巷伯(引用6:讒言者糾弾)

巷伯こうはく



萋兮斐兮さいけいひけい 成是貝錦せいぜかいきん

彼譖人者かせんじんしゃ 亦已大甚えきいだいじん

 実に色鮮やかな貝殻の如き

 模様を描く絹織物。

 讒言を弄する者の言辞も、

 この織物のごときである。

 美しき言葉に見せかけ、

 無実の者を手ひどく謗るのだ。


哆兮侈兮しゃけいしけい 成是南箕せいぜなんき

彼譖人者かせんじんしゃ 誰適與謀すいてきよぼう

 いて座あたりに広がる、箕宿は、

 米穀を選り分ける箕の形をしている。

 しかし、箕そのものではない。

 さかしらに語る小人どもの

 欺瞞のようではないか。

 讒言を弄する者たちは、

 次は誰を陥れようというのか。


緝緝翩翩しゅうしゅうへんぺん 謀欲譖人ぼうよくせんじん

慎爾言也しんじげんや 謂爾不信せいじふしん

 讒言を弄する者たちは、

 こそこそ集まり、何事かを企てる。

 汝らよ、言葉を慎まねばならぬ。

 誰が汝らの言葉なぞ信じようか。 


捷捷幡幡しょうしょうはんはん 謀欲譖言ぼうよくせんげん

豈不爾受がいふじじゅ 既其女遷ききにょせん

 べらべらと讒言を弄し続けておれば、

 誰が汝の言葉を信じようか。

 果てには、報いは汝に返ってこよう。


驕人好好きょうじんこうこう 勞人草草ろうじんそうそう

蒼天蒼天そうてんそうてん 視彼驕人しかきょうじん 矜此勞人きょうひろうじん

 おごり高ぶる者が活き活きとし、

 貶められたものが疲弊する。

 天、天よ、あのクソを見よ。

 あのクソに貶められるものを見よ。


彼譖人者かせんじんしゃ 誰適與謀すいてきよぼう

取彼譖人しゅかせんじん 投畀豺虎とうひさいこ

豺虎不食さいこふしょく 投畀有北とうひゆうほく

有北不受ゆうほくふじゅ 投畀有昊とうひゆうこう

 あの讒言者は、だれの指示で動くのか。

 クソなぞ山犬や虎に食わせてしまえ。

 彼らが避けるのならば、

 北のえびすにでも突き出してしまえ。

 えびすすら受け取らぬなら、

 天帝よ、どうか裁かれよ。


楊園之道ようえんしどう 猗于畝丘いうきゅうきゅう

寺人孟子じじんもうし 作為此詩さくいしし

凡百君子ぼんんひゃくくんし 敬而聽之けいじちょうし

 低地を通る道が

 やがて小高い丘に通ずるように、

 讒言者が陥れる者の地位も、

 どんどんと高くなってゆこう。

 王の侍従たる我は、

 ゆえにこの詩をなした。

 あまたの君子たちよ、

 どうか我が言葉に耳を貸されよ。 




○小雅 巷伯


讒言をなす者たちへの、激烈な批判の言葉。変雅はつくづくその批判糾弾の風合いが国風に比べても激しい。これは国人らに比べて権力に近き場にいる者の言葉ゆえであろうか。そして詩序はここでも幽王云々と言う。わかったわかった。




■なに孫皓野放しにしてんの


三國志48 評 裴注

以知僭逆之不懲,而凶酷之莫戒。詩云:「取彼譖人,投畀豺虎。」聊譖猶然,矧僭虐乎?


評のしょっぱなで孫皓を生き延びさせたのどーなのと陳寿が語った後に、裴松之は孫盛の激烈に孫皓をぶっ叩く評を載せる。あんなん桀紂以下のクソ野郎だろうがと語った後に、大なり小なり悪事を働いた奴が罰されないとか、「詩経ですら讒言をしたやつを虎に食わせろ」と言っているのにどーゆーこと!? とブチ切れる。裴注は裴松之のブチギレっぷりも面白いが、孫盛の「晋以外すべてクソ(晋も割とクソ)」的観点に基づいた激烈ぶった切り芸もかなり笑える。




■マジで宮中のやつらクソ


晋書42 王濬

秣陵之事、皆如前所表、而惡直醜正、實繁有徒、欲構南箕、成此貝錦、公於聖世、反白爲黑。


王濬が呉討伐に当たってあることないこと讒言されたことに対する釈明(反論?)文の一節である。正直な者を憎む輩が非常に多く、当詩で言う「南箕」「貝錦」のような実態とはずれたことを平然と陛下に向けてほざき、白を黒と言いくるめようとしている、と語るのである。




■王渾はクソ


晋書42 評晋42

或矜功負氣、或恃勢驕陵、競構南箕、成茲貝錦。


王濬の上奏を引っ張り、王渾について評価しておる。この書きぶりからも晋書が王濬のほうに肩入れをしているのは間違いがなかろうと思われるわけである。




■パパの事みんなが悪く言いやがる


晋書99 桓玄

臣聞周公大聖而四國流言,樂毅王佐而被謗騎劫,『巷伯』有豺獸之慨,蘇公興飄風之刺,惡直醜正,何代無之!


のちに東晋安帝より簒奪の大逆をなす桓玄であるが、その父親たる桓温には簒奪謀議をなした容疑がかかっていた。これは偉大なる周公旦や楽毅に振り掛けられた讒言の類と同じであり、当詩が獣に奴らを放り投げこみたいと嘆いた思いや、「何人斯」で蘇忿生が暴公を「飄風の如き者」と批判したことを挙げ、悪人が正しきものを貶めることを批判した、と言うのである。




■孝武帝陛下周りのやつらはクソ


宋書74 臧質

臣誠庸懦,奉教前朝,雖恧緇衣好賢之美,敢希巷伯惡惡之情,固已藉風聽而宵憤,撫短策而馳念。


臧質は劉宋武帝の妻の甥である。文帝が皇太子の劉劭に殺害されるという事件が起きると、すぐさま光武帝に渡りをつけ討伐隊の尖峰として動いたりもしている……のだが、文帝の弟である劉義宣が反乱を企て、決起するとそれに参与。反乱決起の際に孝武帝に対して訴えを上げた書状の一節が上記である。文帝陛下の時代に愛顧を受けましたが、現政権下ではクソどもがのさばることによりハブられております、的な内容である。劉義宣の反乱はあっさり平定され、劉義宣臧質ともに処刑されるのだが、その際劉義恭により「あのクソが全部悪い」と、前漢を簒奪し、のちに敗死した王莽に対するレベルで死体が辱められたという。




■徐爰はクソ、だけど……


宋書94 徐爰

乃合投畀豺虎,以清王猷,但朽顇將盡,不足窮法,可特原罪,徙付交州。


徐爰は家柄によらず、劉宋孝武帝よりの寵愛一本によってのし上がった人物。孝武帝期には大いに権勢をふるい、また前廃帝廃位にも大きく貢献したのであるが、その次の明帝としてはむしろ邪魔ものであった。なので明帝は「お前クソだし獣のもとに放り込みてーわ」、けどまあそろそろ老衰で死ぬだろうし、交州追放で許してやる、と言われたのである。なお交州は今でいうベトナムあたり。ただし明帝死亡後に建康に戻され、そして建康で死んだ。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E5%B7%B7%E4%BC%AF%E3%80%8B

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