出車(引用4:出征の辛さを思う)

出車すいしゃ



我出我車がすいがしゃ 于彼牧矣ひかぼくいー

自天子所じてんししょ 謂我來矣せいがらいいー

召彼僕夫しょうかぼくふ 謂之載矣せいしたいいー

王事多難おうじたなん 維其棘矣いききょくいー

 我が戦車を出発させ、かの牧場へ。

 天子よりの命で、召集を受けた。

 御者に命じ、軍資の品を載せる。

 国事は多難。

 速やかに出発せねばならぬ。


我出我車がすいがしゃ 于彼郊矣うかこういー

設此旐矣せつしちょういー 建彼旄矣けんかぼういー

彼旟旐斯かよちょうし 胡不旆旆こふはいはい

憂心悄悄ゆうしんしょうしょう 僕夫況瘁ぼくふきょうすい

 車を引き、郊外に進軍する。

 玄武を描いた旗には

 カラウシの尾の穂が翻る。

 別の場所にはハヤブサの

 描かれた旗がある。

 いずれもが、風にはためく。

 翻るに、我が心は憂悶にくれる。

 配下らも、また憔悴しておろう。

 

王命南仲おうめいなんちゅう 往城于方おうじょううほう

出車彭彭すいしゃほうほう 旂旐央央きちょうおうおう

天子命我てんしめいが 城彼朔方じょうかさくほう

赫赫南仲かくかくなんちゅう 玁狁于襄げんいんうじょう

 周王は南仲将軍に命じ、

 北方に城を築かせた。

 多くの戦車が旗を翻らせつつ、進む。

 王はお命じになった、

 北に城を築けとお命じになった。

 ああ、勇壮なれ、南仲将軍。

 どうかあの蛮族どもを、

 打ち払いくださいますよう。


昔我往矣せきがおういー 黍稷方華しょしょくほうか

今我來思こんがらいし 雨雪載塗うせつたいと

王事多難おうじたなん 不遑啟居ふこうけいきょ

豈不懷歸がいふかいき 畏此簡書いしかんしょ

 昔に出発したころは

 キビが花咲く成果であった。

 北辺にまで到達すれば、

 雨は雪に変わり、積もりつつある。

 蛮族らはお国を脅かし続ける。

 安穏となぞしておれぬ。

 どうして帰りたいなどと思えようか。

 王命の書を畏こみ奉り、

 お役目に向かうのだ。


喓喓草蟲ようようそうちゅう 趯趯阜螽てきてきふしゅう

未見君子みけんくんし 憂心忡忡ゆうしんちゅうちゅう

既見君子きけんくんし 我心則降がしんそくこう

赫赫南仲かくかくなんちゅう 薄伐西戎はくばつせいじゅう

 草の間では虫たちが鳴き、

 ハタハタが飛び交っている。

 秋が深まれど、いまだ

 南仲将軍は帰ってこられない。

 心中には憂いが募る。

 南仲将軍が帰還されて、

 初めて憂いもほぐれるのであろう。

 ああ、勇壮なる南仲将軍。

 どうか蛮族をお打ち払いください。


春日遲遲しゅんじつちち 卉木萋萋きぼくせいせい

倉庚喈喈そうこうかいかい 采蘩祁祁さいはんきき

執訊獲醜しつじんかくしゅう 薄言還歸はくげんかんき

赫赫南仲かくかくなんちゅう 玁狁于夷げんいんうい

 春の日はうららかに照り、

 草木は青々と葉を茂らせる。

 ウグイスが朗らかに鳴き、

 女たちは野辺にヨモギを取りに回る。

 蛮族の長を捕らえ、

 多くの蛮族を捕虜とし、

 彼らは帰ってくる。

 ああ、勇壮なる南仲将軍。

 ここに蛮族を平らげられたのだ。




○小雅 出車


戦争の雄々しさだけでなく、その苦しみや憂いをもワンセットで紹介する。「王が兵らに向け、歌う」のであるから、その労苦を思いつつ、役目を果たしてくれることへ感謝する、といった装いであろうか。なお当詩は、一部が召南草蟲の第一連


 喓喓草蟲 趯趯阜螽

 未見君子 憂心忡忡

 亦既見止 亦既覯止 我心則降


と被っておる。この辺りは国風に収集された詩たちの中よりシチュエーションを採集し、「王が臣下の労苦を思う」ことを歌うために編入されたのであろう。そこを考えれば、国風をベースにして小雅以降の詩が編まれた、と仮説を立てることも可能なのやもしれぬ。




■蔡謨さん、楽礼について語る


晋書21 禮下


故『詩序』曰:'皇皇者華,君遣使臣也。'又曰:'『采薇』以遣之,『出車』以勞還,『杕杜』以勤歸。'皆作樂而歌之。


東晋中期の名臣、蔡謨が皇帝に対して宮廷音楽の必要性を説いている。『皇皇者華』では、臣下を派遣する時に音楽を伴う事で威厳を明らかにするのだとし、『采薇』は地方守備の兵が出征する際に歌われ、『出車』は戻ってきた兵をねぎらい、そして『杕杜』にて帰ってきたものに対し勤めるのである。いずれにせよ音楽を鳴らし、それを歌う事によって気持ちが高められる、とする。そのうえで「間違っても娯楽のためのもんじゃねえから浮かれんじゃねえぞおい」と釘を刺してこられるのである。




■出征時の勇壮さを歌う


晋書22 命將出征歌(張華)

元帥統方夏,出車撫涼秦。


晋書楽志には、張華がものした国事に関する詩が多く残されておる。こちらもその中の一曲であり、描かれている内容も出車に描かれている情景そのもの、といった感じである。




■地方官どのちょう大変なんです


晋書117 姚興

自至京師,二旬於今,出車之命莫逮,萋斐之責惟深。


後秦から涼州に派遣された王尚という人物が、冤罪で捕らわれた。そのため彼の配下たちが釈放を求めて後秦王姚興に訴え出た時の一節である。王尚という人は涼州に出向して以来「出車之命」すなわち姚興よりの命令が届き切らないところで踏ん張り続けていた上に冤罪を受けている、と語り、どうにか釈放してほしい、と願い出るのである。なお姚興は王尚を許した上、この訴えを書いた宗敞という人物の文才に感動している。そうか、典拠ゴン盛り系を喜ぶド漢人ムーヴを羌族の王がしておるのだな……。




■ルールは守らせようや、な?


魏書21上 元雍

臣聞君舉必書,書而不法,後代何觀。詩云:「王事靡盬,不遑啟處」,又曰:「豈不懷歸,畏此簡書」。依依楊柳,以叙治兵之役;霏霏雨雪,又申振旅之勤。若折往來日月,便是採薇之詩廢,杕杜之歌罷。


元雍は北魏孝文帝の弟。孝文帝死後宣武帝、孝明帝の治世で宰相的立場にあった。上記は孝明帝即位時に人事のルールを定めたい、とした時の上表のうちの一節である。きちんと基準は書面として表し、そこをしっかり守らないのであれば、いったい誰がお国に従って軍旅になぞ出ようなどと思うのか、……といった内容であろうか。





毛詩正義

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