園有桃(引用1:秘めたる憂い/貧しさを嘆く)
庭のモモを肴とし、酒を飲む。
しかし歌うのは、この心の憂い。
私を知らぬものは、驕っていると批判する。
彼らの言葉が合っているのだろうか?
いや、何故そう思われるのだろうか?
この憂い、どうして他者に知れようか。
どうして理解ができよう。
いや、最早何も言うまい。
庭のナツメを、しゃくりと食す。
憂いを抱えながら、町をさ迷う。
私を知らぬものは、無法者めと批判する。
彼らの言葉が合っているのだろうか?
いや、何故そう思われるのだろうか?
この憂い、どうして他者に知れようか。
どうして理解ができよう。
いや、最早何も言うまい。
〇国風 魏風 園有桃
竹林七賢、特に阮籍や劉伶にぴったりはまってくる詩のように思える。阮咸はややこの詩を抱えるには超然とし過ぎ、嵇康はこの心の憂いを抱えるには激しすぎるであろう。いや、山涛も抱かぬではないか。こうして考えると「魏風」の詩に魏の国の人をあてはめられるのは愉快な偶然であるな。
〇儒家センセー のたまわく
魏国は狭く、生産力も低かったため、どうしてもけちけちせざるを得なかった! モモやナツメは、果物の中でもグレードが低い! それを食すしかないところに、この国の職、そして心根の貧しさが描き出されておるのである! せめて国君には良き政をしてもらいたいものだが、国君すらまたこの貧しさに引きずられる! ああ、けち臭さは罪であるな!
■喪失の悲しみの歌
魏書108-4
晉博士許猛解三驗曰:案黍離、麥秀之歌,小雅曰「君子作歌,惟以告哀」,魏詩曰「心之憂矣,我歌且謠」。
北魏末期、葬儀についての議論がなされた際、元珍と言う人物が三つ、悲しみを歌う歌を上げた。一つが黍離&麥秀、ひとつが小雅四月、そして最後の一つは魏風園有桃である。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%94#%E3%80%8A%E5%9C%92%E6%9C%89%E6%A1%83%E3%80%8B
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