文選補亡 由儀(輝かしき王の政)

由儀ゆぎ



肅肅君子しゅくしゅくくんし 由儀率性ゆぎそつせい

明明后辟めいめいこうへき 仁以為政じんじいせい

 つつましきかな、君子。

 儀礼を得て、その性分に従う。

 聡明なる君主は、仁によって政をなす。


魚游清沼ぎょゆうせいしょう 鳥萃平林ちょうしゅうへいりん

濯鱗鼓翼たくりんこよく 振振其音しんしんきおん

賓寫爾誠ひんしゃじせい 主竭其心しゅかつきしん

 魚は清らかな池に泳ぎ、

 鳥は平地の林に集まる。

 魚鱗が跳ね、翼がはためかされる、

 それらの音を聞きながら、

 賓客が尽くす誠意に答え、

 君主も真心を尽くす。


時之和矣じしわいー 何思何脩かしかしゅう

文化內輯ぶんかないしゅう 武功外悠ぶこうがいゆう

 安らかなる時代には、

 なにを思い煩うことがあるだろう。

 文治により国内は治まり、

 威武により外地は粛然とする。




○文選補亡詩 由儀


君子の良き政により、人々は教化される。その恩徳は鳥や魚にまで及ぶ。何とも美しき世界であろうか。そしてこれを重ねて言うが、間もなく亡国待ったなしの時代にこの詩を描いていた束晳は、果たしていかなる思いを胸に抱えていたのであろうか。


以上で補亡六編が終了するので、せっかくなので束晳の足跡をまとめておこう。無論ダジャレである。


束晳、字は廣微。陽平郡元城県の人。漢の時代の名士、疏廣の子孫である。曹植の息子、曹志からも目をかけられていたという。兄が上司の娘を袖にしたおかげで出仕がだいぶ遅れたそうである。そんな中、晋の名吏である張華にその才能を見出され、張華が司空となると賊曹屬に任じられた。更には佐著作郎に転じ、晉書の帝紀や志の著述に携わった。また戦国魏の王墓が発掘された際の文物に関して解析を進め、その功績から尚書郎となった。やがて八王の乱が勃発。司馬倫が賈南風や張華を殺した際、束晳についてはむしろ取り立てて重用しようと考えた。しかし束晳はこれを拒否、故郷に戻り、故郷で死亡したという。時に四十歳。


うむ、どう頑張っても晋の衰微に絡みまくりであるな。

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