大雅(たいが)
文王之什(ぶんおうのじゅう)
文王(引用265:周文王を称える)
文王は、天上に在す。
天上にて、その徳をあらわされる。
周は夏以来の国ではあったが、
その天命を新たとされた。
いまだ周に天命おりず、
天帝が文王に命を下されておらぬ時、
文王は天に登り、あるいは現世に降り、
常に天帝のお側にあらせられた。
勤勉なる文王は、
良き評判に事欠かぬ。
仁政を敷き、周をお始めになった。
それは皆、文王の子孫。
文王の子孫は、本家も分家も、
百世に渡って続く。
また周に仕える者たちも、
どうして世に顕れぬことがあろう。
群臣もまた周の王室を助け、
その徳を明らかとしている。
多くの素晴らしき臣下が、
周の国に生まれた。
そんな彼らが、周の礎となる。
なんと多きことか、ゆえにこそ
文王は安らがれたのである。
深遠なる徳を懐かれる、文王。
その徳はまばゆきことこの上なし。
万事を重んじ、慎まれる。
天命が文王のもとに下ったため、
殷に仕えていた者たちは
文王の子孫に従った。
その数は一億ではきかぬのだが、
それだけの民を、しかし上帝が
みな周に帰服させた。
人々が周に帰服したのは、
つまり天命が一定のものではない、
と示すに他ならぬ。
殷の臣下のうちで優れた者たちも、
今や周の都で周室を祀っている。
ただし、その祀り方は殷以来の手法。
彼らの先祖が殷に仕えたのならば、
殷式で祀るべきであろう。
王の忠臣らよ、文王を忘れるなかれ。
周の祖のことを思わずにおれようか。
その徳を思わずにおれようか。
この地に下された永の天命に従い、
最大限の努力をなし、
天よりの福を受けるようにせよ。
殷がいまだ天命にあずかっていた時、
よく天帝のみ心に叶っていた。
その殷が、最後にはどうなったか。
よく鑑みねばならぬ。
天命とは容易く保てるものではない。
容易く保てぬ、その天命。
そなたで手放すなどなきようにせよ。
文王のお言葉によく従い、
また殷が天命に従えていた頃の
振る舞いをよく検討せよ。
ただし、天帝は直接の言葉を下されぬ。
その気配すら辿れぬものである。
故に、文王のなさりように従うのだ。
さすればすべての国が従おう。
○大雅 文王
でた。作者は言う。「詩経のラスボスだ……」と。なにせご覧いただきたい、未知の引用数である。なにぶん詩経というのは周の偉大さを称えるものであるから、当然周の天命を得た文王、すなわち開祖である武王の父を讃える詩ともなれば、最も重要な詩となるわけである。その重要度が、この引用数によく現れておろう。なお作者は一通りピックアップし、気が遠くなった後爆笑した。
■「維新」と「惟新」
いわゆる明治維新などで使われる、「天命が改まり、新たな世が始まった」と宣言するにあたって用いられる言葉である。当然のようにクッソ多い。それは無論覚悟しておったのだが、何故か二種類の表記がある。巫山戯るな。そしてこの二種類、なぜ使い分けられておるのかもよくわからぬ。あるいは「維」字を諱まねばならぬ理由があったのやも知れぬが。
○維新
・晋書5 評
仁以厚下,儉以足用,和而不弛,寬而能斷,故民詠維新,四海悅勸矣。
・晋書5 評
至於王季,能貊其德音;至于文王,而維新其命。
・晋書34 羊祜
今王道維新,豈可不大判臧否,謂廣陵國宜在削除。
・晋書36 張華
今陛下更日月之光,布維新之命,然此等諸族未蒙恩理。
・晋書55 夏侯湛
身不及於人,不敢墮於勤,厥故維新。
・宋書8 明帝
業業矜矜,若履冰谷,思與億兆,同此維新。
・宋書12 律曆中
方今皇猷載暉,舊域光被,誠應綜覈晷度,以播維新
・宋書14 禮一
庶可以顯祖考大造之基,崇有魏維新之命。
・魏書9
今天正斯始,陽煦將開,品物初萌,宜變耳目,所謂魏雖舊邦,其曆維新者也。
・魏書52
用能重離襲曜,魏鼎維新。
○惟新
・後漢48 応劭
今大駕東邁,巡省許都,拔出險難,其命惟新。
・後漢54 楊彪
彪備漢三公,遭世傾亂,不能有所補益。耄年被病,豈可讚惟新之朝?
