常武(引用18:宣王親征す)

常武じょうぶ 



赫赫明明かくかくめいめい 王命卿士おうめいきょうし

南仲大祖なんちゅうだいそ 大師皇父だいしこうふ

整我六師せいがろくし 以脩我戎いしゅうがじゅう

既敬既戒きけいきかい 惠此南國えしなんこく

 大いなる威風を取り戻した周王室。

 宣王は兵士らに命じる。

 総取締は文王に仕えた将、

 南仲の子孫である皇父である。

 宣王は命じる、我が軍を整え、

 装備を調え、功を挙げられよ、と。

 軍内を規律にて整え、

 南国のまつろわぬ民を服従させよ。


王謂尹氏おういいんし 命程伯休父めいていはくきゅうふ

左右陳行さうちんこう 戒我師旅かいがしりょ

率彼淮浦そつかわいほ 省此徐土せいしじょど

不留不處ふりゅうふしょ 三事就緒さんじしゅうしょ

 宣王は尹吉甫に言う。

 程国の伯、休父に軍を整えさせよ、と。

 軍容は左右に広がって整い、

 周辺を警戒しつつ進む。

 淮水に添って下り、

 後に言う徐州を巡察、

 必要があれば敵を征伐せよ。

 一箇所に留まることなく、

 尹吉甫、皇父、休父の三名が

 各々の職務を全うするようにせよ。


赫赫業業かくかくぎょうぎょう 有嚴天子ゆうげんてんし

王舒保作おうじょほさく 匪紹匪遊ひしょうひゆう

徐方繹騷じょほうえきそう 震驚徐方しんきょうじょほう

如雷如霆じょらいじょてい 徐方震驚じょほうしんきょう

 勢い盛ん、武威高らか。

 宣王もまた親しく征伐にお出になる。

 王の軍は緩やかに進む。

 緩慢であるとか、

 遊び半分だからではない。

 王の威厳をよく民に示すためである。

 徐州の民は皆大騒ぎ。

 王の進軍は、当地を震撼させた。

 王の勢威は雷鳴がごとく

 各地に伝播する。

 王の進軍は、当地を震撼させた。


王奮厥武おうふんくつぶ 如震如怒じょしんじょど

進厥虎臣しんくつこしん 闞如虓虎かんじょきょうこ

鋪敦淮濆ほとんわいふん 仍執醜虜じょうしつしゅうりょ

截彼淮浦せつかわいほ 王師之所おうしししょ

 宣王が武威を振るう。その怒声は、

 大地をも震わせかねぬ勢い。

 ひとたび近衛兵が動けば、

 文字通り怒れる猛虎のごとき働き。

 淮水のほとりに陣を敷き、

 たちまちまつろわぬ民を捕らえる。

 かくて淮水域に治安がもたらされ、

 王の庇護下となった。


王旅嘽嘽おうりょたんたん 如飛如翰じょひじょかん

如江如漢じょこうじょかん 如山之苞じょさんしほう 如川之流じょせんしりゅう

緜緜翼翼べんべんよくよく 不測不克ふそくふこく 濯征徐國たくせいじょこく

 王の征伐は迅速であるが、

 同時にゆったりともしている。

 長江や漢水のごとく盛んであり、

 山のようにどっしり構え、

 ひとたび動けば、河川のごとく

 止めようがない。

 よく連なり、厳密に管理され、

 その動きの意図は測りようがなく、

 ゆえに対抗できる者もなく、

 こうして徐州一帯を征伐された。


王猶允塞おうゆういんさい 徐方既來じょほうきらい 

徐方既同じょほうきどう 天子之功てんししこう 

四方既平しほうきへい 徐方來庭じょほうらいてい 

徐方不回じょほうふかい 王曰還歸おうえつかんき 

 王の戦いは正々堂々、誠心誠意。

 徐州の民はことごとく王に従う。

 徐州の併呑、まさに王の徳ゆえ。

 すでに四方の国も治まっていた。

 ゆえに徐州の民も

 王の元に臣従の使者を出した。

 もはや徐州が背くこともない。

 こうして王は、都に帰られた。




○大雅 常武

宣王の徐州征伐を描く叙事詩、という感じであるな。実にお素晴らしい、と言うか、文王が崇の国をいちどの征伐で平らげきれなかったことを思うと、武威のみで言えば文王よりも上と行っても良いのではなかろうか。そんな宣王はこの後失墜するわけであるが、その辺りを小雅に押し込み、大雅はこの後しれっと次の王、幽王に時代を移す。そういう所だぞ周。


