凱風(母の苦労を思う/孝子の想い)

凱風がいふう 引用59件

母の苦労 孝子 淫風



凱風自南がいふうじなん 吹彼棘心すいかきょくしん

棘心夭夭きょくしんようよう 母氏劬勞ぼしくろう

 南からの穏やかな風が

 あのイバラの芽に吹き付ける。

 イバラの芽は艶やかとなった。

 母上はここまで、

 いかほど苦労なされたのだろうか。


凱風自南がいふうじなん 吹彼棘薪すいひきょくしん

母氏聖善ぼしせいぜん 我無令人がむれいじん

 南からの穏やかな風が

 あのイバラの木に吹き付ける。

 母上は実に素晴らしきお方。

 未熟なこの身がいたたまれぬ。


爰有寒泉えんゆうかんせん 在浚之下ざいしゅんしか

有子七人ゆうししちにん 母氏勞苦ぼしろうく

 浚の町の側には、冷たい泉。

 七人の子たちは、

 みな母上を苦労させる。


睍睆黃鳥げいがんこうちょう 載好其音たいこうきおん

有子七人ゆうししちにん 莫慰母心ぼいぼしん

 かわいいウグイス、ホーホケキョ。

 母を慰めるのはウグイスばかり、

 七人の子たちでは、

 誰も慰められぬ。




〇国風 邶風 凱風

母が立派であるのは、祖母がしっかりとお育てになった為である。芽吹き、育まれた母が、また我々兄弟をお育てくださった。にも関わらずいつまでも不肖の子であり、母には苦労をかけ通し。我々の代わりにうぐいすが母を慰めてくれる始末、なんと情けなきことか。「七人」とやけに具体的であるが、たくさんの子を生むのは当時のデフォルトである。ことさらに拘泥するまでもあるまい。とは言えこういう数が存在すると、後世の人間はその数字に辻褄を合わせたくなってくるものである。八王の乱とか、五胡十六国とかな。両者の数は、ともに実態を表しておらぬのでな。




〇儒家センセー のたまわく

「美孝子也。衛之淫風流行,雖有七子之母,猶不能安其室,故美七子能盡其孝道,以慰其母心,而成其志爾。」

衛国には淫乱の気風が蔓延した! 七人子を産んだ母ですら家を守ろうとせず浮気に走ろうという始末! それを孝行息子が懸命に押しとどめんとした詩である!




○崔浩先生、闇の顔

「孝子は称賛されるに値する」訳であるが、いや、……前提条件がかなり狂っておらぬか? なお日本には「七人の子は生すとも女に心許すな」なることわざが過去存在しており、当詩詩序がその元ネタとなったそうである。正味のところ「夫が妻を虐げていたから七人の子をなした上であっても、なお裏切られた」にすぎぬ気がせぬのだがな。




■南よりの風

凱風が南よりの風の雅語と化すわけであるが、ではこれと当詩のメンタリティをも合わせて表しておるかというと、これがまた判定が難しい。ひとまず「南風の雅語」的属性を持つと思われるものだけピックアップしてみた次第である。


・漢書100.1 敍傳上

 繇凱風 而蟬蛻兮,雄朔野以颺聲。

・三國志2 曹丕 注

 回回凱風,祁祁甘雨,稼穡豐登,我稷我黍。

・三國志10 賈詡 注

 實由疾疫大興,以損淩厲之鋒,凱風自南,用成焚如之勢。

・三國志65 華覈

 熙光紫闥,青璅是憑。毖挹清露,沐浴凱風。

・晋書51 摯虞

 尋凱風而南暨兮,謝太陽於炎離。

・宋書20 楽二

 景麗條可結。霜明冰可折。凱風扇朱辰。白雲流素節。




■母の労苦がしのばれる

史書における「凱風のメンタリティ」が語るものは、完全に母の苦労を思う方向性である。以前伺った話によると朱子が盛大にこの辺りをねじ曲げたらしい、とのことである。どれだけ朱子は母を恨んでおったのかな。


