兔罝(国防の兵士を讃える/妃の徳化)

兔罝としゃ 引用18件

武士 威武 国境防衛 妃の徳 国の繁栄



肅肅兔罝しゅくしゅくとしゃ 椓之丁丁たくしちょうちょう

赳赳武夫きゅうきゅうぶふ 公侯干城こうこうかんじょう

 兎取りの網を粛々と用意。

 固定をしよう、カンカンと。

 猛きもののふは

 公卿を守る城である。


肅肅兔罝しゅくしゅくとしゃ 施于中逵しうちゅうき

赳赳武夫きゅうきゅうぶふ 公侯好仇こうこうこうきゅう

 兎取りの網を粛々と用意。

 張り巡らそう、道の中。

 猛きもののふは

 公卿の良き伴である。


肅肅兔罝しゅくしゅくとしゃ 施于中林しうちゅうりん

赳赳武夫きゅうきゅうぶふ 公侯腹心こうこうふくしん

 兎取りの網を粛々と用意。

 張り巡らそう、林の中。

 猛きもののふは

 公卿の腹心となる。




○国風 周南 兔罝

兎をも逃さぬほどの防衛線を構築する詩。それは誰を守るためのものか。公卿である。そこはお前少しでも謙譲の心を示して民と言えと思わぬではないが。とは言え一方で兵士らを十全に機能させることができるのは、間違いなく指令を出す公卿らである。その意味では兵士と公卿の紐帯は語らねばならぬものであろう。それがあって、はじめて民は外敵より守られよう。




○儒者センセー のたまわく

「后妃之化也。關雎之化行。則莫不好德。賢人眾多也。」

妃が王の徳に感化して徳高き存在となれば、配下の者も徳高くろう! かくて多くのよき臣下に恵まれるのである!




○崔浩先生 ビビる

なんでこの詩で妃!?

ともあれ異説では「兎取りのような卑賤な立場に才あるものが埋もれているものを嘆く詩である」といったものもあり、それもどーなのよという感じがせぬでもない。

この謎の偏執が、周南という「詩経全体の第一章」を彩るためにより格調高きものであると扱わねばならぬ、的儒家センセーがたの力みであればよいのだが。




■ウサギ追いしかの山

後漢書83 矯慎

慎同郡馬瑤,隱於汧山,以兔罝為事。所居俗化,百姓美之,號馬牧先生焉。


隠者である。なので「すわ兵役か!?」と思ったら文字通りの「ウサギ取り網」であった。わざとだな、間違いなく確信犯である。すき。




■晋書では反面教師的に。

晋書5 評

漢濱之女,守潔白之志,中林之士,有純一之德。


周の王様とお后様が偉大な政を為したから漢水の女は純潔を保つことが叶ったし、中林の士、すなわちこの詩にて登場する「中林に設けられた兔罝」=国を守るもののふたちはお国の為に一心に働くことができた(しかしながら恵帝以降の西晋の皇帝ときたら……)。といった感じの流れである。要はお説教タイム中の引用である。




■桓温、蜀の名士を推挙

三國志42 譙周 孫 譙秀 注

伏惟大晉應符禦世,運無常通,時有屯蹇,神州丘墟,三方圮裂,兔罝絕響於中林,白駒無聞於空谷,斯有識之所悼心,大雅之所嘆息者也。


東晋の名将桓温は、蜀の討伐成功によってその名を大いに馳せた。そんな桓温が蜀にいた名士たちを中央に推挙したいとして上表した中に譙秀がいた。その際に当詩が歌うような兵士たちがおらず、「白駒」で謳われるような名馬もいない。つまり国を守る国士が不足していると語っておるのである。なお「大雅」とか言うので大雅のどの詩だよと探そうとしたら、曹操曹丕の時代の文人「建安七子」の一人、阮瑀がものした「曹公與孫権書」にある「大雅之人不肯為此」よりの引用であろう、とのことであった。まぎらわしいわ。