・三國志2 曹丕
金根黃屋,翠葆龍鱗,紼冕崇麗,衡紞惟新,尊肅禮容,矚之若神。
・晋書6 司馬紹
大事初定,其命惟新。
・晋書10 司馬徳文
方憑阿衡,惟新洪業,而遘疾大漸,將遂弗興。
・晋書20 礼中
此『國風』所以思古,『小雅』所以悲歎。當今九服漸甯,王化惟新,誠宜崇明禮訓,以一風俗。
・晋書22 楽上
天祚有晉,其命惟新。
・晋書22 楽上
蠻裔重譯,玄齒文身。我皇撫之,景命惟新。
・晋書23 楽下
宜下太常,纂備雅樂,
・晋書30 刑法
今大駕東邁,巡省許都,拔出險難,其命惟新。
・晋書30 刑法
今中興祚隆,大命惟新,誠宜設寬法以育人。
・晋書31 左貴嬪
翼翼聖皇,叡喆孔純。愍茲狂戾,闡惠播仁。蠲釁滌穢,與時惟新。
・晋書40 賈充
朝之賢良欲進忠規獻替者,皆幸充此舉,望隆惟新之化。
・晋書60 解系
陛下更日月之光照,布惟新之明命,然此等未蒙恩理。
・晋書73 庾亮
陛下踐阼,聖政惟新,宰輔賢明,庶僚咸允,康哉之歌,實存於至公。
・晋書78 孔愉
乾符啟再集之慶,中興應靈期之會,百六之艱既過,惟新之美日隆。
・晋書86 張重華
今聖上統承大位,百揆惟新,宜在璿璣玉衡以齊七政。
・晋書91 儒林序
而荀顗以制度贊惟新,鄭沖以儒宗登保傅,茂先以博物參朝政,子真以好禮居秩宗,雖愧明揚,亦非遐棄。
・晋書98 王敦
帝王體遠,事義不同,雖皇極初建,道教方闡,惟新之美,猶有所闕
・晋書98 王敦
臣以暗蔽,豫奉徽猷,是以遐邇望風,有識自竭,王業遂隆,惟新克建,四海延頸,咸望太平。
・晋書110 慕容儁
謹案『戊辰詔書』,蕩清瑕穢,與天下更始,以明惟新之慶。
・晋書127 慕容徳
如使後機失會,豪桀復起,梟除桓玄,布惟新之化,遐邇既寧,物無異望,非但建鄴難屠,江北亦不可冀。
・宋書2 武帝中
百工歌於朝,庶民頌于野,億兆抃踊,傾佇惟新。
・宋書3 武帝下
今王道惟新,政和法簡,可一除之,還遵舊條。
・宋書6 孝武帝
朕雖寡德,終膺鴻慶。惟新之祉,實深百王
・宋書8 明帝
朕戡亂寧民,屬膺景祚。鴻制初造,革道惟新。
・宋書9 後廢帝
今開元肆宥,萬品惟新,凡茲流斥,宜均弘洗。
・宋書16 礼三
周公宗祀文王,漢明配以世祖,自非惟新之考,孰配上帝。
・宋書16 礼三
愚謂理運惟新,於是乎始。宜用四月。
・宋書19 楽一
宜下太常,纂備雅樂,簫韶九成,惟新於盛運
・宋書20 楽二
天祚有晉,其命惟新。受終于魏,奄有兆民。
・宋書20 楽二
蠻裔重譯,玄齒文身。我皇撫之,景命惟新。
・宋書20 楽二
兆我區夏,宣文是基。大業惟新,我皇隆之。
・宋書20 楽二
合氣成和,蒼生欣戴。三靈恊瑞,惟新皇代。
・宋書42 劉穆之
今理運惟新,蕃屏並肇,感事懷人,實深悽悼。
・宋書42 王弘
今皇化惟新,四方無事,役召之宜,應存乎消息。
・宋書44 謝晦
逮營陽失德,自絕宗廟,朝野岌岌,憂及禍難,忠謀協契,徇國忘己,援登聖朝,惟新皇祚。
・宋書60 范泰
今惟新告始,盛業初基,天下改觀,有志景慕。
・宋書60 范泰
正改律,品物惟新。陛下藉日新以畜德,仰乾元以履祚,吉祥集室,百福來庭。
・宋書60 王韶之
方今聖化惟新,崇本棄末,一切之令,宜加詳改。愚
・宋書60 荀伯子
今王道惟新,豈可不大判臧否,謂廣陵之國,宜在削除。
・宋書63 王華
今舊命惟新,幽人引領,韶之盡美,已備於振綱
・宋書69 范曄
雖犲狼即戮,王道惟新,而普天無主,羣萌莫係。
・宋書75 王僧達
若樞任重司,藩扞要鎮,治亂攸寄,動靜所歸,百度惟新,或可因而弗革,事在適宜,無或定其出處。
・宋書75 顔竣
方今中興開運,聖化惟新,雖復偃甲銷戈,而倉庫未實,公私所乏,唯錢而已。
・宋書79 文五王
於號諱之辰,遽甘滋之品,當惟新之始,絕苞苴之貢,忠孝兩忘,敬愛俱盡。
・宋書79 文五王
陛下繼明升運,咸與惟新,大德方臨,哀矜未及。
・宋書84 袁顗
吾等獲免刀鋸,僅全首領,復身奉惟新,命承亨運,緩帶談笑,擊壤聖世。
・宋書87 殷琰
且朝廷方宣示大義,惟新王道,何容摽虛辭於士女,失國信於一州。
