谷風之什(こくふうのじゅう)

谷風(引用1:友への恨み)

谷風こくふう



習習谷風しゅうしゅうこくふう 維風及雨いふうきゅうう

將恐將懼しょうきょうしょうく 維予與女いよよにょ

將安將樂しょうあんしょうがく 女轉棄予にょてんきよ

 しゅうしゅうと吹き付ける谷風が、

 風と共に雨を引き起こす。

 私とお前は抱き合い、

 恐ろしさに震え上がっていたものだ。

 しかるに平穏が戻った今、

 お前は私を切り捨てた。


習習谷風しゅうしゅうこくふう 維風及頹いふうきゅうたい

將恐將懼しょうきょうしょうく 寘予于懷しようかい

將安將樂しょうあんしょうがく 棄予如遺きよじょい

 しゅうしゅうと吹き付ける谷風が

 つむじ風となって巻き上がる。

 お前は私を抱きかかえ、

 恐ろしさに震えていただろうに。

 しかるに平穏が戻った今、

 お前は私を忘れたかのよう。


習習谷風しゅうしゅうこくふう 維山崔嵬いさんさいかい

無草不死むそうふし 無木不萎むぼくふい

忘我大德ぼうがたいとく 思我小怨しがしょうおん

 しゅうしゅうと吹き付ける谷風が、

 高い山肌にまで届く。

 草は枯れ果て、木は萎れた。

 私がお前にもたらした大徳を忘れ、

 些末な恨みばかりを取りざたするのか。




○小雅 谷風


谷風、いわば恐ろしいものにおびえ、連れ添い合っていた二人が、恐怖が過ぎ去った後には離れ離れとなる。そのことを恨む詩と言うことにはなるのであろうが、どうもこの、「私が与えてやった大きな恩も忘れてお前は些細な恨みにばかりこだわるのか」的な恨み節がよろしからぬ。与えた恩は忘れ、被った恩は忘れずにおくのが君子の振る舞いであるようにも思うのであるが、まぁ人間の心理として、自然なのは詩の語る心である、と言うべきなのかな。

過去の解釈者らはこの詩を読んで「どこが小雅やねん」と盛大にツッコミを入れておる。王風あたりのやつが混じりこんだのではないか、ともされるのだが、確かに詩の長さ的には国風である。小雅大雅はとにかく詩が長いのでな……。




■兄、曹丕への歎き。


三國志巻19 曹植伝

今之否隔,友於同憂,而臣獨倡言者,竊不願於聖世使有不蒙施之物。有不蒙施之物,必有慘毒之懷,故柏舟有『天只』之怨,穀風有『棄予』之嘆。


どうしてこんなに僕を冷遇するんだい兄者、悲しいよ兄者、これじゃぼくの想いは鄘風柏舟で言う「ああ、あなたは確かに私の天だけれど」とか、当詩に言う「私を捨てたのか」とか、そう言う思いを抱かずにはおれないよ、と訴えておるのである。




■谷風は吉兆?


ここで言う谷風は厳しい風を指すのであるが、一方で漢書王莽伝には谷風を「吉兆」としてみなす言葉も見える(巻99下:辛丑清靚無塵,其夕穀風迅疾,從東北來。辛丑,巽之宮日也。巽為風為順,后誼明,母道得,溫和慈惠之化也)。なお「穀」字は「谷」字に通じ、東からの風のことを指すのである、と言う。恐らく谷風があまり良からぬ兆しであるのを、阿諛追従のため捻じ曲げたのではなかろうか。

そのためか晋書52華譚伝や晋書72郭璞伝では「穀風」を「よからぬものを吹き払う」象徴として扱っておる。ともなれば間接的な引用ともなっていそうだ、とまで考えるのはうがちすぎであろうか。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B8%89#%E3%80%8A%E7%A9%80%E9%A2%A8%E3%80%8B

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