閟宮(引用32:偉大なる魯僖公)

閟宮ひきゅう



閟宮有侐ひきゅうゆうきょく 實實枚枚じつじつまいまい

赫赫姜嫄かくかくきょうげん 其德不回きとくふかい 上帝是依じょうていぜい

無災無害むさいむがい 彌月不遲びげつふち

是生后稷ぜせいこうしょく

 周の祖先たる后稷、その母は、姜嫄。

 彼女を祀る廟は清浄であり、

 その作りも堅固なものである。

 姜嫄の徳は明らかに輝き、

 よこしまなところは一切ない。

 ゆえに天帝は姜嫄に奇跡をもたらし、

 その身を災害、災いより守り、

 きっかり十月十日にて后稷を産ませた。


降之百福こうしひゃくふく 黍稷重穋しょしょくじゅうきゅう 稙稺菽麥ちょくちしゅくばく

奄有下國えんゆうかこく 俾民稼穡へいみんかしょく

有稷有黍ゆうしょくゆうしょ 有稻有秬ゆうとうゆうきょ

奄有下土えんゆうかど 纘禹之緒さんうししょ

 かれもまた天に祝福され、

 農務の管理者に任命された。

 后稷は民にキビの晩稲や早稲を植えさせ、

 早まき遅まきの豆や穀物を蒔かせる。

 天下に農作物が茂る世界を生み出し、

 人々には勤労を教えた。

 キビやモチキビ、イネやクロキビ。

 これらが実る世界は、

 偉大なる禹王の功績を

 引き継いだものと言える。


后稷之孫こうしょくしそん 實維大王じついだいおう

居岐之陽きょきしよう 實始翦商じつしせんしょう

至于文武しうぶんぶ 纘大王之緒さんだいおうししょ

致天之屆ちてんしかい 于牧之野うぼくしや

無貳無虞むじむぐ 上帝臨女じょうていりんじょ

敦商之旅とんしょうしりょ 克咸厥功こくかんくつこう

 后稷の子孫が、そう、古公亶父である。

 かれが岐山の南に居を構えてのち、

 ついには殷を滅ぼすに至った。

 それは文王、武王の御業。

 古公亶父の地盤を引き継がれ、

 牧野にて殷の紂王をお討ちになった。

 牧野にて、武王は仰っている。

 軍士らよ、背くなかれ、恐るるなかれ。

 天帝の庇護は、そなたらの上にあり。

 ゆえに殷の討伐は、

 必ずや為し遂げられよう。

 武王の言葉は現実となり、

 周を天下の主たらしめた。



王曰叔父おうえつしゅくふ 建爾元子けんじげんし 俾侯于魯へいこううろ

大啟爾宇だいけいじう 為周室輔いしゅうしつほ

乃命魯公しめいろこう 俾侯于東へいこううとう

錫之山川しゃくしさんせん 土田附庸どでんふよう

 武王は叔父の周公旦に仰る。

 叔父上よ、そなたの嫡子を魯侯とせん。

 魯の地を開拓され、

 この周を助けてくれ、と。

 こうして周公旦の息子、伯禽は

 魯の山川や周辺の地を与えられた。


周公之孫しゅうこうしそん 莊公之子そうこうしし

龍旂承祀りゅうきしょうし 六轡耳耳ろくひじじ

春秋匪解しゅんしゅうひかい 享祀不忒きょうしふとく

皇皇后帝こうこうこうてい 皇祖后稷こうそこうしょく 享以騂犧きょういせいき

是饗是宜ぜきょうぜぎ 降福既多こうふくきた

周公皇祖しゅうこうこうそ 亦其福女えききふくじょ

 魯の僖公は伯禽の子孫にして、

 荘公のお子であらせられる。

 昇り竜や下り竜、太陽や月などが

 あつらえられた十二本の旗を立て、

 四頭の馬に繋げられた

 六本の手綱を引く車は、

 実に荘重なるもの。

 僖公は四季の祭祀を怠らず、