・宋書91 潘綜
羣臣競薦,舊章惟新。
・宋書93 王弘之
聖明司契,載德惟新,垂鑑仄微,表揚隱介,默語仰風,荒遐傾首。
・宋書97 高句麗
惟新告始,宜荷國休,璉可征東大將軍,映可鎮東大將軍。
・魏書7 元宏上
朕承太平之運,屬千載之期,思光洪緒,惟新庶績
・魏書7 元宏上
朕屬百年之期,當後仁之政,思易質舊,式昭惟新。
・魏書7 元宏上
變法改度,宜為更始,其大赦天下,與之惟新。
・魏書8 元恪
今始覽政務,義協惟新,思使四方風從率善,可分遣大使,黜陟幽明。
・魏書8 元恪
先皇定鼎舊都,惟新魏曆,翦掃榛荒,創茲雲構,鴻功茂績,規模長遠。
・魏書11 元脩
今理運惟新,哀矜伊始,如有孤老、疾病、無所依歸者,有司明加隱括,依格賑贍。
・魏書11 元脩
魏邦雖舊,其化惟新,思與兆民,同茲更始。
・魏書12 元善見
高祖孝文皇帝式觀乾象,俯協人謀,發自武州,來幸嵩縣,魏雖舊國,其命惟新。
・魏書16 拓跋曜
時革變之始,百度惟新,鑒上遵高祖之旨,下釆齊之舊風,軌制粲然,皆合規矩。
・魏書24 崔宏
國家雖統北方廣漠之土,逮于陛下,應運龍飛,雖曰舊邦,受命惟新,是以登國之初,改代曰魏。
・魏書24 崔僧淵
遂乃開獨悟之明,尋先王之迹,安遷靈荒,兆變帝基,惟新中壤,宅臨伊域。
・魏書35 崔浩
太宗承統,光隆前緒,釐正刑典,大業惟新。
・魏書36 李順
太宗承統,王業惟新。
・魏書36 李騫
逢軒教之方洽,遇周命之惟新。
・魏書48 高允
申祖宗之遺志,興周禮之絕業,爰發德音,惟新文教。
・魏書56 鄭道昭
今者乘休平之基,開無疆之祚,定鼎伊瀍,惟新寶曆,九服感至德之和,四垠懷擊壤之慶。
・魏書59 劉昶
陛下光宅中區,惟新朝典,刊正九流,為不朽之法,豈唯髣像唐虞,固以有高三代。
・魏書60 韓麒麟
竊惟新人未階朝宦,州郡局任甚少,沉塞者多,願言冠冕,輕為去就。
・魏書60 韓顕宗
遭聖明之世,覩惟新之禮,染翰勒素,實錄時事,亦未慚於後人。
・魏書62 李彪
生生得所,事事惟新,巍巍乎猶造物之曲成也。
・魏書62 高道悦
當今景御休明,惟新式度,裁禮調風,軌物寰宇,竊惟斯舉,或損洪猷,深失溥天順則之望。
・魏書67 崔光
伏願陛下追殷二宗感變之意,側躬聳誠,惟新聖道,節夜飲之忻,強朝御之膳,養方富之年,保金玉之性
・魏書67 崔鴻
建格天之功,創不世之法,開鑿生民,惟新大造。
・魏書71 裴叔業
真度答書,盛陳朝廷風化惟新之美,知卿非無款心,自不能早決捨南耳。
・魏書77 羊深
陛下中興纂曆,理運惟新,方隅稍康,實惟文德。
・魏書77 高謙之
伏願少垂覽察,略加推採,使朝章重舉,軍威更振,海內起惟新之歌,天下見復禹之績,則臣奏之後,笑入下泉。
・魏書78 張普恵
聞復高祖舊典,所以忻惟新;俱可復而不復,所以戰違法。
・魏書107.2 律暦
功成治定,禮樂惟新,以履端歸餘,術數未盡
・魏書108.1 礼一
若以七廟惟新,明堂初制,配饗之儀,備於京邑者,便應罷壞,輟其常祭。
・魏書108.2 礼二
高祖孝文皇帝大聖膺期,惟新魏道,刑措勝殘,功同天地,宜配明堂。
・魏書108.4 礼四
今中原兆建,百禮惟新,而有此三失,殊以愧歎。
・魏書109 楽
高祖孝文皇帝承太平之緒,纂無為之運,帝圖既遠,王度惟新。
・魏書109 楽
及主上龍飛載造,景命惟新,書軌自同,典刑罔二
・魏書110 食貨
纖文麗質,若化若神,皇王御之,百福惟新。
・世説傷逝 17
孝武山陵夕,王孝伯入臨,告其諸弟曰:「雖榱桷惟新,便自有黍離之哀!」
■帝の左右に
天帝のそばに仕えている文王を称える言葉。……なのだが、割と「帝のそばで好き勝手をぶち決めるクソども」というニュアンスでも用いられる。このあたりは「お前らは文王とは違ってクソだな!」といった雰囲気を拾うべきなのであろうな。拾い上げられる限りで見れば、ポジティブ表現とネガティブ表現で2:3。ややネガティブのほうが優勢か。
・左伝 襄公30-10
詩曰.文王陟降.在帝左右.信之謂也.又曰.淑慎爾止.無載爾偽.不信之謂也.
