘆く感じである。




■馮皇太后の目がきらり


魏書21上 元禧

汝兄繼承先業,統御萬機,戰戰兢兢,恒恐不稱。


元禧は孝文帝元宏の弟。彼の伝は、そのしょっぱなで北魏に君臨した女帝・馮太后より上記のごとく言われておる。「お前の兄貴は国のトップとして日々慎重に慎重を期し、皇帝の威名を損ねぬようしている」のだから、お前も兄の名に恥じぬよう務めなさいよ、と言われるのである。縮むわこんなもの、いろいろなものが。




■我はすごい


魏書35 崔浩

朕以眇身,獲奉宗廟,戰戰兢兢,如臨淵海,懼不能負荷至重,繼名丕烈。


北魏の軍略において朝廷の小人どもは我の献策に耳を貸さずピーチクパーチクさえずるのであるが、ことごとくが見当外れも甚だしく、常に我が献策のみが当を得る、と言った状態であった。これを主上にたたえられたことがある。ここに載るはそんな主上よりのお言葉の一節。主上も皇統を引き受けられ、その重みを背負いきれるのが不安でいらっしゃる気持ちを隠さずにおられた。ならば我ひとりが主上の重荷を分かち合えた、と言うことができよう。まったく、役に立たぬ者どもめ。



■日々更新


魏書52 宗欽

不曰我新,而忽其故。如彼在泉,臨深是懼。


宗欽ははじめ北涼に仕え、やがて北魏にて我とともに文人として仕えた人物である。ここに載るは北涼時代に一種の箴言として提出したもの。かなり長い内容であるため文意はうまく取り切れておらぬのだが、温故知新の精神と、かつ入念な慎重さとを歌ったのであろうか。なお彼はのちに我とともに死を賜っておる。マブダチである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E5%B0%8F%E6%97%BB%E3%80%8B

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る