 またその式辞に背くこともない。

 偉大なる天帝を、そして后稷を祀り、

 赤毛の牛を生贄に捧げる。

 その捧げ物は実に神霊の意に適い、

 天よりは多くの福が下される。

 かくして周公旦の霊もまた、

 僖公に幸いをもたらすのである。


秋而載嘗しゅうじさいしょう 夏而楅衡かじひょくこう

白牡騂剛はくぼせいごう 犧尊將將きそんしょうしょう

毛炰胾羹もうほうしかん 籩豆大房へんとうだいぼう

萬舞洋洋ばんぶようよう 孝孫有慶こうそんゆうけい

 秋の収穫を喜ぶ祭りに先立ち、

 夏には牛が逃げ出さぬよう柵を設ける。

 周公旦に捧げる白い牛は逞しく、

 捧げる酒を湛える杯も、また立派。

 神霊への捧げ物は、他にも

 毛をあぶって除いた豚の肉、

 肉を煮込んだスープ、

 また皿の上には解体した犠牲の肉。


俾爾熾而昌へいじしじしょう 俾爾壽而臧へいじじゅじぞう

保彼東方ほかとうほう 魯邦是常ろほうぜじょう

不虧不崩ふきふほう 不震不騰ふしんふとう

三壽作朋さんじゅさくほう 如岡如陵じょこうじょりょう

 汝、僖公よ、盛んであられよ。

 汝、僖公よ、幸いであられよ。

 東方、魯の地をよく治められよ。

 その統治は欠けず、崩れず、

 揺らがず、煮えたぎりもせぬ。

 かくして長寿の老人が増え、

 彼らの積み重ねた叡智と供にあり、

 お国の堅固なること、

 岡のごとく、山のごとくあれかし。


公車千乘こうしゃせんじょう 朱英綠縢しゅえいりょくとう

二矛重弓じむじゅうきゅう 

公徒三萬こうとさんばん 貝冑朱綅ばいちゅうしゅしん

烝徒增增じょうとぞうぞう 戎狄是膺じゅうてきぜよう

荊舒是懲けいじょぜちょう 則莫我敢承そくばくがかんしょう

 僖公は千両の戦車を率い、外征する。

 二つの矛は朱の房が飾られ、

 重ねられた弓は緑の縄で束ねられる。

 率いる兵は三万。

 貝で飾った兜に、緋色の鎧。

 その意気はきわめて盛んであり、

 蛮夷はたちまち服従する。

 南の荊舒の蛮族をも懲らしめ、

 僖公にあえて逆らおうという者もない。


俾爾昌而熾へいじしょうじし 俾爾壽而富へいじじゅじふ

黃髮台背おうはつだいはい 壽胥與試じゅしょよし

俾爾昌而大へいじしょうじだい 俾爾耆而艾へいじきじがい

萬有千歲ばんゆうせんさい 眉壽無有害びじゅむゆうがい

 汝、僖公よ、盛んであられよ。

 汝、僖公よ、豊かであられよ。

 髪が黄色く、背にふぐのごとき斑紋が

 浮かぶまでに至った老人らの言葉を

 よく聞き入れ、祝福し、

 彼らと供に統治に臨まれよ。

 汝、僖公よ、盛んであられよ。

 汝、僖公よ、老いてなお盛んであれ。

 千年、万年の時を重ね、

 老いてなお害がもたらされぬよう。


泰山巖巖たいさんがんがん 魯邦所詹ろほうしょせん

奄有龜蒙えんゆうきもう 遂荒大東すいこうだいとう

至于海邦しうかいほう 淮夷來同わいいらいどう

莫不率從ばくふそつじゅう 魯侯之功ろこうしこう

 魯の北には、泰山の巌がそびえる。

 魯の民の仰ぎ見ている山である。

 龜山、蒙山をも覆い、

 東の果てまで連なっている。

 さらには海沿いの国にまで至る。

 泰山のごとく、魯の威儀は

 遠くにまで及び、淮夷をも従えた。

 彼らが魯に従うは、僖公の功績。

 

