思文(引用4:后稷、農務の祖)

思文しぶん 



思文后稷しぶんこうしょく 克配彼天こくはいかてん 

立我烝民りつがじょうみん 莫匪爾極ばくひじきょく 

貽我來牟いがらいむ 帝命率育ていめいそついく 

無此疆爾界むしきょうじかい 陳常于時夏ちんじょううじか 

 実に文徳高きは、后稷。

 ゆえにこそ彼はよく祀られる。

 周の民を導き、安んじられたこと、

 まこと后稷の中庸の心あればこそ。

 天は周の民に霊福ある麦を送られた。

 天帝は后稷に、その麦を育てよと

 お命じになった。

 そこでは我と彼、彼と我と言った

 区分を定めず、みなで力を合わせ、

 農耕の発展に力を尽くしたのである。




○周頌 思文

后稷は後世に農業の神として伝わる。その理由をありありと語る歌である、と言えよう。




■烝民句はここにも

多くの民の暮らしを盛り立てる、がその大意となろうか。そのために必要なのは絶対的なバランス感覚。いかに民の暮らしを保ち置けるか、が人主に求められる職務、とするのである。「とても簡単」であるにも関わらず、「極めて難しい」とこれまでの詩が語ってきたのもむべなる所であるな。


左伝 成公16-4

 時順而物成.上下和睦.周旋不逆.求無不具.各知其極.故詩曰.立我烝民.莫匪爾極.

・史記4 厲王

 使神人百物無不得極,猶日怵惕懼怨之來也。故頌曰『思文后稷,克配彼天,立我蒸民,莫匪爾極』。

・宋書20 楽二

 我將我享,維孟之春。以孝以敬,以立我烝民。




■聖なる麦

前詩に引き続き、劉向の諫言が登場である。王が下を見たときに諸侯がともに手を携え合う状況ができており、上を見たときには天をよく祀り天意に応じる姿勢が示せているかどうかを、皇帝に向け劉向うは問うておる。そこが叶っておれば、前詩に言う豊かな福に満たされ、また「后稷が聖なる麦を授かったが如き奇跡がもたらされる」とするが、さて陛下はいかがですか、と問うのである。


漢書36 劉向

 諸侯和於下,天應報於上,故周頌曰「降福穰穰」,又曰「飴我釐麰」。





毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B9%9D#%E3%80%8A%E6%80%9D%E6%96%87%E3%80%8B

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