羔羊(帰宅する夫を迎える/官僚の生活)

羔羊こうよう 引用30件

妻→夫 仕事 帰宅 節度ある振る舞い 官僚の徳



羔羊之皮こうようしひ 素絲五紽そしごだ

退食自公たいしょくじこう 委蛇委蛇いだいだ

 羊の皮で作った服には、

 絹糸で縫われた飾りが五つ。

 役所から退出するのだ、

 しずしずと。


羔羊之革こうようしかく 素絲五緎そしごいき

委蛇委蛇いだいだ 自公退食じこうたいしょく

 羊の皮で作った服には、

 絹糸の飾りが五つ。

 しずしずと退勤し、

 自宅で食事する。


羔羊之縫こうようしほう 素絲五總そしごそう

委蛇委蛇いだいだ 退食自公たいしょくじこう

 羊の皮で作った服の縫い目に、

 五つの絹糸の飾り物。

 しずしずと帰宅し食事、

 勤務先から。




〇国風 召南 羔羊

もうなんというか「こんなん訓読する意味も訳出する意味すらねえよ」という雰囲気である。「音を発する楽しさを追求した詩」としか言いようがあるまい。内容としては役人が役所から帰宅し、自宅で食事をとる、というもの。ただ、それを繰り返しつつ、後半の句を用いて韻を踏むために「紽」「緎」「總」字を用いる。言葉遊びをするためによくよく練られた構造だとうなるより他あるまい。とは言え現代人では第二連の押韻が微妙に見えづらい。この辺りにはやはり「当時の音そのものではない」弱みを感じずにおれぬ。




〇儒者センセー のたまわく

「召南之國,化文王之政,在位皆節儉正直,德如羔羊也。」

折り目正しき役人が毎日のお勤めを確実にこなし、日々を過ごすさまが描かれておる! 「巣をあんだ鵲」がまじめに職務をこなす、「子羊のような従順さ」! これこそが文王のなした徳がもたらした理想像というよりほかないのである!




■羔羊ってなんぞ?

この言葉は、現中国語では「迷い羊」と言った意味合いになっておるようである。詩序を覗いてもその方向であるな。が、史書記述を覗くとやや様相が異なってくる。宋書を引けば「羔羊のようにデカい」と用いられておるのがわかる。一方でその毛皮の価値は狐やテンよりも一段下がるらしい、ともあった。


・史記129 貨殖列伝

・漢書91 巴寡婦清

 狐貂裘千皮,羔羊裘千石,

・宋書27 符瑞上

 孔子曰:「汝豈有所見邪?」兒曰:「見一禽,巨如羔羊,頭上有角,其末有肉。」




■潔く、義なるもの

ともに葬送に絡む言葉となっておる。折り目正しき職務を全うした名臣に対し、「羔羊の詩が語るがごとき」お方であった、と讃えるのである。国に仕える役人としては、結構な賛辞となるのではないかな。この辺りが後世にいたって「よきひとであったのに殺されてしまった」的嘆きのニュアンスに接続してくるのやもしれぬな。


・後漢書26 宋弘

 甥宋漢其令將相大夫會葬,加賜錢十萬,及其在殯,以全素絲羔羊之絜焉。

・後漢書76 王渙

 故洛陽令王渙,秉清脩之節,蹈羔羊之義,盡心奉公,務在惠民,功業未遂,不幸早世,百姓追思,為之立祠。




■曹爽さんの決意

三國志9 曹爽 注

先帝以臣肺腑遺緒,獎飭拔擢,典兵禁省,進無忠恪積累之行,退無羔羊自公之節。


自らは曹魏の重臣、曹真の息子として、出仕すれば忠勤の士としてはげみ、退勤しては羔羊の詩に歌われるような折り目正しい暮らしを心がけよう、というのである。まぁ臣下として忠節を全うするのと、司馬懿との政争に勝つのとでは問題のレイヤーは全く違うのだがな。司馬懿との政争に敗れ、殺された。




■官僚としての美徳を全う

三國志39 評

評曰:董和蹈羔羊之素。


蜀志9は官僚伝。そのトップを董和が飾っている。東方から蜀に赴任してきたかれは当時の蜀の豪奢な風潮を改め、質素な暮らしを奨励したという。その関係で劉備の前の蜀主劉璋からは煙たがられていたのだが、劉備、そして何よりも諸葛亮より重く用いられた。その結果「退食の美」を、こうして陳寿に称賛されたわけである。




