邶風(はいふう)

柏舟(周囲を恐れる/採用されない士大夫)

柏舟はくしゅう 引用9件

孤独 憂鬱 不遇 不公平な人事



汎彼柏舟はんかはくしゅう 亦汎其流えきはんきりゅう

耿耿不寐こうこうふしん 如有隱憂じょゆういんゆう

微我無酒びがむしゅ 以敖以遊じごうじゆう

 ふわふわとただよう柏の船は、

 拠るべなきわが身のよう。

 憂いに苛まれ、夜も眠れず、

 気がかりが胸を締め付ける。

 酒がないわけではないのだ。

 では、いささか飲んでごまかそうか。


我心匪鑒がしんひかん 不可以茹ふかじじょ

亦有兄弟えきゆうけいてい 不可以據ふかじきょ

薄言往愬はくげんおうそう 逢彼之怒ほうかしど

 鏡ならざるわが心では、

 人の心を照らせはせぬ。

 たとえ兄弟とて、どうして頼れよう。

 仮に打ち明けてみたところで、

 叱られるのが落ちだろう。


我心匪石がしんひせき 不可轉也ふかてんや

我心匪席がしんひせき 不可卷也ふかけんや

威儀棣棣いぎていてい 不可選也ふかせんや

 石ならざるこの心は

 転がるように変わりはせぬ。

 ムシロならざるこの心は、

 巻き取ってしまうこともできぬ。

 きちんと居住まいを正し、

 せめて謗られぬようにしよう。


憂心悄悄ゆうしんしょうしょう 慍于群小おんうぐんしょう

覯閔既多こうびんきた 受侮不少じゅぶふしょう

靜言思之せいげんしし 寤辟有摽ごじゆうひょう

 ああ、チクチクと心が痛む。

 またも小者どもに

 後ろ指さされるのであろうか。

 さげすまれ、辱められ。

 そのことを思い出すだけで、

 寝ても覚めても動悸がする。


日居月諸にっきょげっしょ 胡迭而微こてつしび

心之憂矣しんしゆういー 如匪澣衣じょひかんい

靜言思之せいげんしし 不能奮飛ふのうふんひ

 太陽よ、月よ、なぜ沈みゆくのか。

 薄汚れた衣にまといつかれるかのごとき、

 この心の憂いたるや。

 あぁ、静かに思いは募る。

 I wish I were a bird.




〇国風 邶風 柏舟

なんだこの陰キャの想いの代弁としか思えぬ詩は。不安定に揺れる柏の葉でできた船を見、不安に揺れる歌唱者。それを悟られるまいと(悟られたら一巻の終わりだと思っている)懸命に居住まいを正すのだが、それによって「無理しちゃってwww」と「小者どもに」あざ笑われるわけである。あるいはそれは歌唱者の卑屈な心根が呼び起こした被害妄想のようにも思われるわけであるが、だが「感じたことが事実」である。不安にキリキリと痛む胃。終いには飛びたいとまで言い出しおる。いや、なんというか……この詩に共感できる陰キャはかなり多そうであるな。




〇儒家センセー のたまわく

「言仁而不遇也。衛頃公之時,仁人不遇,小人在側。」

仁徳あふれたものが諸侯に採用されずにおる、その不遇を嘆いたものである! ここには孔子がなかなか採用されずにおった悲憤をも仮託しえような! しかし、一方では婦人がなかなかうまく夫の寵愛を得ることができずに悶々としておるようにも解釈しえよう!




■仙人ならぬこの身では

後漢書59 張衡

天不可階仙夫希,栢舟悄悄吝不飛。


「思玄賦」の最終章に載る一節である。物事を為し遂げるのに、ひとの生はあまりに短すぎる。仙人のように天を駆けたくとも、今のこの身は当詩にて歌われる柏舟のぷかぷか揺れるがごとく、なんとも不安定ではないか、と嘆いておる。




■才気を鼻にかける孫皓の論戦

三國志53 張紘 孫 張尚 注

皓嘗問:「詩云『汎彼栢舟』,惟栢中舟乎?」尚對曰:「詩言『檜楫松舟』,則松亦中舟也。」……皓性忌勝己,而尚談論每出其表,積以致恨。


孫皓は己の学識の高さを自認していたが、一方で自らより学識の高いものを猜忌していたそうである。そんな中、張尚に対し文学論議を仕掛けた。柏で船など作れるのだろうか、と。すると張尚は衛風竹竿に歌う船が松でできていることを引き合いに出し、なら作れるんですよ、と回答しておる。

どうこの会話を解釈したものかで悩むのだが、ともあれこの返しに孫皓は張尚の才能が自分を上回ることを痛感し、恨み、のちに殺したそうである。




■カレーとうんこの見分け方を教えて!