・後漢書81 劉翊
拂召翊問曰:「程氏貴盛,在帝左右,不聽則恐見怨,與之則奪民利,為之奈何?」
・後漢書103 五行一
時中常侍單超、左悺、徐璜、具瑗、唐衡在帝左右,縱其姦慝。
・魏書1 拓跋什翼犍
閼頭之叛,悉勿祈兄弟十二人在帝左右,盡遣歸,欲其自相猜離
・世説新語 言語53
「穉恭上扇,以好不以新。」庾後聞之曰:「此人宜在帝左右。」
■亹亹、それは勤勉さ
この単語とセットで穆穆もよく上がるのだが、そちらは詩経中の所々で見かけるためカットする(というより爆発が確実視されるため取り扱いたくない)。「亹亹」自体は易経繫辭伝にも見られる語ではあるのだが、史書が政治にまつわることを記す以上、当詩よりの引用であるとみなすほうが良いのであろう。また史記2巻は夏の始祖、禹の記事。禹王伝説がいつ頃に作られたかにもよるが、かなり古い発祥語であるのは間違いなかろう。
・史記2 夏
聲爲律,身爲度,稱以出;亹亹穆穆,爲綱爲紀。
・漢書30 兿文
定天下之吉凶,成天下之亹亹者,莫善於蓍龜。
・漢書45 張敞
今陛下遊意於太平,勞精於政事,亹亹不舍晝夜。群臣有司宜各竭力致身。
・漢書100.2 敍傳下
兒生亹亹,束髮修學,偕列名臣,從政輔治。
・後漢40.2 評
贍而不穢,詳而有體,使讀之者亹亹而不猒,信哉其能成名也。
・後漢59 張衡
時亹亹而代序兮,疇可與乎比伉?
・三國志63 評
亹亹成於蓍策,变化形乎六爻,是以三易虽殊,卦繇理一
・三國志42 郤正
士無虛華之寵,民有一行之跡,粲乎亹亹,尚此忠益。
・晋書22 楽上
亹亹翼翼,樂不及荒,饑不遑食。
亹亹文皇,邁德流仁。
亹亹我皇,配天垂光。
・晋書23 楽下
亹亹神算,赫赫王旅。
亹亹心化,日用不言。
・晋書55 潘尼
亹亹顏生,好學無違。
・晋書79 謝安
・世説 賞譽76
既去,蒙子修曰:「向客何如大人?」蒙曰:「此客亹亹,為來逼人。」
・宋書14 礼一
帝典之闕者未補,亹亹之德不著,亦惡可已乎。
・宋書14 礼一
亹亹玄緒,翳焉莫抽,臣所以遠尋伏念,寤寐永歎者也。
・宋書20 楽二
亹亹神算,赫赫王旅。
・宋書93 陶潛
亹亹丞相,允迪前蹤。
・宋書93 雷次宗
成夫亹亹之業,樂以忘憂,不知朝日之晏矣。
・魏書48 高允
亹亹盧生,量遠思純,鑽道據德,遊藝依仁。
・魏書62 李彪
臣聞昔之哲王,莫不亹亹孜孜,思納讜言,以康黎庶。
・世説 品藻67
然亹亹論辯,恐口欲制支。
■陳錫載周
この言葉の引用は左伝にのみあった。これは鉄器の鍛造と比較ができるとよいのであろうか。
・左伝 宣公15-7
故詩曰.陳錫哉周.能施也.率是道也.其何不濟.
・左伝 昭公10-4
詩云.陳錫載周.能施也.桓公是以霸.公與桓子莒之旁邑.辭.穆孟姬為之請高唐.陳氏始大.
■本支百世
王室及び王室を支える者たちの子孫繁栄が歌われる。割と一般句的でもあるのだが、さすがに用いられるシチュエーションが限定されておるのはやむをえぬところなのであろうな。
・漢書15 王子侯表
自是支庶畢侯矣。詩云「文王孫子,本支百世」,信矣哉!
・後漢書49 王符
五世之臣,以道事君,澤及草木,仁被率土,是以福祚流衍,本支百世。
・後漢書105 五行三
追觀往法,政皆神道設教,強幹弱枝,本支百世之要也。
・三国志32 劉備
伏惟大王出自孝景皇帝中山靖王之冑,本支百世
・晋書37 評
諸父同虞虢之尊,兄弟受魯衛之祉,以為曆紀長久,本支百世。
■諸侯の継承権は嫡子に有り
魏書108.4 礼四
尚書曰:『世選爾勞,予不絕爾善。』詩云:『惟周之士,不顯弈世。』論語曰:『興滅國,繼絕世。』國謂諸侯,世謂卿大夫也。
宣武帝元恪の時代の諸侯の爵位継承権にまつわる議論に於いて引用されておる。全体のニュアンスとしては、きっちりと嫡男が家を継承するために、当詩にいう「周の家臣が世に現れぬことがあろうか」という状態が現出する、と主張しておるようである。
■思皇多士,生此王國
帝が家臣らのことを思うからこそ、良き臣下が国に生まれるのだ、という句。どちらもときの漢帝に対し「家臣をよく思われよ」的に語られる文脈で、良き家臣の実例を交えつつ説かれている。
・漢書64.2 王褒
蟋蟀俟秋吟,蜉蝤出以陰。『易』曰:「飛龍在天,利見大人。」『詩』曰:「思皇多士,生此王國。」
