何人斯(引用5:友の裏切りを恨む)

何人斯かじんし



彼何人斯かかじんし 其心孔艱きしんこうきん

胡逝我梁こせいがりょう 不入我門ふにゅうがもん

伊誰云從いすいうんじゅう 維暴之云いぼうしうん

 奴はいったい何なのだ。

 その心持ちは狷介、推し量りがたい。

 なぜ近所まで来たというのに、

 私のもとに訪問してくれぬのか。

 この者は何に従っているのだろう。

 あるものは暴力に従うものだ、とも。


二人從行にじんじゅうこう 誰為此禍せいいしか

胡逝我梁こせいがりょう 不入唁我ふにゅうげんが

始者不如今ししゃふじょこん 云不我可うんふがか

 彼とは昔、連れ立つ間柄であったが、

 何者かによって引き裂かれ、

 彼に私を陥れさせた。

 誰が奴を唆したのだ。

 奴は我が家の近所にまで来ても、

 私のもとに訪問しようとはせぬ。

 昔はこのようではなかったのに。

 いつまでもこのようであって

 よいのだろうか。

 

彼何人斯かかじんし 胡逝我陳こせいがちん

我聞其聲がぶんきせい 不見其身ふけんきしん

不愧于人ふかいうじん 不畏于天ふいうてん

 奴は何者なのだ。

 我が家の庭にまで訪れ、

 その声までは聞かせながらも、

 その身を見せようとはせぬ。

 人に対し恥ずかしくはないのか、

 天の怒りを恐れもせぬのか。


彼何人斯かじんしし 其為飄風きいひょうふう

胡不自北こふじほく 胡不自南こふじなん

胡逝我梁こせいがりょう 祇攪我心しかくがしん

 奴はいったい何なのだ。

 まるでつむじ風のようではないか。

 北風なら北風、南風なら南風と、

 己の風向きとて定めきれぬのか。

 何故わざわざ我が家近くにまで来る。

 我が心を揺さぶりたいのか。

 

爾之安行じしあんぎょう 亦不遑舍えきふこうしゃ

爾之亟行じしきょくぎょう 遑脂爾車こうしじしゃ

壹者之來たいしゃしらい 云何其盱うんかきく

 斯様にのんびりと移動しておきながら、

 我が家に赴く暇もない、と言う。

 急ぎ車を走らせるときには、

 車に油をさす暇もない程だというに。

 一度くらいは我が元に

 寄ってもよかろうに。

 どうしてそう、私を憂えさせるのだ。


爾還而入じかんじにゅう 我心易也がしんえきや

還而不入かんじふにゅう 否難知也ひなんちや

壹者之來たいしゃしらい 俾我祇也ひがしや

 お前が帰りがけにでも

 立ち寄ってくれれば、

 我が心は喜ぶのやもしれぬのに。

 帰りがけに寄ってくれぬのであれば、

 その成否も測れるまいに。

 一度くらいは尋ね来たられよ。

 なぜ私がこう悩まねばならぬ。


伯氏吹壎はくしすいけん 仲氏吹篪ちゅうしすいち

及爾如貫きゅうじじょかん 諒不我知りょうふがち

出此三物しゅつしさんぶつ 以詛爾斯じそじし

 兄が土の笛を吹き、弟が竹の笛を吹く。

 お前と私はその兄弟の如き仲、

 一蓮托生ではなかったか。

 なぜ我が心に気付いてはくれぬ。

 ならば、犬・豚・鶏の血を捧げ、

 お前を呪ってくれようか。


為鬼為蜮いきいよく 則不可得そくふかとく

有靦面目ゆうてんめんもく 視人罔極しじんぼうきょく

作此好歌さくしこうか 以極反側じきょくはんそく

 私が魑魅魍魎の類であれば、

 それこそお前が

 推し量ることもできまいが。

 どうだ、私は人間にほかなるまい。

 貴様の目は節穴なのか。

 ならばここに歌を詠み、

 貴様をとことんに謗ってやろう。 




○小雅 何人斯


元々は同僚として仲睦まじかった二人が仲たがいするようになり、あまつさえ歌唱者はもと友人による讒言を受け、陥れられた。そのことを恨む詩である、とする。詩序は蘇公が「暴公」なる人物に貶められたことに怒る詩とする。この辺りは晋書99における引用にて紹介がある。