・後漢書42 劉蒼

 及衣一篋,可時奉瞻,以慰凱風寒泉之思,又欲令後生子孫得見先后衣服之製。

・後漢書55 劉慶

 諸王幼稚,早離顧復,弱冠相育,常有蓼莪、凱風之哀。

・後漢書57 謝弼

 願陛下仰慕有虞蒸蒸之化,俯思凱風慰母之念。




■服喪のお話

宋書15 礼二

案晉泰始三年,武帝以朞除之月,欲反重服拜陵,頻詔勤勤,思申棘心。


泰始三年とは、すなわち司馬炎の皇帝即位後三年、「司馬昭の喪が明ける年」である。ここで言う棘心は、父を失った悲しみとして用いられておるのがわかる。




■しのばれるご苦労

「劬勞」とは、ようは苦労である。正直後年で「苦」を当て字してくださった方にはサンキューの念を禁じ得ぬな。なお「苦労」の形で現代に通じるような用いられ方をしておるのは、一件ほどとなる。

なお「劬勞」は、小雅鴻鴈、蓼莪、北山にも用いられておる。


・漢書87.2 揚雄下

 出愷弟,行簡易,矜劬勞,休力役;

・漢書100.2 敍傳下

 其在于京,奕世宗正,劬勞王室,用侯陽成。


・後漢書3 章帝

 孝明皇帝聖德淳茂,劬勞日昃,身御浣衣,食無兼珍

・後漢書44 胡広

 劬勞日久,後母年老,既蒙簡照,宜試職千里,匡寧方國。

・後漢書58 虞詡

 先帝開拓土字,劬勞後定,而今憚小費,舉而弃之。

・後漢書59 張衡

 不出戶而知天下兮,何必歷遠以劬勞?

・後漢書83 梁鴻

 人之劬勞兮,噫!遼遼未央兮,噫!