保有鳧繹ほゆうふえき 遂荒徐宅すいこうじょたく

至于海邦しうかいほう 淮夷蠻貊わいいばんはく

及彼南夷きゅうかなんい 莫不率從ばくふそつじゅう

莫敢不諾ばくかんふだく 魯侯是若ろこうぜじゃく

 魯はまた南の鳧山、繹山をも保有し、

 ついには徐州に住まう夷蛮をも従える。

 やはりその支配は海に及び、

 淮水沿いの蛮夷、

 更に東方の蛮夷をも従えた。

 南方の蛮夷も魯公に従わぬ者はなく、

 魯侯の命に従わぬ者もない。

 みなが、魯侯の徳の元に収まった。


天錫公純嘏てんしゃくこうじゅんか 眉壽保魯びじゅほろ

居常與許きょじょうよきょ 復周公之宇ふくしゅうこうしう

魯侯燕喜ろこうえんき 令妻壽母れいさいじゅぼ

宜大夫庶士ぎだいふしょし 邦國是有ほうこくぜゆう

既多受祉きたじゅし 黃髮兒齒おうはつじし

 ゆえにこそ僖公は天より長寿を得た。

 そうして永らく魯の国を安んじられた。

 敵方に奪われていた常と許の地を奪還、

 周公旦の時代の領地を取り戻す。

 この業績に僖公は喜ばれた。

 またよき妻、母の長寿にも恵まれた。

 臣下にも適切な役目をもたらし、

 国をよく保たれた。

 多くの幸いがもたらされたがゆえ、

 その髪は白髪を越えて黄色くなり、

 老いてなお新たに歯が生えるという

 奇跡にも巡りあう。


徂來之松そらいししょう 新甫之柏しんほしはく

是斷是度ぜだんぜど 是尋是尺ぜじんぜしゃく

松桷有舄しょうかくゆうせき 路寢孔碩ろしんこうせき

新廟奕奕しんびょうえきえき 奚斯所作けいししょさく

孔曼且碩こうまんしゃせき 萬民是若ばんみんぜじゃく

 徂來山のマツや新甫山のカシワを伐り、

 寸法を合わせ、揃える。

 僖公の命により建てられた新たな霊廟は

 立派なマツのたるぎを備え、

 霊廟の奥座敷も広く設けられている。

 この立派な霊廟の建立には、

 公子の奚斯が監督に当たられた。

 実に雄大なる霊廟であること、

 魯の民もまた、その廟を仰ぐのだ。




○魯頌 閟宮

魯の僖公を絶賛&大絶賛する一大叙事詩である。と言うか魯頌は僖公以外頌さぬのか。いいのかそれで。まぁ孔子の時代の魯は基本クソであったしやむを得ぬのやもしれぬがな。




■皇帝の母を讃える宮

当詩冒頭に出てくる「閟宮」が姜嫄を讃える廟であるから、そこから転じて皇帝の母を祀るための宮の名となったようである。


・宋書17 礼四

 太后君母之貴,見尊一時,而與章、宣二廟同饗閟宮,非唯不躬奉,廼宜議其毀替。

 閟宮之祀,高堂隆、趙怡並云周人祫,歲俱祫祭之。

 閟宮遙祫,既行有周,魏、晉從饗,式範無替。

・宋書20 楽二

 肅肅清廟,徽徽閟宮。舞蹈象德,笙磬陳風。

 閟宮黝黝,復殿微微。璿除訴炤,釭璧彤煇。

・宋書41 武帝胡婕妤

 臣聞德厚者禮尊,慶深者位極。故閟宮既構,咏歌先妣




■霊廟が美しく保たれる

「有侐」で、美しく、清く廟が保たれている、と表現される。赫連勃勃が「ただ廟がきれい」だけで用いており、典拠の扱いが限りなく浅くて微笑ましい。甄皇后については「明帝の母親を祀るのは周以来の制度にものっとる」なのでいいのだが、とにかく赫連勃勃、赫連勃勃である。さすが夏の末裔、周の子孫どもの言葉の扱いが軽い。