・後漢書53 徐稺
臣聞善人天地之紀,政之所由也。詩云:『思皇多士,生此王國。』
■緝熙
完全に「皇帝の威厳の光り輝くさま」の慣用句である。そして史書とは基本的に皇帝の権威を称える書であるから、それはもう援用が爆発するわけである。
・漢書64.2 終軍
改定告元,苴以白茅於江淮,發嘉號于營丘,以應緝熙,使著事者有紀焉。
・漢書87.1 揚雄上
隃於穆之緝熙兮,過清廟之雝雝;
・漢書87.2 揚雄下
『典』『謨』之篇,『雅』『頌』之聲,不溫純深潤,則不足揚鴻烈而章緝熙。
・後漢書3 章帝
朕聞明君之德,啟迪鴻化,緝熙康乂,光照六幽,訖惟人面,靡不率俾,仁風翔於海表,威霆行乎鬼區。
・後漢書40.2 班固
臨辟雍,揚緝熙,宣皇風,登靈台,考休征。
・後漢書40.2 班固
普天率土,各以其職;猗與緝熙,允懷多福。
・後漢書40.2 班固
先孕虞育夏,甄殷陶周,然後宣二祖之重光,襲四宗之緝熙。
・後漢書60.2 蔡邕
三代之隆,亦有緝熙,五伯扶微,勤而撫之。
・三国志11 王烈
若繼二祖招賢故典,賔禮儁邁,以廣緝熙,濟濟之化,侔於前代。
・三国志13 王朗
國無怨曠,戶口滋息,民充兵彊,而寇戎不賔,緝熙不足,未之有也。
・三国志19 曹植
宣緝熙章明之德者,是臣慺慺之誠,竊所獨守,實懷鶴立企佇之心。
・三国志40 彭羕
此乃帝王之所以倡業垂統,緝熙厥功也。
・晋書3 司馬炎
考景王,履道宣猷,緝熙諸夏。
・晋書6 司馬睿
景、文皇帝奕世重光,緝熙諸夏。
・晋書10 司馬徳宗
不能緝熙遐邇,式遏姦宄。
・晋書22 樂上
宣文惟後,克配彼天。撫甯四海,保有康年。於乎緝熙,肆用靖民。
・晋書22 樂上
光緝熙,美聖哲。超百代,揚休烈。流景祚,顯萬世。
・晋書31 武元楊皇后
緝熙陰教,德聲顯揚。昔我先妣,暉曜休光。
・晋書32 康獻褚皇后
皇帝婚冠禮備,遐邇宅心,宜當陽親覽,緝熙惟始。
・晋書33 鄭沖
朕昧於政道,庶事未康,挹仰耆訓,導揚厥蒙,庶賴顯德,緝熙有成。
・晋書55 潘尼
今我皇儲,齊聖通理。緝熙重光,于穆不已。于穆伊何?思文哲後。
・晋書55 潘協
南箕之風不能暢其化,離畢之雲無以豐其澤。皇道昭煥,帝載緝熙。
・晋書68 紀瞻
昔唐虞垂五刑之教,周公明四罪之制,故世歎清問而時歌緝熙。
・晋書70 應詹
若蒙銓召,付以列曹,必能協隆鼎味,緝熙庶績者也。
・晋書73 庾冰
上不能光贊聖猷,下不能緝熙政道,而陛下遇之過分,求之不已
・晋書76 王彪之
雖緝熙之隆、康哉之歌未可,使庶官之選差清,蒞職之日差久,無奉祿之虛費,簡吏寺之煩役矣。
・晋書92 袁宏
文德之與武功,莫不宗匠陶鈞而群才緝熙,元首經略而股肱肆力。
・晋書92 袁宏
綢繆哲後,無妄惟時。夙夜匪懈,義在緝熙。
・晋書129 且渠蒙遜
設官分職,所以經國濟時;恪動官次,所以緝熙庶政。
・宋書14 禮一
非演迪斯文,緝熙宏猷,將何以光贊時邕,克隆盛化哉。
・宋書20 樂二
於乎緝熙,肆用靖民。
・宋書20 樂二
惟祖惟宗,高朗緝熙。對越在天,駿惠在茲。聿求厥成,我皇崇之。式固其猶,徃敬用治。
・宋書20 樂二
開宇宙,埽四裔。光緝熙,美聖哲。
・宋書20 樂二
明明大宋,緝熙皇道。則天垂化,光定天保。
・宋書42 王弘
上缺皇朝緝熙之美,下增官謗覆折之災。
・宋書42 王弘
超踰先典,居中贊契,豈所以憲章古式,緝熙治道?
・魏書4.1 拓跋燾
朕除偽平暴,征討累年,思得英賢,緝熙治道,故詔州郡搜揚隱逸,進舉賢俊。
・魏書5 拓跋濬
朕承洪緒,統御萬國,垂拱南面,委政羣司,欲緝熙治道,以致寧一。
・魏書7.1 元宏
朕猥承前緒,纂戎洪烈,思隆先志,緝熙政道。
・魏書52 段承根
弼我王度,庶績緝熙。
・魏書54 高閭
唐政緝熙,康哉垂篇。
・魏書78 孫紹
臣聞文質互用,治道以之緝熙;洿隆得時,人物以之通濟。
■多士済々とはよく聞くが
まさかこの言葉が当詩由来とは思いもよらなんだ。いや、同じく周頌清廟や魯頌泮水にも同じ句は見えておるのだが、二詩はほぼ語源とはされておらぬ。まぁ、確かに元ネタとして引き合いに出すにあたり、格調高さが桁違いであるからな。
・左伝 成公2-9
詩曰.濟濟多士.文王以寧.夫文王猶用眾.況吾儕乎.
