◎崔浩コラム⑬ 詩題に寄せられた作為
ごきげんよう。崔浩である。
此度のテーマは、
「詩題に寄せられた作為」である。
作者はカクヨムにて、
詩経と同時に、論語訳を展開した。
ここで論語の編名が、
各編冒頭の二文字を拾う形で
構成されており、
詩経も割とこれに倣っておることに、
謎の霊感を得た、という。
詩経。
この古代中国伝統詩アラカルトは、
上記原則に基本は倣うがために、
おなじタイトルの詩が
いくつも生じておる。
だので篇名のみにて語らば
混乱を招くことが割としょっちゅう、
頻繁にある。
作者はよくキレている。
の割に、
その原則に倣わぬ詩もあるのだ。
巫山戯んな、である。
それなら題名がかぶる詩も
全て同じようにせよ、と申し上げたい。
が、そこはそれ。
大人しく現実を受け入れよう。
では、大人が取るべきスタンスは
何であろうか。
「なんで破んなきゃいけなかったの?」
を、少しでも暴き立てることであろう。
例えば、小雅巧言は本当にひどい。
詩の終盤に差し掛かり、
初めてその語が出る始末である。
他の詩では詩題と主題が
全く噛み合っておらぬクセに、
ここでは主題に合わせようとしてくる。
そこには、何らかの恣意の存在を
邪推せずにおれぬ。
よって、この点を可視化してみた。
今回は、そちらを紹介したく思う。
また、このテーマについては、
過去に論文が発表されている。
野村 和広 『詩經』篇名攷
http://id.nii.ac.jp/1284/00001652/
がそれである。
各詩題考察には、合わせて野村論文よりの
知見も併記させていただく。
○題字が詩中に無い 5首
・雨無正
この詩のキチガイぶりが飛び抜けていた。そもそも何がどうなってこの題になったのかがさっぱりわからぬ。あるいは逸句が絡んでいたのやもしれぬが、ともあれ本題考察については、朱子も大人しくさじを投げている。だめっぽい。一応雰囲気としては、主題であると言えなくもないのだが……。
→野村論文では、一通りの考察を経て、「やはり逸脱句よりの採題なのではないか」という結論に至っておられる。
なお以下「野村論文では」を省略させていただく。
・巷伯
主人公の巷伯が、宮中の讒言者を糾弾する、と言った感じの内容。ただ第一句は「萋兮斐兮」なので、別に萋斐でよくね? とも思えてならぬ。
→通説では詩のテーマよりとなっておるが、詩中にある「凡百」句が「衖百」を経て巷伯に至ったのでは、という仮説が提示されていた。「衖」と「巷」は古字では同じ字であった、とのことである。
・酌&賚&般
三詩とも頌にカテゴライズされておる、短き詩。どちらも詩のテーマから取り出してきたと言うが、いや別に一句目から拾い上げりゃええやんという印象しかせぬ。
→酌は詩中にある「鑠」の借字とされる。
→賚は「労」字に通じ、これはさらに詩中に登場する「勤」字に通じる。
→般は「凡」字に通じ、同詩が神降ろしの内容であることを受け、神降ろし的な意味合いのある「凡」をはじめ用いていたところ意味の通じる字が充てられたのではないか、と仮説されている。
○1文字がない 2首
・常武
巷伯と同じく、実質テーマをタイトルに据えたのでは、とされる。しかしこの詩のテーマとなっているのは周の宣王であり、つまり「はじめの武威は盛んだったが後半になると阻喪した」。そういう王を語るにあたって「常」の武とは、随分激烈な皮肉を持って題をつけるものだ。
→「常」字は平定を意味する「夷」字に通じ、これはまた同詩中にある「方」が意味してくることから、「夷」を通じ「常」に行き着いたのでは、とされている。
・小毖
予其懲 而
成王が小さなことをつつしんで後々に大きな禍が来るのを避けた、とされる歌。これも詩の主題を取り上げた、と言えるのかもしれぬのだが、別に予懲とかでよくね? と思わざるを得ぬ。
→「小」が冠せられているのは、当詩が閔予「小」子之什に属するからではないか、と推測がなされている。
○1句目で題が完成 283首
圧倒的多数。むしろなぜ例外が存在するのか。
○2句目で題が完成 5首
潛 猗與漆沮
褰裳 子惠思我
宛丘 子之湯兮
長發 濬哲維商
渭陽 我送舅氏 曰至
主題であるとか、地名であるとかを引っ張り出すためにあえて一句目を避けている印象がある。のだが、他詩で散々詩題をかぶせているのに、あえてここで二句目を用いなければならぬ理由もよくわからぬ。
○3句目で題が完成 2首
・騶虞
彼茁者葭 壹發五豝 于嗟乎
これはある意味仕方がないのかもしれぬな。さすがに騶虞なるザ・吉兆な言葉は題に載せねばおかしかろう。
・庭燎
夜如何其 夜未央
夜如何其のほうが詩情が高まって良いのではないか、とも思うのだが、先に庭を照らす明かりが取り上げられている、というのも、それはそれで情景がよりくっきりと浮かび上がる気はせぬでもない。
○4句目で題が完成 1首
・桓
綏萬邦 婁豐年 天命匪解
いや確かに武王が「桓々」(見事に武威が示されている)たるものだってのはアピールポイントだと思うのだが、綏萬邦で十分インパクトが有るのではないか?????