・三國志5 文昭甄皇后

『閟宮有侐,實實枚枚,赫赫姜嫄,其德不回。』詩、禮所稱姬宗之盛,其美如此。

・晋書130 赫連勃勃

 昔周宣考室而詠于詩人、閟宮有侐而頌聲是作。




■親子は順番に並べろや


左伝 文公2-8

『魯頌』曰:「春秋匪解,享祀不忒。皇皇后帝,皇祖后稷。」君子曰禮,謂其后稷親,而先帝也。詩曰:「問我諸姑,遂及伯姊。」


文公は僖公亡き後魯公位を継ぎ、偉大なる父を祀るにあたって祖父の閔公よりも扱いを重くしようと考えた。そこを時の臣下がフルボッコにしておる。当詩でも「享祀不忒」、親子の順を違えなかったと引いて君主の聖明さより親子の順のほうが重要だろーがよ、と言うのである。更に孔子まで国風の泉水を引き「物事を問う順番は父の姉妹が先、姉に聞くのはその次と歌ってんじゃねえか」とかみつく。えっそこ一緒にするの……?




■九錫授与の詔勅で

献帝より曹操に宛てて九錫授与、つまりその打ち立てた功績が人臣のレベルを超越したため皇帝レベルの待遇を与えることを宣言する詔勅には、過去の功績をたたえたパートがある。そのうち官渡の戦を讃える箇所で「逆賊袁紹を討ち果たした」と語るのだが、ここで「致屆」が裴松之注に拠れば当詩で武王における紂王討伐の故事を引いたものである、とする。つまりそれだけ袁紹が強大な脅威であったとするのだが、これが劉裕の九錫詔勅に至ると蜀の譙縱とか言う小者討伐のために使われ、更に且渠蒙遜伝における評に至っては「地方のクソを追っ払いました」レベルまで卑小化されている。いいのか、そんなに言葉を安くしてしまって。


・三國志1 曹操

 君執大節,精貫白日,奮其武怒,運其神策,致屆官渡,大殲醜類,俾我國家拯於危墜,此又君之功也。

・宋書2 劉裕中

 公指命偏師,授以良圖,凌波浮湍,致屆井絡,僭豎伏鑕,梁、岷草偃。

・宋書98 評

 天子聽朝不怡,有懷辛、李之將,而齊之宣皇,率偏旅數百,定命先驅,推鋒直指,勢踰風電,雲徹席卷,致屆南城,逐北追奔,全勝萬里,敵人皆裹骨輿屍,越至險而自竄,其餘皆膏身山野,委骸川澤。




■「元子」=嫡子

史書で元子はちょくちょく嫡子の雅語として用いられておるが、こちらについては書経にもすでに見えておるのでそちらが元、と言うことにさせて頂きたい。ここでは王莽と劉秀の息子についてのみ語らせて頂くこととする。史書でこの語が用いられておるのがこの二ヶ所のみと言うのは、大変に趣深い。いくら何でも劉秀の息子当人はともかく、周りが「王莽周りでこの表現が用いられた」ことを見落としていた、とは考えづらい。そこを踏まえると、割と王莽って後漢の段階でそう悪い扱いって訳でもないんじゃない? と思えてならぬ。無論、ただのうっかりという可能性もあるのだがな。


・漢書99.1 王莽上

 白牡之牲,郊望之禮。王曰:「叔父,建爾元子。」子父俱延拜而受之。

・後漢書42 東平憲王 劉蒼

 禮云伯父歸寧乃國,詩云叔父建爾元子,敬之至也。




■王は功ある叔父を讃える

宋意にせよ陸機にせよ、この言葉を引いているのは上役に対して「お前いい加減にせーよ」という文脈である。となると、陸機は博覧強記でもあるし宋意の諫言で「後漢章帝が行状を改めた」ことを踏まえて語ったのやもしれぬな。ところが陸機の諫言した相手は八王のひとり、成王司馬冏。司馬倫を倒し実権を握るも、即謀反によって殺された人物である。そして陸機もそのあたりの動乱に巻き込まれ、死ぬ。含意及びその結末が実に美味であるな。


