崔浩コラム⑫ 謝霊運詩引用
ごきげんよう、崔浩である。
割とコラムのネタが尽きてきた。
以降、コラムの間隔を
空けさせて頂こうと思う。
さて。今回は、
「いいでしょう、
本当の引用ってやつを
教えてあげますよ」
を、提示いたそう。
すなわち、詩経を後世の詩人が、
どのように引用したか、を紹介いたす。
取り上げるは、
東晋末~劉宋初に現れた
「古詩を除けば最強の詩人」
と唐代に言われた、謝霊運。
宋書には彼のものした作品が
残されておるのだが、
これまで意図的に
その引用を避けてきた。
何故か。
クッソ多いのだ。
なので、そのクッソ多い引用を、
こちらで一挙に紹介させていただく。
すごいんだわ……マジで。
○撰征賦 序
・天子感東山之劬勞
邶風凱風+豳風東山の合わせ技。「周公旦にも比すべき宰相」劉裕が「遠征に出た」のを東山の詩に引き合わせ、かつ凱風の「母氏劬勞」句、すなわち敬服するお方の苦労と表現しておるわけである。
○撰征賦
・歌零雨於豳風、興採薇於周詩。
豳風東山の句を借用し、合わせて小雅采薇をも合わせて歌う。ともに出征の労苦を歌った内容で、ここもやはり劉裕の出征の労苦を歌う。
・歡太階之休明、穆皇道之緝熙。
皇帝が導く世の偉大さ、輝かしさを称揚する中で大雅文王よりの語句を引用しておる。「穆穆たる文王、於々、緝熙にて敬止す」より。……どうすればこんな語彙が思いつくのだ。
・納隍之誡,一援於生民。
劉裕の民に手を差し伸べんとする姿勢をうたい上げる一節。生民はそのままの題の詩が大雅にある。ただしこの詩そのものは周の先祖について歌い上げるものであり、詩題を「生ける民」と解し用いた、という装いである。
・慨齊吟於爽鳩、悲唐歌於山樞。
謝霊運が三国呉の時代の旧跡を訪れた際の一節。斉の地がもともと爽鳩氏のものであったが滅び、その後を周公旦が請け負ったこと、そして唐風山有樞にて、晋の昭公が叔父の桓叔に国を奪われたことを合わせて引き合いとし、亡国の悲しみをつづるのである。
・龜筮允臧,人鬼同情。
劉裕の振る舞いが善か悪かを、占いによって見て取ったところとても良い、と鄘風定之方中の「卜云其吉 終然允臧」より引用しておる。
・樹牙選徒,秉鉞抗旍。
兵士を選抜し、武器を取る、と語る「秉鉞」は商頌長發より。殷の湯王が夏の桀を倒さんと立ち上がらんとした様子を歌う詩よりの引用である。
・闕敬恭於桑梓,謝履長於庭階。
小雅小弁にて、桑や梓を親が植えたものであるかのごとく敬うように、と歌う。そこから転じ、父母への想いを祈る折にこの語句が用いられる。ここで歌われるのは「旅先であっては、父母を思う祈りも簡素なものとせざるを得ない」という思いである。
・主晉有祀,福祿來格。
晋帝が代々祖先への祭祀を欠かさなかったために、国には福が訪れたと歌う。ここで用いられる「福祿」は周王が先祖を思う祭祀について歌う大雅鳧鹥よりである。
・明思服於下武、興繼代以消逆。
東晋明帝について讃えた一節。ここで用いられる「思服」は寝ても覚めても思うという周南關雎よりの引用であるが、引用元にては愛しの人を想う意味で、撰征賦中では反逆者王敦の討伐を思う意味で用いられておる。まぁ、どちらも「熱く思っている」のは間違いない。
・黍離有歎,鴻雁無期。
こちらも合わせ技である。王風黍離に言う亡国の悲しみを嘆いた後、小雅鴻雁という、流亡の民を救い上げた王の出現を望みつつも、その気が訪れなかったことを嘆くのである。なおこれはいわゆるフリであり、次行以降に劉裕が満を持して登場する。
・惠要襋而思韙、援冠弁而來虔。
義風葛屨には「要之襋之 好人服之」という句が見える。庶民が繕った着物を君子が羽織って差し上げる、的な内容である。これ以前の句で蛮夷平定を語り、この句で「その蛮族を招き入れてやる」と語る。
・石參差。
「參差」は高いもの、低いものが入り混じること。この事細かに描写すると面倒くさい状況は、周南關雎に用いられる言葉を用いれば一発で表現できてしまうのである。べんりだね!
・面艽野兮悲橋梓。
小雅小明で、西のかたに出征した将軍が荒れ果てた平原を「艽野」と呼ぶ。謝霊運は文明的な江南の地より「北の荒れ果てた大地くんだりにまで旅に出てきた」ことを嘆くのである。
・感曰歸於采薇,予來思於雨雪。
再び小雅采薇を持ち出して歌う。ここで用いられるのは最終連「昔我往矣 楊柳依依」「今我來思 雨雪霏霏」という対句より。このあたりの句を一言で申し上げると「早く帰りたい」である。
・豈初征之懼對,冀鸛鳴之在垤。
豳風東山に「鸛鳴于垤」という句が見える。コウノトリのことであるが、なぜか「故郷で鳴く鳥」扱いのようである。つまり謝霊運は「旅路が怖いんじゃないよ! ただ故郷のコウノトリの鳴き声が聞きたくて仕方ないだけなんだよ!」と叫んでおる。お役目いやでござるを言い過ぎであろうこの大詩人……。
・兼採𦬊之致美,協漢廣之發言。
謝霊運が祖父謝玄を讃えるにあたって持ち出したのが小雅採𦬊と、周南漢廣。前者は周の宣王が北伐をなしたことを讃える詩であり、後者は文王の徳望がはるか遠き鄙地にまで及んでいることを讃えている。「うちのじっさまは遠征によっていなかもん共を見事に教化して差し上げたんだぜ! すげえ!」と讃えるわけである。
・相雎鳩之集河,觀鳴鹿之食苹。
長く厳しい旅が終わり、いよいよ帰れることになった。途端に謝霊運は春うららかな景色を歌い始める。そこで持ち出してくるのが周南關雎の「關關雎鳩 在河之洲」と、小雅 鹿鳴の「呦呦鹿鳴 食野之苹」よりのオマージュ。両詩はそれぞれ国風の一作目、小雅の一作目という位置関係も相似しており、またともに「お国の偉大さを歌う」という内容でもある。正直に申し上げよう。謝霊運、どれだけこのお役目が嫌だったのだ。
以上である。
謝霊運伝には、山居賦という賦も
また乗っておるのだが、
申し訳ない、ここまでで死亡した。
ともあれ当作における引用は
「史書記述」に限定しておるため
「この程度で済んでいる」ことを
痛感した次第である。
あ~、陶淵明も
結構詩経引用してますね~……。
見えなかったふりします。
しぬので。
では、また。
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