・漢書51 賈山
其德則賢於堯舜,課其功則賢於湯武,天下已潰而莫之告也。詩曰:「匪言不能,胡此畏忌,聽言則對,譖言則退。」此之謂也。又曰:「濟濟多士,文王以寧。」
・漢書64.2 王褒
『詩』云「濟濟多士,文王以寧」,蓋信乎其以寧也!
・漢書65 東方朔
若此易見,而君人者莫肯為也,臣愚竊以為過。故『詩』云:「王國克生,惟周之楨,濟濟多士,文王以寧。」此之謂也。
・漢書67 梅福
士者,國之重器;得士則重,失士則輕。詩云:「濟濟多士,文王以寧。」
・漢書72 王吉
『詩』云:「濟濟多士,文王以寧。」此其本也。
・漢書75 李尋
馬不伏歷,不可以趨道;士不素養,不可以重國。『詩』曰「濟濟多士,文王以寧」,孔子曰「十室之邑,必有忠信」,非虛言也。
・漢書87.1
樂往昔之遺風兮,喜虞氏之所耕。瞰帝唐之嵩高兮,眽隆周之大寧。(顔注 大寧者,詩大雅云『濟濟多士,文王以寧』。)
・後漢書5 安帝
蓋為政之本,莫若得人,褒賢顯善,聖制所先。「濟濟多士,文王以寧」。思得忠良正直之臣,以輔不逮。
・後漢書26 伏湛
臣聞唐、虞以股肱康,文王以多士寧,是故『詩』稱「濟濟」。
・後漢書40.2 班固下
遊俠踰侈,犯義侵禮,孰與同履法度,翼翼濟濟也?(楊注 詩曰:「濟濟多士。」)
・後漢書40.2 班固下
昔姬有素雉、朱烏、玄秬、黃咛之事耳,君臣動色,左右相趨,濟濟翼翼,峨峨如也
後漢書60.2 蔡邕
君臣穆穆,守之以平,濟濟多士,端委縉綎,鴻漸盈階,振鷺充庭
・晋書23 樂下
・宋書22 楽四
仁配春日,威逾秋霜。濟濟多士,同茲蘭芳。唐虞至治,四凶滔天。
・晋書43 山簡
唐、虞之盛,元愷登庸;周室之隆,濟濟多士。秦、漢已來,風雅漸喪。
・晋書75 王嶠
敦將殺周顗、戴若思,嶠於坐諫曰:「濟濟多士,交王以寧。安可戮諸名士,以自全生!」
・晋書112 苻生
王猛、硃肜之倫,相望于岩穀。濟濟多士,焉可罄言!
・魏書65 李諧
愚謂周稱十人,本舉佐命,至於『濟濟多士』,實是文王之詩。
・世説新語 序
又班班載諸册簡,是可非之者哉?『詩』不云乎「濟濟多士,文王以寧」。
■諸侯は無条件で王に従うわけじゃねー
侯服于周,天命靡常は、天命とは常に安泰を約束するものではないから、諸侯が周に帰服しているのも、王が徳を失えばそれまでである、と語っている。故に王莽は簒奪後にその言葉をもと漢帝の孺子嬰に投げかけておるし、段灼はこのまま安穏としておれば晋の国は揺らぐ、と武帝に諫言をなしておる。そして宋書90巻は明帝の息子たち、すなわち亡国に直撃した皇子たちである。侯服于周を実現できるのは王の努めゆえであり、また幸いなのである。
・漢書99.2 王莽中
詩不云乎?『侯服于周,天命靡常。』封爾為定安公,永為新室賓。
・晋書48 段灼
夫天下者,蓋亦天下之天下,非一人之天下也。「殷商之旅,其會如林,矢於牧野,維予侯興。」又曰:「侯服于周,天命靡常。」
・宋書90 評
太宗負螟之慶,事非己出,枝葉不茂,豈能庇其本根。侯服于周,斯為幸矣。
■膚敏=見目麗しき名士
殷士膚敏、で、見目麗しく、有能な旧国の名士、といった意味合いになる。そしてその句が示すのは「王が偉大であれば、旧国の名士とて新しき国のために働いてくれる」である。劉向が持ち出しているのは孟子に見えるエピソード。また班固が漢書ラストで漢書に登場する各人物を称える歌の中に現れるのは、雋不疑という人物の志高さの称賛としてである。こちらには「前朝の旧臣」的ニュアンスは感ぜられず、ただその有能さが讃えられる感じになっている。
・漢書36 劉向
王者必通三統,明天命所授者博,非獨一姓也。孔子論詩,至於「殷士膚敏,祼將于京」
・漢書100.2 敍傳下
不疑膚敏,應變當理,辭霍不婚,逡遁致仕。
■無念爾祖
詩経解釈では「文王の徳を思い返すようにせよ」としてあるが、引用上では「おのが祖先を思い、自らの徳を修めよ」という形で用いられておる。士大夫としてまずやるべきこと、がこの二句に集約されている印象はある。なので春秋の引用は「これをやってるやつはやばい」であるし、劉宇に対して皇帝は「まずここちゃんとせーや」と叱る。匡衡は「陛下この辺ちゃんとやりましょうよ」であるしな。ただ桓氏はやや趣が違い、「先祖代々、女は貞順であれと言われてきました。私は亡き夫への操を示すために耳を切り落とし、この身を不具にすることで再婚できぬ体としたのです」と語るための根拠として当句を引いている。れ、烈女すぎる……。
・左伝 文公2-2
秦師又至,將必辟之。懼而增德,不可當也。『詩』曰:『毋念爾祖,聿脩厥德。』孟明念之矣。
・左伝 昭公23-10
詩曰.無念爾祖.聿脩厥德.無亦監乎.
