擊鼓(出征を恨む/無体な命令の犠牲)
兵役 別離 苦難 絶望 衛桓公 州吁
戦鼓が勇ましく鳴り響く。
剣を持ち、踊り出でる。
漕の地に城砦が築かれた、
さあ、おれは家族の元を離れ、
南の戦地へ赴くのだ。
孫子仲将軍のなされる
陳、および宋との同盟交渉の後、
我らは南の戦地、鄭へ赴く。
さて、おれは帰れるのだろうか。
憂いが心を満たす。
我らが衛の軍は
しょせん烏合の衆。
てんでんばらばらの振る舞いの上、
おれの馬も倒れてしまった。
どこで倒れていたのか。
あの林の下。
生きるも死ぬもお前と共にあると
そう誓ったのではなかったか。
お前の手を取り、
一緒に老いてゆこうと
そう約束したのではなかったか。
ああ、なんと遠い。
おれの活力は失われた。
ああ、なんと遠い。
もはや誓いは果たせまい。
〇国風 邶風 擊鼓
衛の将軍である孫子仲はクソであったそうである。クソ将軍の下で働く一兵士の戦意が上がることは決してない。この心にどんよりとへばりつくのは、故郷に残してきた家族のこと。こんなクソ将軍のクソな命令に駆り出され、おれは死なねばならぬのか。勇ましき詩のタイトル(まぁ各詩のタイトルは冒頭句からの引用でしかないので、詩の主題とはならぬのだが)に見合わぬ、憂悶と悲しみ、そして底ぐらい恨みを匂わせる。
〇儒家センセー のたまわく
「怨州吁也。衛州吁用兵暴亂,使公孫文仲將而平陳與宋,國人怨其勇而無禮也。」
孫子仲は衛の荘公を継いだ桓公(荘公と姜氏との間の養子)を殺した「州吁」の配下であったとされる! 妃の序列をシカトして簒奪をなし、さらに自分勝手にふるまった州吁とその配下たち! かの者に対する兵士殿の怒りを肌で感じ、為政者は妃問題、後嗣問題を適切に取り扱うべきと心せよ!
〇崔浩先生、考える
この辺りの詩は儒家センセーの説に乗るのも乗らぬのもよい、という感じで楽しむとよさそうである。「于嗟闊兮」以下に漂う絶望と恨みの重さは、それ単体でも実に素晴らしい。
■州吁について
史記37 衛世家
莊公五年,取齊女爲夫人,好而無子。又取陳女爲夫人,生子,蚤死。陳女女弟亦幸於莊公,而生子完。完母死,莊公令夫人齊女子之,立爲太子。莊公有寵妾,生子州吁。十八年,州吁長,好兵,莊公使將。石碏諫莊公曰:「庶子好兵,使將,亂自此起。」不聽。二十三年,莊公卒,太子完立,是爲桓公。桓公二年,弟州吁驕奢,桓公絀之,州吁出奔。十三年,鄭伯弟段攻其兄,不勝,亡,而州吁求與之友。十六年,州吁收聚衞亡人以襲殺桓公,州吁自立爲衞君。爲鄭伯弟段欲伐鄭,請宋、陳、蔡與倶,三國皆許州吁。州吁新立,好兵,弒桓公,衞人皆不愛。石碏乃因桓公母家於陳,詳爲善州吁。至鄭郊,石碏與陳侯共謀,使右宰丑進食,因殺州吁于濮,而迎桓公弟晉於邢而立之,是爲宣公。
上記を単純に書くと「荘公が身分のいやしい女との間の子「州吁」を、嫡子たる桓公を差し置いて可愛がったところ荘公死後にその仲が決定的に決裂、ついに州吁により桓公が殺された。ただしすぐさま「石碏」の計略によって州吁も殺され、邢に亡命していた桓公の弟が衛公につけられた」となる。ご覧の通り史記では公孫文仲とやらの名前は一切出てこぬ。まぁ、出てこないのでこの説は誤り、と短絡的に言うわけにもゆかぬのだがな。
■衰微する皇帝権威を眺めながら
晋書32 評
援筆廢主,持尺威帝。契闊終罹,殷憂以斃。
史臣評賛では時系列も割と不思議な感じになっているのでいまいち誰のことか特定がしづらいのだが、内容としては康献褚皇后であろうか。早い段階で「生きるも死ぬも」契闊すべき康帝を失い、何人もの幼き皇帝の後見として立ち、そして桓温による海西公廃位を見届けねばならなかった。自分の夫とは全く違う血統の孝武帝の治世を見守る中崩じた。深い悲しみ、憂いを抱きながらではあったことであろう。