魏書54 高閭

誠知忠佞有損益,而未識其異同,恒懼忠貞見毀,佞人便進。寤寐思此,如有隱憂。


北魏孝文帝が高閭以下特に信頼出来る者たちを一堂に集め、聞いた。忠臣と佞臣との言葉に従うとそれぞれで影響がある、けど見分け方がわからん、うっかり忠臣を退けちゃったらと思うとそわそわして夜も眠れず、「憂鬱を隠しきれない」と語っておる。




■なんでどろんこの中?

世説新語 文学3

鄭玄家奴婢皆讀書。嘗使一婢,不稱旨,將撻之。方自陳説,玄怒,使人曳箸泥中。須臾,復有一婢來,問曰:「胡爲乎泥中?」荅曰:「薄言往愬,逢彼之怒。」


詩経に注釈を施した人物の一人である鄭玄の家にいる奴婢がポカをやった。なので鄭玄に怒られ、泥水の中に放り込まれた。このとき別の奴婢がおなじ邶風の式微を引用して「何やってんのおまえ」と聞いてきた。なのでこの詩の一句を引用し「いや、ご主人様に怒られちゃってさ」と答えた、というものだ。奴婢レベルで詩経を諳んじておるのは恐ろしいことこの上ないのだが、そこにこの詩にある含意は見いだせぬ。「泥」と「怒」さえ用いることができれば、彼女らはそれでよかったのである。まったく、これだから陽キャどもは……。




■弘恭と石顕マジでクソですよ陛下

漢書36 劉向

『詩』云「我心匪石,不可轉也」。言守善篤也。

『詩』云:「憂心悄悄,慍于群小。」小人成群,誠足慍也。


元帝即位直後、外戚が幅をきかせていたり、宦官の弘恭と石顕が朝政を壟断していた。そういった害悪を取り除かねばならぬと、劉邦の弟、劉交の子孫にあたる劉向はどえらく長い上奏をしたためておる。ともにその中の一節である。賢人というのは石のようにコロコロ転がらぬ、すなわち容易くは変節しないものだと語るも、そういった賢人が宮中におらずぐだぐだになっておる、と、更に当詩の「取るに足らぬ小者どもに下らぬ口出しされるのが憂鬱でならぬ」と語るのである。お疲れ様です……しかもその上奏は結局元帝の心には響かなかった。




■トラブル続きの人生だ

漢書100.2 敍傳下

樂昌篤實,不橈不詘,遘閔既多,是用廢黜。


漢書82巻をどういう思いで書いたかを班固が語っておる。楽昌公王商は篤実なお方であり不屈の方でもあったが、「多くのトラブルに見舞われ」廃されてしまい悲しい、と語っておる。




■まことの威儀とは

左伝 襄公31-12

衛詩曰.威儀棣棣.不可選也.言君臣上下.父子兄弟.內外大小.皆有威儀也.周詩曰.朋友攸攝.攝以威儀.言朋友之道.必相教訓.以威儀也.周書數文王之德曰.大國畏其力.小國懷其德.言畏而愛之也.詩云.不識不知.順帝之則.言則而象之也.


襄公がその補佐役と、「真に威儀のある人物とはどのようなものか?」を語り合ったシーンである。補佐役は詩経より三詩の句を挙げて言う。すなわち当詩の「それぞれの地位にはそれぞれの地位なりの威儀がある」ことを踏まえ、大雅既醉の「共に威儀を持って助け合う」ことを語り、そして大雅皇矣の「特に意識するまでもなく天帝の定めたもうた規範に則っている」ような振る舞い、と説く。その間には書経より「大国が恐れ、小国が敬う」ような国の振る舞い、と言う言葉も挟まれている。




■威儀棣棣でありましょう

漢書73 韋賢 子 韋玄成

於肅君子,既令厥德,儀服此恭,棣棣其則。


ルールを守り、厳粛であり、堂々とする。そういったニュアンスを感じ取ることが可能であろう。やや変則的な用いられ方でこそあるが、まぁこの辺りには例によって平仄が関わっておるのであろう(また逃げた)。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C#%E3%80%8A%E6%9F%8F%E8%88%9F%E3%80%8B

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る