・漢書80 東平思王宇
『詩』不雲乎?『毋念爾祖,述修厥德,永言配命,自求多福』。
・漢書81 匡衡
願陛下詳覽統業之事,留神於遵制揚功,以定群下之心。『大雅』曰:「無念爾祖,聿修厥德。」
・後漢書84 劉長卿妻桓氏
『詩』云:『無忝爾祖,聿脩厥德。』是以豫自刑翦,以明我情。
■永言配命
毋念爾祖,述修厥德,永言配命,自求多福の四句は、よほど使い勝手が良いようである。このうち永言配命については、どちらかと言えば詩歌で用いられることが多いようであるが。「長らくの天命に従え」が大意。
・左伝 昭公28-7
其命賈辛也.以為忠.詩曰.永言配命.自求多福.忠也.
・宋書20 楽
鑠矣皇祖,帝度其心。永言配命,播茲徽音。思我茂猷,如玉如金。駿奔在陛,是鑑是歆。
・宋書20 楽
凝庶績,臻太康。申繁祉,胤無疆。本枝百世,繼緒不忘。繼緒不忘,休有烈光。永言配命,惟晉之祥。
■自求多福
「おのずから多福を求めよ」とは、二十一世紀的観点から申せは自己実現のための取り組み、となろうか。無論それがそのまま史書記述中に合致すると思ってはならぬのであろうが。一通りの引用を見てみると、なんだかんだで個人の自己実現的内容もあるが、ニュアンスとして「コミュニティの成員としての自分」の幸福、という意味合いも強かった。何れにせよ「自身の幸福」というテーマは、なんだかんだで根強いのだな、と実感した次第である。
・左伝 桓公6-6
『詩』云:『自求多福。』在我而已,大國何為?
・後漢書59 張衡
昔有文王,自求多福。人生在勤,不索何獲
・後漢書67 范滂
滂乃慷慨仰天曰:「古之循善,自求多福;今之循善,身陷大戮。
・後漢書82.2 公沙穆
願改往修來,自求多福。
・後漢書107 劉注
臣愚以爲可使公卿處議,所以陳術改過,取媚神祇,自求多福也。
・三国志28 鍾会
其詳擇利害,自求多福,各具宣布,咸使聞知。
・三國志40 劉封
易有『利見大人』,詩有『自求多福』,行矣。今足下勉之,無使狐突閉門不出。
・晋書56 孫楚
若能審勢安危,自求多福,蹶然改容,祗承往錫
・晋書59 司馬乂
若能從太尉之命,斬商等首,投戈退讓,自求多福,穎亦自歸鄴都,與兄同之。
・晋書71 孫恵
時難獲而易失,機速變而成禍,介如石焉,實無終日,自求多福,惟君裁之!
・晋書74 桓沖 子桓謙
小水不容大舟,若縱才力足以濟事,亦不假君為鱗翼。宜自求多福。
・晋書78 孔坦
夫機事不先,鮮不後悔,自求多福,唯將軍圖之。
・晋書98 王敦
書到奉承,自求多福,無或猜嫌,以取誅滅。
・宋書81 顧覬之
審乎無假,自求多福,榮辱修夭,夫何為哉。
・宋書84 孔覬
,詳鏡安危,自求多福。
・魏書31 于忠
前領軍將軍臣忠不能砥礪名行,自求多福,方因矯制,擅相除假,清官顯職,歲月隆崇。
・魏書50 慕容白曜
此智士所宜深思重慮,自求多福。
・魏書51 孔伯恭
幸時歸款,自求多福。
・魏書99 沮渠蒙遜
宜思厥中,自求多福也。
■アンタ死ぬわよ
漢書75 翼奉
天下甫二世耳,然周公猶作詩書深戒成王,以恐失天下。書則曰:「王毋若殷王紂。」其詩則曰:「殷之未喪師,克配上帝;宜監于殷,駿命不易。」
翼奉は前漢元帝に仕えた人物。すなわち、じわじわと前漢が傾いている頃の人物である。この頃所々にて災厄が起きており、「これなんの兆しなんだろうね」って元帝が聞いてきたところで、翼奉、よりにもよって当詩で一番やべー箇所を引いてきおった。というのも「殷に天命があった頃は天帝も守ってくれてたんですよ、それ失われつつあることに気付きなさいよ」とは、つまりいま自分が仕えている国が、このままでは亡国になることをどストレートに元帝に伝えておるのである。鬼かこの人。霊感商法か。不安商法なのか。
■五行は天の声
宋書30 五行一
夫天道雖無聲無臭,然而應若影響,天人之驗,理不可誣。
五行志の基本的なスタンスを書けば「国がやべーことを示す天変地異の数々」である。それを宋書の五行志が、その序文にて「天は特に我々に意思を示さないが、数々の天変地異で示す。軽んじてはならない」ことを当詩の句を引用して示すのである。ただ、この書きぶりからすると沈約はやや五行を軽んじていた気もせぬではない。自らが軽んじておっても、史書という体裁を取る以上追加せねばならぬので、懸命に自分に言い聞かせている。そのような印象を受けた。
■お前らは文王に倣うのだ
儀刑文王、萬邦作孚で「聖人ならぬ我々は、文王のやり方に従うことでようやく万国よりの尊崇を得られる」的なニュアンスとなる。いわば当詩におけるハイライトと言って良い。その中で公孫度が「文王に倣う」ニュアンスを微妙に薄めておるあたりが笑いどころであろうか。
実にいやらしい書き方で良いな。そしてこの句の引用が魏晋期にほぼ見えぬことを思うと、「えっ周のやり方に従い切るのって無理じゃね?」的空気感が漂ったのではないか、とも感ぜられてならぬ。
・左伝 襄公13-4
周之興也.其詩曰.儀刑文王.萬邦作孚.言刑善也.及其衰也.其詩曰.大夫不均.我從事獨賢.言不讓也.世之治也.