■簡文帝陛下、倹約を緩める

晋書9 簡文帝

往事故之後,百度未充,羣僚常俸,並皆寡約,蓋隨時之義也。然退食在朝,而祿不代耕,非經通之制。


晋が永嘉の乱によって江南の地に逃れたとき、様々なルールも整わず、みなには倹約を強いてきていたが、これらは当時の状況故のことであった。食事を減らしてまで仕えてきてくれることは、今の状況に見合っておらぬのだろう。この点は見直さねばならぬ……といった内容である。鄭玄が「退食」を「食事を節制する」という意味で解釈しておるため、そこに準じている。なお「退勤し、自宅で食事する」という当作解釈は朱子学以降の「解放」以後の用法である。




■武帝以来の晋の忠臣、殺される

・晋書36 張華

・晋書60 解系

張華、裴頠各以見憚取誅于時,解系、解結同以羔羊並被其害,歐陽建等無罪而死,百姓憐之。


両巻でほぼ同じ文章が載っておる。恵帝司馬衷の妻、賈南風が宮廷内の政争に勝利し実権を得、張華や裴頠、解系や解結と言ったメンツをスタッフに迎え政権を運営していた。最悪の悪女と呼ばれる賈南風であるが、実はこの時の政権運営は結構優れたものだったという。っが、そこにやってくるのが趙王司馬倫。司馬懿の末っ子である。かれは軍を率いて宮廷に乗り込み賈南風一派を一掃。この時に上記メンツも皆殺しとなった。「羔羊の徳を讃えられるような名臣」を平然と殺した司馬倫は、更に司馬衷から簒奪。誰がどう見ても簒奪であったためあっさり別の皇族に殺された。以降八王の乱が泥沼となる。




■下がることの潔さ

「退食自公」という行為こそが「羔羊の義」に接続されてくるのだ、と言ったニュアンスであるよう感ぜられる。いつまでも上司の前に食い下がりはせず、やるべきことをやり終えたらさっと下がる。出しゃばらぬ。そういった美徳を讃えられておるようであり、一方で「そうではなかった」ものが多かったことも裏打ちしておるな。


・左伝 襄公7-10

 詩曰.退食自公.委蛇委蛇.謂從者也.衡而委蛇必折.


・漢書83 薛宣

 身兼數器,有『退食自公』之節。宣無私黨游說之助,臣恐陛下忽於羔羊之詩,舍公實之臣,任華虛之譽,是用越職,陳宣行能,唯陛下留神考察。

・漢書88 張山拊

 退食自公,私門不開,散賜九族,田畝不益,德配周召,忠合羔羊,未得登司徒,有家臣,卒然早終,尤可悼痛!

・漢書89 朱邑

 大司農邑,廉潔守節,退食自公,亡彊外之交,束脩之餽,可謂淑人君子。


・後漢書43 何敞

 使百姓歌誦,史官紀德,豈但子文逃祿,公儀退食之比哉!

・後漢書54 楊秉

 俱徵不至,誠違側席之望,然逶迤退食,足抑苟進之風。


・宋書92 徐豁

 始興太守豁,潔己退食,恪居在官,政事修理,惠澤沾被。

・魏書46 李訢

 克己復禮,退食自公,利上之事,知無不為,賞罰所加,不避疏戚。




■委蛇委蛇

史書中で用いられておる「委蛇」句は、実はほぼ詩経由来ではない。楚辞である。「駕八龍之婉婉兮,載雲旗之委蛇。」とあり、その意味合いは「蛇のようにのたうち、うねるさま」。これがどのようにして「従容としたさま」に変容したのか。踏み込んでみるのも面白いのやも知れぬ。まさかまったく無関係と言うこともなかろうしな。


・史記117 司馬相如

・漢書57 司馬相如

 酆鄗潦潏,紆餘委蛇,經營乎其內。

・漢書87.1 揚雄上

 既亡鸞車之幽藹兮,焉駕八龍之委蛇?

・後漢書61 周挙 子 周勰

 加賜錢十萬,以旌委蛇素絲之節焉。

・宋書95 評

 于時戎車外動,王命相屬,裳冕委蛇,軺軒繼路,

・晋書28 五行中

・晋書102 劉聡

・魏書95 劉淵

 流星起于牽牛,入紫微,龍形委蛇,其光照地,落于平陽北十里。

・晋書36 衛瓘 子 衛恒

 雲委𧉮而上布,星離離以舒光;

・晋書92 成公綏

 河漢委虵而帶天,虹蜺偃蹇於昊蒼

・魏書48 高允

 在朝無謇諤之節,退私無委蛇之稱




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%80#%E3%80%8A%E7%BE%94%E7%BE%8A%E3%80%8B

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