それにしてもこの詩には世説新語における王恭と王忱の仲を思い出すかのようで趣深い。あちらでは讒言どうこうこそなかったわけであるが、離間後もなんとなく思い合っておるところには、彼らの如き関係性を感じずにおれぬのである。




■そんな任務ついてられっかってんだよ


晋書77 蔡謨

臣何人斯,而猥當之!


東晋前期のクソヤバ反乱、蘇峻の乱平定直後のことである。我らが蔡謨さんはその乱の平定に功績があったということで五兵尚書、つまり軍務に関する要職につけられそうになった。ので、全力で断った。いやぶっちゃけ俺みたいのが軍部に関わったから蘇峻の乱起きたようなもんじゃないっすか、勘弁してくださいよ、「ねぇ陛下、俺を何者だと思ってんですか」、わかってて俺をそんな地位につけようとなさってんですか! とイヤイヤするのだが却下され五兵尚書につけられた。謙譲は美徳と言われるが、なにせ蔡謨さんであるからガチで嫌がっていそうである。




■パパの事みんなが悪く言いやがる


晋書99 桓玄

臣聞周公大聖而四國流言,樂毅王佐而被謗騎劫,『巷伯』有豺獸之慨,蘇公興飄風之刺,惡直醜正,何代無之!


のちに東晋安帝より簒奪の大逆をなす桓玄であるが、その父親たる桓温には簒奪謀議をなした容疑がかかっていた。これは偉大なる周公旦や楽毅に振り掛けられた讒言の類と同じであり、次の「巷伯」に言う「獣に奴らを放り投げこみたい」と嘆いた思いや、蘇忿生と言う人物が暴虐な人物を「飄風の如き者」と当詩で批判したころを挙げ、悪人が正しきものを貶めることを批判した、と言うのである。

※なお蘇忿生と言う人物は左伝隠公十一年にいるという。




■義康ちゃんに全部押し付けて逃げたい


宋書42 王弘

臣何人斯,寇竊不已。


劉宋は文帝の時代に、武帝時代より朝廷を牽引してきた顧命の臣徐羨之・傅亮・謝晦を排除した。この排除劇に大きく寄与したのが琅邪王氏であった。そのトップたる王弘、権勢が琅邪王氏に集中しているのが正直しんどい。全部を文帝の弟である劉義康に押し付けようとする。「ほらほら私なんぞなんぼのもんですか」、今はいろんなとこがきな臭くなってんじゃないですか、私なんぞ要職につけてる場合じゃないですよ、と頑張って引退したいでござるムーヴを決めたのである。しかし陛下よりのお返事は「うむ、これからも励んでくれたまえよ」であった。南無。




■古の聖人に比べりゃわしなんて!


魏書52 劉昞

昞何人斯,敢不如此。


西涼に仕え、のちに北魏太武帝より礼遇を受けた西方の大文人である。あまりに学問に邁進し過ぎるため西涼の王より、たまには休みーや、と窘められたところ、言うて孔子はバリバリに学問に邁進されてたじゃないですか、アレに比べたら「ワイなんてまるで及びませんワイ!」と答えたそうである。




■佞臣死ぬべし


魏書72 陽尼 親族陽固

汝何人斯?譖毀日繁。


北魏宣武帝期に活躍した文人である。魏書にも多くの著述が引用されている。そしてここに示されるは、宮廷に讒言やら阿諛追従がはびこることに怒りを覚えてかれがものした詩、その一節である。「てめえらの血は何色だ」、他人を蹴落とすことを繁栄とか言いやがってと、ようやく当詩よりの引用っぽいものに出会え、胸をなでおろした次第である。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E4%BD%95%E4%BA%BA%E6%96%AF%E3%80%8B

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