なお、当詩にはどこにも「常」字が見えず、大体の研究者が切れ散らかしている。中には「武が常にあるって、要するにずっと平和じゃないってことだよね。え、そしたら宣王の統治クソザコってことじゃね?」とすらいわれる始末である。……考えてみればこの後どんどんと統治は悪化していくわけで、もしやすれば詩題付与者は「なに宣王のこと褒め称えてんだ、こいつその後国内の乱れを収めきれず、それこそ武が常だったじゃねーか」と dis りたかったのやもしれぬな。




■虎臣=近衛兵

古代中国の近衛兵と言えば「虎賁中郎将」であるが、ここを見る感じでは「進厥虎臣 闞如虓虎」の援用なのではないか、と言う印象がある。なのでおそらく同官位は当詩(もしくはこの後に待ち受ける一大叙事詩「泮水」)よりの引用であると言って差し支えないのやも知れぬが、まぁ迂闊に引っ張れば爆発するのが目に見えておるので気付かなかったふりをする。この中では少し宋書が面白そうであるかな。すべて詩において用いられており、地の文には登場せぬ。ではこれ以降廃れたのかと思えば、宋史で52件、元史で45、明史で24件と、後の世で大爆発しておる。どこかでこの言葉が大流行するきっかけがあったのであろうな。


・漢書69 趙充国

 漢命虎臣,惟後將軍,整我六師,是討是震。

・漢書69 辛慶忌

 為國虎臣,遭世承平,匈奴、西域親附,敬其威信。

・漢書100.3 敍傳下

 武賢父子,虎臣之俊。

・後漢書17 溤異

 建武元功二十八將,佐命虎臣,讖記有徵。

・後漢書47 班超 子 班勇

 孝明皇帝深惟廟策,乃命虎臣 ,出征西域,故匈奴遠遁,邊境得安。

・後漢書38 馮緄

 已命有司祖于國門。詩不云乎:『進厥虎臣,闞如虓虎,敷敦淮濆,仍執醜虜。』將軍其勉之!

・後漢書88 西域

 孝武憤怒,深惟久長之計,命遣虎臣,浮河絕漠,窮破虜庭。


・三國志3 曹叡

 虎臣逐北,蹈尸涉血,亮也小子,震驚朕師。

・三國志36 評

 評曰:關羽、張飛皆稱萬人之敵,為世虎臣。

・三國志48 評 注

 虎臣毅卒,循江而守,長戟勁鎩,望飆而奮。

・三國志55 評

 評曰:凡此諸將,皆江表之虎臣,孫氏之所厚待也。


・宋書21 楽三

 奔寇震懼,莫敢當御。六解虎臣列將,怫鬱充怒。

・宋書22 楽四

 內舉元凱,朝政以綱。外簡虎臣,時惟鷹揚。

 虎臣雄烈,周與程。破操烏林,顯章功名。 大皇赫斯怒,虎臣勇氣震。蕩滌幽藪,討不恭。

・宋書67 謝霊運

 協以宰輔賢明,諸王美令,岳牧宣烈,虎臣盈朝,而天威遠命,亦何敵不滅




■徐州の民が臣従した

……と、用いられておる句であるが、武昭宣元成功臣表では春秋の時代、徐州の民である列潞が捕らえられたのにもかかわらず爵位を得た、つまり臣従が認められたことを示したとし、嚴助の所では厳助ではなく、淮南王劉安が皇帝の南征を諫める長大な上奏の中で「王が威徳を示せば徐州の民とて慕いくる」と語っておるのだが、いや劉安様、当詩は遠征どころか王が親征する詩ですが、その引用大丈夫ですか……?


・漢書17 武昭宣元成功臣表

『詩』云「徐方旣倈」,春秋列潞子之爵,許其慕諸夏也。

・漢書64.1 嚴助

 而煩汗馬之勞乎!『詩』云「王猶允塞,徐方旣來」




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E5%85%AB#%E3%80%8A%E5%B8%B8%E6%AD%A6%E3%80%8B

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