・三國志28 鍾会

 劬勞王室,布政垂惠而萬邦協和,

・三國志64 諸葛恪

 故遣中臺近官,迎致犒賜,以旌茂功,以慰劬勞。


・晋書2 司馬師

 內摧寇虐,外靜姦宄,日昃憂勤,劬勞夙夜。

・晋書2 司馬昭

 櫛風沐雨,周旋征伐,劬勞王室,二十有餘載。

・晋書31 文明王皇后

 履信居順,德行洽暢。密勿無荒,劬勞克讓。

・晋書33 何曾

 方今國家大舉,新有發調,軍師遠征,上下劬勞。

・晋書38 司馬攸

 以母弟之親,受台輔之任,佐命立勳,劬勞王室,宜登顯位,以稱具瞻。

・晋書48 閻纘

 至於旦夕訓誨,輔導出入,動靜劬勞,

・晋書83 江逌

 蓋上之有為非予欲是盈,下之奉上不以劬勞為勤,此自古之令典,軌儀之大式也。

・晋書91 徐邈

 猶朝夕入見,參綜朝政,修飾文詔,拾遺補闕,劬勞左右。

・晋書96 虞潭

 母孫氏遺孤藐爾,孫氏雖少,誓不改節,躬自撫養,劬勞備至。


・宋書12 律暦中

 允迪聖哲,先天不違,劬勞庶政,寅亮鴻業,

・宋書42 王弘

 明公位極台鼎,四海具瞻,劬勞夙夜,義同吐握。

・宋書67 謝霊運

 天子感東山之劬勞,慶格天之光大,明發興於鑒寐,使臣遵于原隰。

・宋書74 臧質 父 臧熹

 將軍首建大義,劬勞王家。雖復不肖,無情於樂。

・宋書74 沈攸之

 太祖劬勞日昃,卜世不盡七百之期,

・宋書84 鄧琬

 聖上明睿在躬,膺符握曜,眷懷家國,夙夜劬勞,懼社稷湮蕪,彝倫左衽。

・宋書84 袁顗

 汝雖劬勞于外,跡阻京師,然心期所寄,江、漢何遠。

・宋書95 評

 高祖劬勞日昃,思一區宇,旍旗卷舒,僅而後克。


・魏書13 皇后伝序

 世祖、高宗緣保母劬勞之恩,並極尊崇之義,雖事乖典禮,而觀過知仁。

・魏書13 高宗乳母常氏

 太延中,以事入宮,世祖選乳高宗。慈和履順,有劬勞保護之功

・魏書19.3 元燮

 今州之所在,豈唯非舊,至乃居岡飲澗,井谷穢雜,昇降劬勞,往還數里。

・魏書21.1 元禧

 實賴先帝聖德,遺澤所覃,宰輔忠賢,劬勞王室,用能撫和上下,肅清內外。

・魏書24 崔道固

 道固驚起接取,謂客曰:「家無人力,老親自執劬勞。」

・魏書31 于忠

 當今學識有文者不少,但心直不如卿。欲使卿劬勞於下,我當憂無於上。

・魏書56 崔楷

 亮由君之勤恤,臣用劬勞,日昃忘餐,宵分廢寢。

・魏書63 宋弁

 弁劬勞王事,夙夜在公,恩遇之甚,輩流莫及,名重朝野,亞於李沖。

・魏書67 崔光

 陛下縱欲忽天下,豈不仰念太祖取之艱難,先帝經營劬勞也。

・魏書69 裴延儁

 良以經史義深,補益處廣,雖則劬勞,不可暫輟。




■偉大なる母

史書上での「聖善」は、原則として皇后の徳高さに用いられてはおる。とは言え諡法解において、「宣」の諡について「聖善周聞」、大いなる徳とともに、大いに人々の話に耳を傾ける人主のありようとして用いられておる。ここに母の属性は含まれておらぬ気もするので、さして性別を気にする必要もないのやも知れぬが、まぁふいんき的な意味では母を讃える言葉として用いた方がエモいのではないかな。


・後漢書10.2 桓帝懿献梁皇后

 春秋迎王后于紀,在塗則稱后。今大將軍冀女弟,膺紹 聖善 。

・後漢書16 鄧禹 孫 鄧騭

 伏惟和熹皇后聖善之德,為漢文母。


・三國志5 文昭甄皇后

 文昭廟宜世世享祀奏樂,與祖廟同,永著不毀之典,以播聖善之風。

・三國志5 文徳郭皇后 注

 昔二女妃虞,帝道以彰,三母嬪周,聖善彌光,既多受祉,享國延長。

・三國志19 曹植 注

 伏惟君侯,少長貴盛,體旦、發之質,有聖善之教。


・晋書8 評

 委裘稱化,大孝為宗。遵彼聖善,成茲允恭。

・晋書31 文明王皇后

 每惟聖善,敦睦遺旨,渭陽之感,永懷靡及。

・晋書32 康献褚皇后

 伏惟陛下德應坤厚,宣慈聖善,遭家多艱,臨朝親覽。

・晋書32 簡文宣鄭太后

 先帝追尊聖善,朝議不一,道以疑屈。


・魏書31 于忠

 但陛下以叡明御宇,皇太后以聖善臨朝,衽席不遺,簪屨弗棄,

・魏書74 爾朱栄

 伏願留聖善之慈,回須臾之慮,照臣忠誠,錄臣至款,聽臣赴闕,預參大議

・魏書108.3 礼三

 朕承累世之資,仰聖善之訓,撫和內外,上下輯諧。




■衛国の風土

漢書28 地理下

邶、庸、衛三國之詩相與同風。『邶『詩』曰「在浚之下」,『庸』曰「在浚之郊」;『邶』又曰「亦流于淇」,「河水洋洋」,『庸』曰「送我淇上」,「在彼中河」,『衛』曰「瞻彼淇奧」,「河水洋洋」。


上記は河内郡の解説に載る。詩経において、衛国の風土を歌われるものがピックアップされておる。当詩、鄘風干旄、邶風泉水、衛風碩人、鄘風桑中、鄘風柏舟、衛風淇奧よりであるが、それにしても「風土を表す詩句」としてすべて川にまつわる言葉が挙がっているのが興味深いな。それだけ川が生活に直結していたのであろう。




毛詩正義

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