■禍にあえぐ民を救う王、応える将。

晋書81 評

氣分淮海,災流瀍澗。覆類玄蚖,興微『鴻雁』。鼓鞞在聽,『兔罝』有作。赳赳群英,勤茲王略。


この巻は東晋期の武将列伝となっておる。小雅に言う「鴻雁」があてどもなくさ迷う民を何とか掬い上げようとする王の想いを歌い、当詩の言う兔罝が、それに応えんとその武略を尽した、と言った感じであろうか。




■劉裕、人士を求める。

宋書93 宗炳

髙祖開府辟召,下書曰:「吾忝大寵,思延賢彦,而兔罝潛處,考槃未臻,側席丘園,良增虚佇。


劉裕が相国となった時、広く人材を求めようとした中にかれ、宗炳がいた。かれを招聘せんとする文の中で劉裕は当詩にに歌われるような良士は密かに隠れ住み、衛風考槃にて歌われる賢人は未だ現れない。我が隣を温めてくれるような人士は野に遊んでいる。張良や范増(ともに劉邦を大いに助けた軍師)のごとき人物がいずことも知れぬ場所にたたずんでいる、と語るのである。なお相国となった頃は彼の右腕であった劉穆之を失った直後。思いがけず劉裕の副官を失った悲しみと不安とに巡りあってしまった。もっとも宗炳は普通にこの招聘を蹴ったのだが。




■優れた武威

「赳赳」句には武士の果断なるが込められている。この辺りをわかりやすく引き合いに出すには楊戯を見て頂くがよろしかろう。蜀歴代の名臣を讃える詩において、関羽と張飛が「赳赳」であった、と語る。偉大なる武将に対する最上級の賛辞なわけである。


・左伝 成公12-7

 朝而不夕.此公侯之所以扞城其民也.故詩曰.赳赳武夫.公侯干城.及其亂也.

・左伝 成公12-7

 詩曰.赳赳武夫.公侯腹心.天下有道.則公侯能為民干城.而制其腹心.

・漢書69 趙充國

 昔周之宣,有方有虎,詩人歌功,乃列于雅。在漢中興,充國作武,赳赳桓桓,亦紹厥後。

・漢書100.2 敍傳下

 赳赳景王,匡漢社稷。

 尊實赳赳,邦家之彥;章死非辠,士民所歎。

・後漢書1.2 評

 明明廟謨,赳赳雄斷。於赫有命,系隆我漢。

・後漢書37 桓栄 注

 赳赳武夫,公侯干城,何湯之謂也。

・三國志45 楊戯

 關、張赳赳,出身匡世,扶翼攜上,雄壯虎烈。

・後漢書51 龐参

 非惟兩主有明叡之姿,抑亦扞城有虓虎之助,是以南仲赫赫,列在周詩,亞夫赳赳,載於漢策。

・晋書82 虞預

 詩稱「赳赳武夫,公侯干城」,折衝之佐,豈可忽哉!

・晋書87 李暠

 赳赳干城,翼翼上弼,恣馘奔鯨,截彼醜類。



■あえて「逵」と

確かに、逵そのもので「大きな道」という意味合いを持つ。なれど、そこにあえて「中」を重ねてくる用例はあまりない。すなわちこの言葉を用いるだけで、否応なく当詩を想起させられるわけである。


・三國志19 曹植 注

 霖雨泥我塗,流潦浩從橫。中逵絕無軌,改轍登高岡。

・宋書14 礼一

 列言統曹正厨,置尊酒俎肉于中逵,以犒饗校獵眾軍。




■好仇!?

すでに関雎にて紹介したので省略する。が、書60杜欽、81匡衡、後漢書59張衡、80.2辺讓にて、この句が用いられたことは特記しておこう。この辺りには、あえて「なぜ用いられたのか」を探るのも一つ面白き試みであるようには思われる。





毛詩正義

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