無衣(引用1:いざ、戦に/秦人、戦を好む)

無衣むい



豈曰無衣がいえつむい 與子同袍よしどうほう

王于興師おううこうし 脩我戈矛しゅうがかよ 與子同仇よしどうきゅう

 そなたに着物が

 ないわけではあるまい。

 だが、敢えてこの着物を

 共にしたい。

 王が戦を起された。

 我が矛を修繕し、

 そなたと共に、同じ敵を討たん。


豈曰無衣がいえつむい 與子同澤よしどうたく

王于興師おううこうし 脩我矛戟しゅうがよげき 與子偕作よしかいさく

 そなたに着物が

 ないわけではあるまい。

 だが、敢えてこの下着を

 共にしたい。

 王が戦を起された。

 我が矛を修繕し、

 そなたと共に立ち上がらん。


豈曰無衣がいえつむい 與子同裳よしどうしょう

王于興師おううこうし 脩我甲兵しゅうがこうへい 與子偕行よしかいこう

 そなたに着物が

 ないわけではあるまい。

 だが、敢えてこのズボンを

 共にしたい。

 王が戦を起された。

 我が鎧や刀を修繕し、

 そなたと共に、いざ出征せん。




○国風 秦風 無衣


王と共に戦争に向かわんとするとき、ともがらとの絆を改めて確認する。それは悲壮と言うよりはただ戦い、勝たんとする思いのみであるかのように思える。




○儒家センセー のたまわく


秦の民は戦好きである! この詩ではその様子をありありと描き出しておる! 戦とは不詳そのものであり、それを喜ぶものの気が知れぬ!




■烈女を讃える


三國志18 龐淯ほういく伝 母趙娥ちょうがはい

詩雲「修我戈矛,與子同仇」,娥親之謂也。


魏の西方守護任務で活躍した武将、龐淯。かれの母である趙娥は、李寿と言う人物に父親を殺された。報復は基本的に男たちの仕事であるが、彼女の弟三人も、連なるように病死。これで誰もわしに報復できるものはおらんくなったワイ、と喜んだ李寿であったが、彼女が白昼堂々、街中で刺殺した。そのまま役所に出頭して「私を裁いてください」と申し出る。この烈女の振る舞いを書き留め、裴松之は「こんな壮挙は近年まれに見るものだ、まさしく「修我戈矛,與子同仇」ではないか、と感嘆している。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%85%AD#%E3%80%8A%E7%84%A1%E8%A1%A3%E3%80%8B_2

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