魚藻之什(ぎょそうのじゅう)

魚藻(引用1:憩う王)

魚藻ぎょそう



魚在在藻 有頒其首ぎょざいざいそう《ゆうはんきしゅ》

王在在鎬 豈樂飲酒おうざいざいこう《がいがくいんしゅ》

 魚が藻の間で安らいでいる。

 その首周りからして良く肥えている。

 王も都、鎬京にて宴を楽しまれる。


魚在在藻 有莘其尾ぎょざいざいそう《ゆうしんきび》

王在在鎬 飲酒樂豈おうざいざいこう《いんしゅがくがい》

 魚が藻の間で安らいでいる。

 その尾の先まですらりと、長い。

 王も都、鎬京にて宴を楽しまれる。


魚在在藻 依于其蒲ぎょざいざいそう《いうきぶ》

王在在鎬 有那其居おうざいざいこう《ゆうなききょ》

 魚が藻の間で安らいでいる。

 ガマの根元にたたずんでいる。

 王も都、鎬京にあり、

 宮殿の中で安らがれる。




○小雅 魚藻


王が安らかであり、平穏を楽しんでいる。詩序は例によって「周ができた当時は武王も鎬京で安らいでいたというのに幽王ときたら……」と言い出しており、正直「頑張れ、我慢だ、これがラストの什だぞ」と自らに言い聞かせておる次第である。




■曲水の宴


魏書19-2 元澄

高祖曰:「此池中亦有嘉魚。」澄曰:「此所謂『魚在在藻,有頒其首』。」高祖曰:「且取『王在靈沼,於牣魚躍』。」


拓跋燾に皇太子として立てられ、大いに期待をかけられるも非業の死を遂げた拓跋晃。その、孫である。孝文帝が洛陽遷都をなした後、洛陽で曲水の宴を開いたという。その折のやり取りである。曲水の宴は、その名の通り池から引いた川に面しながら詩を読む会であるが、その場にて孝文帝が「嘉魚がいるな」、たくさんの賓客に恵まれたな、と言うと、元澄が当詩を持ち出し、さらに孝文帝は大雅霊台という「民が王の徳に帰属する」詩を持ち出す。要は「魚」字を用いてポエムバトルを決めているわけである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%BA%94#%E3%80%8A%E9%AD%9A%E8%97%BB%E3%80%8B

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