・左伝 昭公6-3
將以靖民.不亦難乎.詩曰.儀式刑文王之德.日靖四方.又曰.儀刑文王.萬邦作孚.如是何辟之有.民知爭端矣.
・漢書23 刑法
『詩』曰:『儀式刑文王之德,日靖四方。』又曰:『儀刑文王,萬邦作孚。』如是,何辟之有?民知爭端矣,將棄禮而徵於書。
・後漢書107 五行五 注
詩云:「儀刑文王,萬國作孚。」當爲人制法,何必取法於人!
・三國志8 公孫度
『詩』美文王作孚萬邦,『論語』稱仲尼去食存信;信之為德,固亦大矣。
・三國志22 陳羣
詩稱『儀刑文王,萬邦作孚』;又曰『刑于寡妻,至于兄弟,以御于家邦』。道自近始,而化洽於天下。
■「儀刑」で雅語化
まぁそうなりますわよねーという感じである。それにしてもこの手の言葉が晋書で異常発生しているのを見ると、「権威付けに必死だな晋くんwwwwww」という気持ちを禁じ得ぬ。
・三國志25 高堂隆
昔周景王不儀刑文、武之明德,忽公旦之聖制,旣鑄大錢,又作大鍾,單穆公諫而弗聽,泠州鳩對而弗從,遂迷不反,周德以衰,良史記焉,以爲永鑒。
・晋書44 李胤
陛下聖德欽明,垂心萬機,猥發明詔,儀刑古式,雖唐、虞疇諮,周文翼翼,無以加也。
・晋書32 元敬虞皇后
悼妃夙徂,徽音潛翳,御于家邦,靡所儀刑,陰教有虧,用傷于懷。
・晋書22 楽上
儀刑孚萬邦,內訓隆壼闈。
・晋書79 評
不知頹風已扇,雅道日淪,國之儀刑,豈期若是!
・晋書77 殷浩
「浩有德有言,向使作令僕,足以儀刑百揆,朝廷用違其才耳。」
・晋書2 司馬昭
以公思弘大猷,崇正典禮,儀刑作範,旁訓四方,
・晋書75 王坦之
宜朝夕定省,承受教誨,導習儀刑,以成景仰恭敬之美,不可以屬非至親,自為疏疑。
・晋書3 司馬炎
肆魏氏弘鑒于古訓,儀刑于唐虞,疇咨群后,爰輯大命于朕身。
・晋書55 潘岳
逮我皇晉,實光斯道,儀刑孚于萬國,愛敬盡于祖考。
・宋書20 楽二
率禮無愆,莫匪邁德。儀刑聖皇,萬邦惟則。
虔明祀,祗三靈。崇禮樂,式儀刑。
成民立政,儀刑萬邦。式固崇軌,光紹前蹤。
龍飛在天,儀刑萬國。欽明惟神,臨朝淵默。
・宋書11 律暦上
始區別名題,至乎禮儀刑政,有所不盡,
・宋書11 律暦上
雖伶、夔曠遠,至音難精,猶宜儀刑古昔,以求厥衷,合于經禮,於制為詳。
・宋書2 武帝中
鑒諸前典,儀刑萬代,翼治扶危,靡不由此。
公溫恭孝思,致虔禋祀,忠肅之志,儀刑萬方。
・魏書109 楽
昔晉中書監荀勗前代名賢,受命成均,委以樂務,崇述舊章,儀刑古典,事光前載,豈遠乎哉。
留心軌物,反堯舜之淳風,復文武之境土,飾宇宙之儀刑,納生人於福地,
・魏書69 袁翻
欲以支離橫議,指畫妄圖,儀刑宇宙而貽來葉者也。
・魏書108.4 礼四
令喪禮參差,始於帝族,非所以儀刑萬國,綴旒四海。
・魏書78 張普惠
儀刑作孚,億兆何觀。
・世説賞譽 117
阿源有德有言,向使作令僕,足以儀刑百揆。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E5%85%AD#%E3%80%8A%E6%96%87%E7%8E%8B%E3%80%8B
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