小雅(しょうが)
鹿鳴之什(ろくめいのじゅう)
鹿鳴(引用4:王が催す宴)
ゆう、ゆうと鳴くシカがヨモギを食す。
我がもとにも良き賓客がある。
彼とともに音楽を奏でよう。
恭しく引き出物の入った箱を掲げ、
賓客らに配る。
人よ、私を愛してくれたまえ。
私もあなたたちを愛そう。
ゆう、ゆうと鳴くシカが
ノニンジンを食している。
我がもとにも良き賓客がある。
彼らは徳の大いなる方々。
私が彼らを手厚く遇すれば、
かれらもまたそれに倣おう。
さあ、美酒がある。
お飲みになり、ともに宴を楽しもう。
ゆう、ゆうと鳴くシカがヒジワを食す。
我がもとにも良き賓客がある。
彼とともに音楽を奏でよう。
音楽によって打ち解け、
友愛を胸いっぱいに感じ取る。
さあ、ここに美酒がある。
これであなた方の心を
心の底から楽しませたい。
○小雅 鹿鳴
「民を愛する君子」を集めてもてなす、のであるから、王侯レベルの人物が開催した宴、となろう。あなたが民を愛してくれるのであれば、私はあなたを愛する。だから私とともに良き国を作っていただきたい。そのような思いが宴に現れておるようである。
なお小雅以降は、儒家センセーのコメントをカットする。詩句と含意の乖離がはなはだしいと感じた場合にはご登壇いただく予定であるが、ここから先は朱子学でも「さすがにここからは政治にまつわる詩でしょ」と判断しておるためである。そうすると当作の当初の目的が果たせぬことにはなるが、まぁここまでやって全部に触れぬのも癪なのでな。
■ワイはお見限りなんや……
三國志19 曹植
遠慕鹿鳴君臣之宴,中詠常棣匪他之誡,下思伐木友生之義,終懷蓼莪罔極之哀
これまでも紹介したが、曹植は曹丕に対して「兄上ラブ! 魏帝サイコー! 裏切りません! 裏切りませんから!!!」と、度々典拠ゴン盛りの手紙を送っておる。どちらかと言うとその文面があまりにも才気アピールすぎて、そのせいで曹丕に疎んぜられた気もせぬではないのだが。ここでも鹿鳴を始めとした四詩を引き合いに出して宮廷を懐かしむなど鬱陶しい真似を決めており、自身も文才に自信ニキであった曹丕にとっては「この野郎……」としか思えなかったのではないか。
■陛下しゃんとせいや
晋書2 司馬師
明當大會、萬眾瞻穆穆之容、公卿聽玉振之音。詩云、示人不佻、是則是效。
司馬懿の息子、司馬師は三代目の魏帝曹芳を廃し、曹髦を帝位につけた。その曹髦が臣下と一堂に会するに当たり、何やらソワソワしていた。そこで司馬師が上記の言葉を掛けたのである。明日、下々はあんたの皇帝としての堂々とした姿を、声明を期待してんだぞ、詩にも言うだろう、「帝が下々を深く気にかけてる」様子に、下々のものは倣うんやで、とのことであるが……いきなりそっちの都合で帝位につけやがったんだろ、と曹髦は言いたかったのではないか。後に司馬師が急死すると、曹髦は司馬氏排除を試みようとするも、あえなく討ち取られた。
■ワイが嘉賓やで
晋書67 郗超
超字景興,一字嘉賓。
東晋で権勢を握り、禅譲まであと一歩、というところにまで迫った武将、桓温。彼にとっての諸葛亮、それがこの郗超であった。世説新語等では、ほぼ間違いなく嘉賓呼びを受けている。桓温と寝床をともにすることもあるほどの信頼を受けており、桓温の政敵であった謝安からは「まさにあなた様の入幕の賓(※参謀の俗称)ですな」と指摘されてもいる。
■獣だって会食するというのに
魏書45 裴安祖
就師講詩,至鹿鳴篇,語諸兄云:「鹿雖禽獸,得食相呼,而況人也?」自此之後,未曾獨食。
太武帝期末ころの人物であるが、幼くして詩経を学ぶ際、当詩を読んで「獣ですら食事を一緒に取るのに、人がそうせぬわけにはまいりませんよね」と、以降一人で食事はせぬそうになったそうである。会食であるな。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B9%9D#%E3%80%8A%E9%B9%BF%E9%B3%B4%E3%80%8B
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