角弓(引用19:君子は毅然とすべき)

角弓かくきゅう



騂騂角弓せいせいかくきゅう 翩其反矣へんきはんいー

兄弟昏姻けいていこんいん 無胥遠矣むしょえんいー

 真っ赤な角弓であっても、

 弦を緩めれば反り返ってしまう。

 兄弟親戚は、斯様に疎遠と

 ならぬようにせよ。


爾之遠矣じしえんいー 民胥然矣みんしょぜんいー

爾之教矣じしきょういー 民胥傚矣みんしょこういー

 そなたがそうなってしまえば、

 民とて同じ状況となろう。

 そなたがそれを教えてしまえば、

 民とてそれに倣おう。


此令兄弟しれいけいてい 綽綽有裕しゃくしゃくゆうゆう

不令兄弟ふれいけいてい 交相為瘉こうそういよ

 だから、兄弟よ、ゆとりを持ち、

 お互いを許しあえ。

 不和なる兄弟は、互いに謗り合い、

 不健全な関係となる。


民之無良みんしむりょう 相怨一方そうえんいちほう

受爵不讓じゅしゃくふじょう 至于已斯亡しういしぼう

 よろしくない人々の関係、

 それは一方的な怨念を抱くこと。

 親からの爵位を始めとした財産を

 互いに譲ろうとせず、奪い合えば、

 ここに至り、滅びよう。


老馬反為駒ろうばはんいく 不顧其後ふこきご

如食宜饇じょしょくぎよ 如酌孔取じょしゃくこうしゅ

 老馬を仔馬のように軽んずるかのように

 後々を顧みなければ、

 それは自らに返ってこよう。

 飽きるまで食べ尽し、飲みに飲んで、

 後々に身体を損ねることも

 気にせぬかのように。

 

毋教猱升木ぶきょうどうしょうぼく 如塗塗附じょととふ

君子有徽猷くんしゆうきゆう 小人與屬しょうじんよぞく

 サルに木登りを教えようとするな、

 塗り物の上に塗りを重ねて何とする。

 君子が堂々たる態度を取れば、

 下の者はそれに倣うものだ。


雨雪瀌瀌うせつびゅうびゅう 見晛曰消けんけんえつしょう

莫肯下遺ばくこうかい 式居婁驕しょくきょるきょう

 雪が降ってみたところで、

 日差しを浴びれば溶けるように、

 下人など放逐してしまえばよい。

 なのにそれをせずにいるから、

 彼らはますますおごり高ぶるのだ。


雨雪浮浮うせつふふ 見晛曰流けんけんえつりゅう

如蠻如髦じょばんじょぼう 我是用憂がぜようゆう

 雪がひらひらと降っていても、

 日差しを浴びれば流れ去るのに、

 それをせぬせいで、宮中の様子は

 南蛮やら西戎の住処のよう。

 故にこの詩を歌い、

 我は憂いを表明するのである。




○小雅 角弓


君子がびっと一本筋を通しておらぬと、下々がどんどんちょづく。兄弟や親族仲が悪くなれば下々もそれでいいんだと思おうし、歳を重ねたものを敬わねば自らに跳ね返ってこようし、下々を好きにさせておれば宮廷は荒れる。これならば幽王批判と言われても納得である。




■徽猷、輝かしき君子の徳

だんだん分かってきたぞ。この手の言葉は、まず間違いなく慣用句化する。そう見立ててみたところ、まさしくであった。こう言うやつの紹介は大変なので、例によってまとめてご紹介である。


・三國志8 公孫淵 裴注

 康踐統洪緒,克壯徽猷,文昭武烈,邁德種仁;

・三國志13 華歆 裴注

 臣松之以爲邴根矩之徽猷懿望,不必有愧華公,管幼安含德高蹈,又恐弗當爲尾。

・三國志46 孫策 裴注

 詩云:『君子有徽猷,小人與屬。』貢客其有焉。

・晋書6 司馬睿

 是以邇無異言,遠無異望,謳歌者無不吟諷徽猷

・晋書39 荀顗

 訓傅東宮,徽猷弘著,可謂行歸於周,有始有卒者矣。

・晋書51 王接

 竊見處士王接,岐嶷俊異,十三而孤,居喪盡禮,學過目而知,義觸類而長,斯玉鉉之妙味,經世之徽猷也。

・晋書55 潘尼

 今廁末列,親睹盛美,瀸漬徽猷,沐浴芳潤,不知手舞口詠,竊作頌一篇。

・晋書68 賀循

 庶稟徽猷,以弘遠規。

・晋書87 李暠

 摧堂堂之勁陣,鬱風翔而雲舉,紹攀韓之遠蹤,侔徽猷于召武,非劉孫之鴻度,孰能臻茲大祜!

・晋書91 虞喜

 臣聞二八舉而四門穆,十亂用而天下安,徽猷克闡,有自來矣。

・晋書98 王敦

 臣以暗蔽,豫奉徽猷,是以遐邇望風,有識自竭,

・晋書130 赫連勃勃

 傳世二十,曆載四百,賢辟相承,哲王繼軌,徽猷冠于玄古,高範煥乎疇昔。

・宋書42 王弘

 驃騎將軍臣義康,徽猷淵邈,明德彌劭,

・宋書66 王敬弘

 夫塗祕蘭幽,貞芳載越,徽猷沈遠,懋禮彌昭。

・宋書74 臧質

 大司馬江夏王道略明遠,徽猷茂世,並旄鉞臨塗,雲驅齊引。

・宋書91 潘綜

 人亦有言,無善不彰。二子徽猷,彌久彌芳。

・魏書36 李騫

 奉烱誡以周旋,抱徽猷而與屬。




■お前がサボるとみんなサボんだろ


魏書48 高允

詩云:「爾之教矣,民胥効矣。」人君舉動,不可不慎。


太武帝拓跋燾の後を承け立った文成帝拓跋濬であったが、中原式の婚姻作法だなんだをあまり好まなかったそうである。それに対し高允、拓跋燾から大いに信任を得、拓跋濬よりも引き続き信任を寄せられていた文官が諫めて言う。「お前がそう言うことやったら民も真似すんだろーが」、お前の影響力考えなさいよ、な? とのことである。拓跋濬はこの言葉を襟を正して聞き、以降従ったそうである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%BA%94#%E3%80%8A%E8%A7%92%E5%BC%93%E3%80%8B

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