・韓奕
有倬其道
奕ではいかんのか……? まぁただ、これも宣王が韓公に異民族討伐を叙任したことを称える詩のようであるから、「韓國之奕」と毛詩正義が解説してるのも、……いや、特別扱いする必要がわからぬな?
○5句目で題が完成 2首
・漢廣
南有喬木 不可休息
漢之
だいぶイレギュラー。他の詩であれば普通に「南有喬木」とされようにな。実際小雅には「南~」シリーズがあるではないか。漢水が広いことは、それほどまでにアピールされなければならないことだったのであろうか。
・桑中
爰采唐矣 沬之鄉矣
云誰之思 美孟姜矣
期我乎
国風の場合、もしやしたら「伝統的にそういう題で呼ばれてた」ことも考慮に入れると良いのやもしれぬな。特にこの詩は「桑畑の中でオセッッセセ」的な内容であるし、歌う人々も「あぁ、桑中の歌ねw」みたいなノリで言いそうな気もしないではない。
・權輿
於我乎 夏屋渠渠 今也每食無餘
于嗟乎 不承
確かに当詩において一番ウェイトが重いのは「權輿」である。実際、この句を多くの後世人が「はじまり」の雅語として用いていることを思えば、題に採用するのもわからなくはない、のだが、他詩にもそのパターンはいくらでもあろうにな……「夏渠」ではだめだったのであろうかな。
○9句目で題が完成 1首
・大東
有饛簋飧 有捄棘匕
周道如砥 其直如矢
君子所履 小人所視
睠言顧之 澘焉出涕
小東
中途半端なところから取られすぎて意味がわからぬ。これも「簋飧」でいいのではないか? これがあえて大東とつけられた経緯には、それなりに物語がありそうな気もせぬではないのだがな。
○31句目で題が完成
・巧言
悠悠昊天 曰父母且
…
これについては、正直笑った。論語には「巧言令色鮮し仁」なる言葉があるが、そちらは何故か2回登場する。そして当詩では、詩経の題名付与の法則からあまりにも外れまくった感じで「巧言」を用いる。どれだけ巧言を憎んでおるのだ。
○36句目で題が完成 1首
・召旻
…
昔先王受命,有如
あえて召公を詩の終盤から引っ張り上げてくるという暴挙。ところで「旻」は秋の空を意味するわけで、それを召公にくっつけてしまうと、言ってみれば「召公の黄昏」みたいな意味合いになってはこぬか……?
以上である。
詩経は樹の誕生以前に歌われていたもの。それをいかに儒の枠組みに当てはめんとするか、その思索の跡を見た気がする。それにしてもイレギュラーたちのイレギュラーっぷりが著しくて良いな。
○スペシャルサンクス1
本コラムは Wikipedia 「詩経」を編集なされた gynaecocracy 氏とさせていただいたやり取りを経て着想を得たものである。氏が編集された詩経についての記述は自分が「知りたいのにわからない!」と呻いていたようなところを的確に拾って紹介してくださり、これまで得た知見の整理と、合わせて未知の領域についての勉強をさせて頂いた。ありがとうございます。
○スペシャルサンクス2
『詩經』篇名攷については、本コラムを公開したところ、さる筋よりご紹介頂いた。そちらを拝見したところ、本コラムでやってみたいと思ったがきついと思って足踏みしたところ、また独力では全く考察の及ばなかったところにまで考察が届いていたため、大いに勉強させて頂いた。ご紹介くださり、ありがとうございます。
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