なお「契闊」句は苦楽をともにする、と言った方向で雅語化しており、史書中にかなり多く見える。変な話だが「一般雅語」と言った感じなので、ことさらに当詩を引き合いに出しすぎる必要もないようにも思われる。なにぶん字面が異常にかっこいいのでな、仕方ないな。そしてこういった言葉の用いられ方のうち、宋書にて宋建国の元勲のひとり、王弘の追悼文にて「綢繆」とワンセットとされた結果、宋代のうちにこの用いられ方がわりと流行ったのも見て取れる。この辺りの「引用の援用」も上手く追えたら楽しそうであるのだがな。
・後漢書80.1 傅毅
契闊夙夜,庶不懈忒
・後漢書81 范冉
行路倉卒,非陳契闊之所,可共到前亭宿息,以敍分隔。
・三國志8 公孫度 注
又權待舒、綜,契闊委曲,君臣上下,畢歡竭情
・三國志14 董昭
將軍有兵,有無相通,足以相濟,死生契闊,相與共之。
・三國志47 孫権 注
公私契闊,未獲備舉,是令本誓未即昭顯。
・三國志57 張温
臣是溫又契闊,辭則俱巧
・三國志58 陸抗
死生契闊,義無苟且,夙夜憂怛,念至情慘。
・三國志65 韋昭
勞身苦體,契闊勤思,平居不墮其業,窮困不易其素
・晋書31 左貴嬪
惟帝與后,契闊在昔。比翼白屋,雙飛紫閣。
・晋書59 司馬冏
契闊戰陣,功無可記,當隨風塵,待罪初服。
・晋書60 繆播
帝反舊都,播亦從太弟還洛,契闊艱難,深相親狎。
・晋書60 評
契闊艱難,扶持幼孺,遂得纂堯承緒,祀夏配天,校績論功,有足稱矣。
・晋書62 評
踦駆汾晉,契闊獯戎。
・晋書63 評
契闊喪亂之辰,驅馳戎馬之際,威懷足以容眾,勇略足以制人
・晋書64 司馬道子
故太傅公阿衡二世,契闊皇家,親賢之重,地無與二。
・晋書70 評
契闊艱虞,匪石為心,寒松比操,貞軌皆沒,亮迹雙升。
・晋書91 范弘之
契闊艱難,夷嶮以之,雖受屈姦雄,志達千載,此忠貞之徒所以義干其心不獲以已者也。
・宋書41 孝武文穆王皇后
契闊荼炭,持兼憐愍,否泰枯榮,繫以為命。
・宋書42 劉穆之
臣契闊屯泰,旋觀始終,金蘭之分,義深情密。
・宋書42 王弘
並綢繆先眷,契闊屯夷,內亮王道,外流徽譽。
・宋書60 范泰
息晏委質,有兼常欵,契闊戎陣,顛狽艱危
・宋書72 文九王
往往多同,難否之日,每共契闊。
・宋書75 王僧達
故太保華容文昭公弘契闊歷朝,綢繆眷遇
・宋書77 顔師伯
爰始入討,預參義謀,契闊大難,宜蒙殊報。
・宋書78 劉延孫
綢繆心膂,自蕃升朝,契闊唯舊,幾將二紀。
・宋書86 劉勔
綢繆顧託,契闊屯夷,方倚謀猷,翌康帝道。
・魏書9 元詡
本充牙爪,服勤征旅,契闊行間,備嘗勞劇。
・魏書19.3 元燮
竊聞前政刺史,非是無意,或值兵舉,或遇年災,緣此契闊,稽延至此。
・魏書21.2 元勰
吾與汝等,早罹艱苦,中逢契闊,每謂情義隨事而疏。
果等契闊生平,皓首播越,顧瞻西夕,餘光幾何。
・魏書45 韋閬 附伝 蘇湛
與卿契闊,故以相報,死生榮辱,與君共之。
臣與寶夤周遊 契闊,言得盡心,而不能令其不反,臣之罪也。
・魏書50 慕容白曜
辛勤於戎旅之際,契闊於矢石之間,登鋒履危,志存靜亂。
・魏書62 李彪
雖頃來契闊,多所廢離,近蒙收起,還綜厥事。
・魏書68 高聡
其與朕父南征,契闊戎旅,特可感念。
・魏書71 裴叔業 附伝 柳玄達
契闊危難之旨,又著喪服論,約而易尋。
・魏書75 爾朱弼
今方同契闊,須更約盟。
・魏書104 魏子建
吾生年契闊 ,前後三娶,合葬之事,抑又非古。
■偕老
たくさん引用があるのだが、さすがにこれは君子偕老でやった方が良かろう。そのため「語句が先に出た詩にて紹介」という原則を枉げ、鄘風君子偕老にて紹介させていただく。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E6%93%8A%E9%BC%93%E3%80%8B
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