・後漢書41 宋均 族子 宋意

 昔周公懷聖人之德,有致太平之功,然後王曰叔父,加以錫幣。

・晋書54 陸機

 嗟乎!光于四表,德莫富焉;王曰叔父,親莫昵焉




■貴顕への報賞

後漢書で引いた箇所に乗る人物は、いずれも朝廷に於いてトップクラスの官位持ちである。そして八王は皇帝の近親であるから、やはりトップ。そういった「国の顕名」に与える領地であるから、詩経にある「錫之山川 土田附庸」句を援用し、「領地を与える」ことそのものすら讃えられているのである。


・後漢書61 黃瓊

 特進胡廣、太常羊溥、司隸校尉祝恬、太中大夫邊韶等,咸稱冀之勳德,其制度賚賞,以宜比周公,錫之山川、土田、附庸。

・晋書59 八王序

 於是分王子弟,列建功臣,錫之山川,誓以帶礪。




■諸王は帝を助けるもの

劉欽の箇所では「皇帝の扶翼たる王が皇帝を助けず、逆賊に手を貸してどうしますか」という文脈で用いられる。劉秀に関しては皇太子に封爵地を与え、これを皇帝の扶翼とすべき、と言う議論で用いられておる。……のは良いのだが、気になるのは漢書の表記がまるで違うことである。これはいわゆる毛詩以外、三詩より引かれた言葉であったりするのかな。検索を掛けても、この表現はここにしか現れぬ。謎である。


・漢書80 淮陽憲王 劉欽

 且王不學『詩』乎?『詩』云:『俾侯於魯,為周室輔。』

・後漢書1.2 光武帝下

 夾輔王室,尊事天子,享國永長,為後世法。故詩云:『大啟爾宇,為周室輔。』




■泰山山系、龜山&蒙山

「奄有龜蒙」に出てくる二つの山は泰山山系の真ん中くらいと、南の端の方である。いわば泰山山系の西から南一帯を言い表し、つまり二山の位置さえ知っておれば「なるほど、その辺りが魯!」と分かる。無論歴史地図で魯の国境線を見たほうが圧倒的に早いのだが。


・漢書14 諸侯王表

 常山以南,太行左轉,度河、濟,漸于海,為齊、趙。穀、泗以往,奄有龜、蒙 ,為梁、楚。

・三國志34 劉永

 朕承天序,繼統大業,遵脩稽古,建爾國家,封于東土,奄有龜蒙,世為藩輔。

・晋書2 司馬昭

 周公藉已成之勢,據既安之業,光宅曲阜,奄有龜蒙。

・晋書14 地理上

 常山以南,太行左轉,渡河濟,漸于海,為齊趙。穀泗以注,奄有龜蒙,為梁楚。

・宋書2 劉裕中

成勳告就,文命有玄圭之錫,四海來王,姬旦饗龜、蒙之封。

・魏書65 邢巒

(蕭)衍將角念等率眾一萬,擾亂龜蒙,土民從逆,十室而五。





■蛮族はクソ

「ぼくらはばんぞくにうちかったよ、やったー!」と大喜び! 王の偉大なるは、やはりこうして示されねばならぬな。


む? 作者が物言いたげである、なになに、「勝手に人さまの庭荒らし回って偉大もクソもねえだろうがボケ、どんだけ手前の虚栄心のために血と憎しみ募らせる気だタコ」とのことである。ふーん。


・史記20 建元以來侯者年表

 自詩書稱三代「戎狄是膺,荊荼是徵」

・史記110 匈奴

 中國疾之,故詩人歌之曰「戎狄是應」,「薄伐獫狁,至於大原」,「出輿彭彭,城彼朔方」。

・史記118 評

 太史公曰:『詩』之所謂「戎狄是膺,荊舒是懲」,信哉是言也。

・漢書44 評

 贊曰:『詩』云「戎狄是膺,荊舒是懲」,信哉是言也!

・漢書64.2 評

 贊曰:『詩』稱「戎狄是膺,荊舒是懲」,久矣其為諸夏患也。

・漢書94.2 匈奴

 下贊曰:書戒「蠻夷猾夏」,詩稱「戎狄是膺」,春秋「有道守在四夷」,久矣夷狄之為患也




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C%E5%8D%81#%E3%80%8A%E5%AE%AE%E3%80%8B

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る